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【おつやの方(お直の方)】
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秋山虎繁「おれの妻になれ」
1573年、再び秋山虎繁が岩村城侵略を企ててやってきました。
女城主おつやの方は、領民たちと共に長い籠城を覚悟して、攻防します。
信長の援護を待ちながら三ヶ月の間城に立て籠るのです。
その間も信長のもとに使者を送ったり、また敵の情報を得るために乱波を放ったり、城主としての働きは見事だったようです。
しかし、当時の信長は、長島一向一揆などで道を阻まれ、結局岩村への援軍を出すことはできませんでした。
そのような状況を知った虎繁は、和議を申し入れてきたのですが、その内容は受け入れがたいものでした。
開城すれば五坊丸や領民、城兵の命を守る。
その代わり「虎繁の妻になれ」というものだったのです。
二人は以前に顔を合わせていた
敵の武将との結婚はすなわち信長への裏切り行為となり、城も取られることになります。
女城主であるおつやの方は1人悩んだことでしょう。
当時は、開城の条件で城主の首を差し出すのが習わしであり、実質おつやの方が城主であっても、男子である五坊丸の命を差し出すことになります。
可愛い五坊丸の命。
領民や城兵の命を守りたいという母の愛と女性としてのプライド。
その狭間で相当悩んだのではないでしょうか。
しかし、自分だけのプライドよりも、城主として母として、信友との結婚を受け入れたのです。
実は以前、虎繁とおつやの方は顔を合わせています。
織田信長の子・奇妙丸(織田信忠)と武田信玄の子・お松の方の婚姻の使者として岩村城を訪れていたのです。
当時はまだ景任の妻として迎え入れたわけですが、虎繁はおつやの方の美しさに、おつやの方は虎繁の精悍な姿に、実はお互いに一目惚れをしていたのではないか?と私は思っています。
信長との決別――それは政略結婚の終わりも意味していたのかもしれません。
しかし、運命は非常な方向へと転がっていくのでした。
覚悟を決めた人生
1573年2月に岩村城は開城します。
おつやの方は、武田方に転じたのです。
しかし、1573年と言えば……そうです、武田信玄が亡くなった年です。
武田勝頼に代替わりを果たし、それでも領土を拡大する勢いの武田でしたが、それも2年後、1575年5月までのことでした。
【長篠の戦い】で武田が織田徳川連合軍に大敗を喫したのです。
虎繁とおつやの方は共に力を合わせて岩村を守り、城の普請を進め、織田軍の侵攻に備えました。
織田軍は長篠の戦いで勝利した後、いよいよ「裏切り者」の岩村城攻撃を始めます。
二人は6ヶ月に及ぶ籠城の末、11月23日に開城。
長篠合戦で名将をことごとく失い、もはや援軍は見込めない――という状況からの決死の覚悟です。
虎繁は、命を差し出すのは自分一人で十分だろう、君は信長の元に戻るのだ、と諭したようですが、最後まで虎繁と運命を共にしたいと懇願したのはおつやの方だったようです。
二人は信長に処刑され、その生涯に終止符を打ちました。
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