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【森蘭丸】
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華やかな小姓として主君の死を盛り上げる
天正10年(1582年)6月2日払暁――明智光秀が本能寺へ攻め込み、織田信長や、弟の坊丸・力丸らと共に森蘭丸も討死してしまいます。
享年18。
森蘭丸がここまで有名になったのも、こうして主君のかたわらで討死したからでしょう。
あまりに劇的な最期、そこに付き従う脇役として、江戸時代以降、その存在は物語や絵画などで膨らんでゆきました。
そこにはこんなお約束があります。
◆やっぱり美少年じゃないとな!
森蘭丸といえば、やはり美少年の姿が思い浮かんできますね。
しかし、これはイメージありき。
「信長の横で死んでいく少年だったら、やっぱりイケメンがよくね?」
そんな需要から浮世絵師たちが供給し、現在まで引き継がれていった創作という理解でよいと思います。
日本人はともかく美少年が大好きです。
複数ある表記の中で「蘭丸」が有名であるのも、“美貌の小姓”に最もイメージが近いからではないでしょうか。
◆そもそも色小姓だったの?
あの信長の側にいて、しかも美少年――となれば色小姓にしたくなるのは自然の流れ。
いわばカップリングです。
しかし男色関係は美談として誇張されやすく、実際に信長と蘭丸がそうだったのか?という確定は難しく、確たる史料はありません。
武田信玄や伊達政宗のように、ほぼ間違いない証拠がなければ断言はできないでしょう。
はたして戦国時代の男色は当たり前だったのか?信玄や義隆たちの事例も振り返る
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◆もはやほとんどフリー素材
森蘭丸は、現在に至るまで様々な作品で愛くるしい美少年として登場してきました。
現在の漫画アニメやゲームだけでなく、江戸時代中期の『絵本太閤記』にはこんな話があります。
堺の妙国寺に、大きな蘇鉄(ソテツ)がありました。
この名木が枯れそうになったとき、法華宗本山から高僧を呼び寄せ、読経させたところ、ピタリとやみました。
これを聞きつけた信長は怒ります。
「そうやって坊主のインチキをありがたがるとは、くだらん、けしからん! その蘇鉄を安土へもってこい!」
いざ安土城まで運ばせると、見事な蘇鉄を見て信長はすっかり気に入りますが、庭から不気味な声が聞こえてくるようになりました。
「妙国寺へ、かえせ……妙国寺に……」
信長が蘭丸に命じて庭を調べさせると……その声は蘇鉄から出ているではありませんか!
切り倒そうとすると、周囲の皆が苦しんで血を吐いてしまいます。
信長は悩みました。
「そういえばあの魏武帝曹操も、濯龍園の木を切り、梨の木を移植しようとしたら、切ったところから血が流れたという。不吉だな。妙国寺に戻そう」
かくして蘇鉄は妙国寺に戻されました。
というものですが……『絵本太閤記』が成立した当時は、庶民にまで漢籍教養が広まる気配がありました。
この逸話も『三国志演義』の曹操をヒントにした可能性があり、そこに話を盛り上げる森蘭丸もご登場というわけですね。
浮世絵にも華々しく登場
逸話は物語の中だけでは終わりません。
「大きな蘇鉄に蘭丸――これは画題としてイイ!」
ということで、後に幕末の浮世絵師・月岡芳年が『和漢百物語』の「小田春永」(“織田信長”の検閲を避けるための表記)、『新形三十六怪撰』で「蘭丸蘇鉄之怪ヲ見ル図」を描いています。
こちらが『和漢百物語』で
月岡芳年の兄弟子・落合芳幾が描いた蘭丸は、伝統的でオーソドックスな絵柄ですね。
↓
これに対し、芳年最晩年に描かれた「蘭丸蘇鉄之怪ヲ見ル図」は、ポーズといい、横顔といい、浮世絵の枠をはみ出したい作者のスタイルが出ています。
ジョジョ立ち(『ジョジョの奇妙な冒険』のようなポージング)のようで面白い!
森蘭丸といえば美少年――彼を愛でたい!
そんな願望は日本の伝統とも言えるでしょう。
本能寺で薙刀を持ち奮戦する帰蝶は、現在では見かけなくなりましたが、蘭丸が消えることはありません。
過去の映像作品でも以下のように何度も登場しています。
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