うつけの織田信長に愛想を尽かし、弟の織田信勝(信行)を可愛がる母――。
そんなシーンを漫画やドラマで見たことはありません?
2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』でもそんなシーンがありましたが、実はコレ、あるホルモンの仕業かもしれません。
今回の診察室は、信長の母である『土田御前(どたごぜん)』。
彼女の生涯と授乳に関わる愛情ホルモンにスポットを当ててみたいと思います。
※文中の記事リンクは文末にもございます
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身分の高い家やお金持ちは乳母を雇うのが普通だった
土田御前は、信長の父・織田信秀の継室(けいしつ)です。
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継室とは、正妻が死別や離別した後に妻となる後妻のことで、信秀が正室と離縁した後添として織田家に入ったのが土田御前でした。
彼女は美濃国土田の土豪・土田政久(どた まさひさ)の娘という説が有力で(諸説あり)、信秀との間には
・信長
・信行
・秀孝
・信包
・市
・犬
という4男2女の子をもうけました。
結構子沢山ですね。
ただし、信長は小嶋信房息女の子とする史料もあり、実は正室の後にもう1人継室がいた可能性も否定はできないようです。
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さて現代と違って乳児死亡率の高いこの時代、母乳の出具合は子供の栄養状態に直結。
ひいては命に関わる重要事項となります。
粉ミルクも無い時代ですから、赤ちゃんを無事に育てるため、身分の高い家や経済的に余裕のある家庭では乳母を雇うことが割と頻繁にありました。
特に嫡男の場合はお家を担う大事な子供ですから、死んでしまっては困ります。
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また、身分の高い女性は家事や育児などを自分ですべきでないという風潮もあり、子育てを他の女性に任せる場合もありました。これも乳母の役目です。
「だったら母乳の代わりに牛乳を使っとけばよかったんじゃない?」
以前、こんなことを仰っていた男性がおりましたが、それはムリな話です。
戦国当時、牛から搾乳できたかどうかはさておき、牛乳は母乳の代わりを果たせません。
それは乳の成分を説明すれば、ご理解いただけるでしょう。
牛乳は消化が難しく、母乳の代わりは果たせない
母乳は、乳児に歯が無く、固形物が食べられない時期に、それのみで育てられる栄養組成になっております。
牛乳と比べると脂質の量はほぼ同じですが、タンパク質は約半分で、乳糖が1.6倍。
また牛乳に比べてカルシウム、リンが少なく鉄分やビタミンCを多く含みます。
これは人間の成長が、牛に比べて遅いせいです。
牛の場合、出生時40Kgの体重が1年で300kgになり、身体を作るタンパク質やカルシウム、リンが豊富な乳が出ます。
一方、1年で3Kg→9kgという人間の赤ちゃんには、身体より脳や神経の発育に重点を置いた組成の母乳が必要なのです。
また、牛乳に含まれるタンパク質の中には分子が大きく、乳児には消化が難しいものも含まれております。
ゆえに前述の通り、母乳は牛乳で代替できるものじゃないんですね。
もちろん、今の粉ミルクはこのあたりもキチンと考えて作ってあるので、お乳の出が悪いお母さんも安心して下さいね。
乳母雇わなくて大丈夫!
では、そもそも母乳はいかにして作られるのでしょうか?
赤ちゃんのことを考えただけでも分泌される
母乳を作るときに、母体に関わっているのは2種類のホルモンがあります。
『プロラクチン』と『オキシトシン』です。
『プロラクチン』は主に下垂体前葉から出て、乳腺の発達や乳汁の合成、妊娠の維持にかかわるホルモンです。
簡単にいうと『ミルク作りホルモン』ですね。
授乳期においては、子供が母親の胸に吸い付く刺激で分泌が促進され、授乳開始後1~3分で分泌量が増加、約10分でMAXになる模様です。
このホルモンは母性行動を誘発する役目も持っており、赤ちゃんにオッパイを吸われるとミルク産生スイッチオン!かつ母親らしい行動をとるようにプログラムされています。
次に本日のテーマである『オキシトシン』。
こちらは下垂体後葉から分泌されるホルモンで、末梢では平滑筋の収縮作用を持ち、出産時には子宮を収縮させ分娩を促進させる作用を持ちます。
また、授乳時には乳腺の筋繊維を収縮させ、乳汁の分泌促進する働きをします。
平たくいうと『オッパイ発射ホルモン』ですね。
オキシトシンも授乳行為によりその濃度が増し、授乳を終えると速やかに分泌がおさまります。
また、オッパイを吸うという直接行為だけでなく、赤ちゃんとの肌の触れ合いや赤ちゃんの匂いを嗅ぐ、声を聞く、さらには赤ちゃんのことを考えるだけでも分泌が亢進します。
ちなみにカップルでいちゃこらスキンシップしても分泌が増えます。
よくテレビなどで「愛情ホルモン」という表現がされますが、まさにそんな感じですね。
次に、オキシトシンをもう少し深掘りして参りましょう。
オキシトシン不足は情緒不安定になり、相手を信用できなくなる
オキシトシンはホルモンとしての役目だけでは無く、中枢で神経伝達物質としての働きも持ちます。
母性を高める働き、不安を抑える働きがあり、これにより母親は自分以外の存在である赤ちゃんを信頼するようにできているのです。
この効果は母親だけでなく子にも及び、母親と引き離されたラットは脳のオキシトシン合成量が顕著に低下するという実験結果もあるほど。
幼少期のスキンシップ不足がその後の情緒安定性に関わると考えられるようで、母親と引き離されたラットは成長すると他のラットとの協調性が無く、攻撃性が増す結果が報告されています。
先ほどオキシトシンには他者への信頼性を高める働きがあると言いましたが、スイスの大学生を対象に行った興味深い研究があります。
学生を投資者と信託者に分けて行う投資ゲームでの話。
オキシトシンを投与した群は、偽薬投与群に比べて相手を信頼し、大きい金額を預ける傾向が見られました。
また、ゲームの途中にお金を返却しないことも含めたコミュニケーションを設定した場合、偽薬群では投資額が減少し、相手に対する信用が低下したと考えられました。
一方、オキシトシン群では投資額に変化は無く、引き続き相手を信用した状態が持続していました。
えーと、なんだか悪いことにも使えそうですね。
ただし、オキシトシンの投与経路は経鼻になりますのでこっそり盛るのは難しいそうです。
では、ここから先は土田御前に話を戻しましょう。
「ああ、わたしの信行たん」状態になっても不思議じゃない
土田御前の息子・信長も、武家の慣例に従い乳母に預けられました。
伝承によると信長は癇癪があり、乳首を噛み切るため乳母が次々にチェンジ。
池田恒興の母(養徳院)が乳母となってからはこの噛み切り癖が治ったため、以来「大御ち」と称されたそうです。
ち=乳なので大御乳ということで、立派な乳母さまという意味ですね。
無事に乳をあげれただけでアダ名が付くとは信長ってどんだけなんでしょう。
ちなみにこの乳母さま、後に信秀側室となり、信長にとって腹違いの妹を産んでおります。
そんな癇癪持ちの信長ですから土田御前は敬遠します。
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敬遠すればするほどオキシトシン分泌は減りますので信長に対する信頼や愛着は沸きません。
一方、2年後誕生した次男の織田信勝。
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次男ですから、御家にとっては長男よりもどうでも良い存在で、逆に言えば実母と接する時間は長かったのでしょう。もしかすると乳も自ら与えていたのかも知れません。
いずれにせよ信行とのスキンシップはお互いのオキシトシン分泌を高め、母子の絆は強くなります。
「ああ、わたしの信勝たん♪」状態になっても不思議ありません。
一方の信長は、養徳院に会うまでは乳母からの愛情不足、加えて実の母は弟を可愛がり、当人にはストレスになったことでしょう。
ストレスはオキシトシンの分泌を抑えますので、哀れ信長はオキシトシン不足に……。
土田御前は、皆に好かれる愛情深き女性だったのでは?
ここで幼少期にオキシトシン不足になったラットを思い出して下さい。
周りとの協調性不足や攻撃性……って、なんとなーく信長像に当てはまるところがありません?
※最近は、信長意外にイイ人というか普通説が有力ですが
いずれにせよ、弟の信勝は信長との家督争いに敗れ、一度は母の取りなしで赦されながら、再び叛心を抱いて謀殺されます。
この時、信勝の子・坊丸(津田信澄)の助命嘆願をしたのも母の土田御前でした。
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彼女は信勝の死後、信長やお市と共に暮らし、信長や市のまだ幼い子供たちの面倒を見ていたそうです。
本能寺の変後は、孫にあたる信長の次男・織田信雄の庇護下で暮らし、信雄の改易後は自身の息子・織田信包のもとへ身を寄せ、文禄3年(1594年)に亡くなりました。
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生年不明なため享年も定かではありませんが、信長を18歳で産んだと仮定すると78歳ですから当時としては結構な長生きですね。
伝記などでは、信長の才能を見抜けず弟を可愛がる悪い母のように描かれる土田御前ですが、信秀との間にたくさん子が居たことや、孫の面倒を見たエピソード、信雄&信包に保護され80歳近くまで生きたことを考えると、本当は皆に好かれる愛情深き女性だったのではないでしょうか?
信長が小さいうちにもっとスキンシップをしていたら、歴史が変わった可能性も否めません……。
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イラスト・文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
本人のamebloはコチラ♪
【参考】
一般社団法人三重県畜産協会
健康道場-総合医療 高橋医院
金沢大学
妊娠・出産・赤ちゃん Dear Mom
土田御前/wikipedia
織田信長/wikipedia
織田信行/wikipedia
養徳院/wikipedia
乳房/wikipedia
オキシトシン/wikipedia
プロラクチン/wikipedia
乳母/wikipedia
母乳/wikipedia
meiji