二戸駅の構内に展示されている九戸政実さんのイケメンパネルと地元の祭りに出陣する山車

諸家 れきしクン

九戸政実――秀吉と戦った最後の戦国武将がアツい!舞台は九戸城!

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武将ジャパン読者の皆さん、はじめまして。
れきしクンこと、長谷川ヨシテルでございます。

私ごとですが、10月15日(火)に放送されたTBS『クイズ!オンリー1』の戦国武将ブロックで優勝させていただきました。
応援してくださった方々、改めてありがとうございました。

優勝までのプロセスは、以下の記事を是非ご覧いただければと思います!

『クイズ!オンリー1 戦国武将編』優勝者・れきしクン 100万円までの全問を振り返る!

全 ...

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実は、この番組に本サイトの編集者さんが出演していたご縁もあり、こちらで連載をやらせていただくことになりました。

テーマは「ご当地マイナー戦国武将」!
一般的にはマイナーな武将たちや、その方々にまつわるお城や古戦場などをご紹介していこうと思います!

記念すべき第1回は……九戸政実さん!

南部家に仕えた岩手県二戸市の戦国武将で、天下人の豊臣秀吉を相手に【九戸政実の乱】を起こした人物なんです。

この御方の武将人生、面白いです……!

 

九戸政実との出会いは『信長の野望』

私が九戸政実さんに初めて会ったのは『信長の野望』でした。
20歳のとき『信長の野望 革新(PS2版)』にハマり、そのとき陸奥(青森県・岩手県)を領地としていた大大名・南部家の家臣として登場していました。

能力は

統率70
武勇76
知略47
政治42

でして。
ゲームの数値だけ見れば、正直、使い勝手が良くない武将なんです。

紹介文である列伝には次のように書かれています。

「南部家臣。信仲の子。南部晴政の死後、弟・実親を後継者に推すが敗れ、叛乱を起こす。南部信直の要請で出陣した豊臣軍相手に善戦するが敗れ、斬首された」

『信長の野望』をやったことがある方は共感していただけると思いますが、あの文章を読むのってめちゃくちゃ楽しいですよね。

 

秀吉の軍が東北まで来たってホント?

九戸政実さんの列伝を読んだ私は、ふと思いました。

「秀吉の軍が東北に来て戦ったの?」

私ごとですが、本格的に歴史好きになったのが、まさに『信長の野望』を始めた20歳だったので、当時は学校で習った程度の知識しか持ち合わせておりません。

教科書で習った秀吉の天下統一と言えば……

【秀吉の天下統一は1590年(天正18年)の“小田原征伐”によって成し遂げられた】

みたいな感じじゃありません?

そこに出てきた九戸政実という名前。

「なんだか気になる!」ということで、すぐに調べてみると、小田原征伐の翌1591年(天正19年)に九戸政実さんの反乱を鎮圧するため、秀吉軍が「九戸城」に攻め寄せているではありませんか!

この戦いが【九戸政実の乱】。
以降、秀吉に歯向かう武将はいなかったのですから「秀吉と戦った最後の戦国武将」ということになります。
しかも教科書では習わない…。

カッケェえええええ!
グッとくるじゃないですか!

もっと九戸政実さんについて知りたい――そう思って関連書籍を検索してみると、すぐにヒットしました。

『天を衝く 秀吉に喧嘩を売った男九戸政実 (全3巻)』(→amazon

タイトルでまた厨二心をくすぐられました(笑)。

同書の著者は、NHK大河ドラマ『炎立つ』の原作を書いた岩手県出身の高橋克彦さん。

九戸政実さんは主人公ですので、当然めちゃくちゃカッコ良く描かれており、
『いつか九戸政実さんのゆかりの地を巡りたいなぁ……』
と考えておりました。

そして九戸政実さんを知ってから3年後、ついに岩手県二戸市にある九戸城を訪れるのです。

 

東北地方最古の石垣

九戸城へ足を運んだときの写真がこちらです。

九戸城・本丸の野面積の石垣

“東北地方最古の石垣”とされていますが、実は「九戸政実の乱」後に秀吉配下の蒲生氏郷が築いたもの。

「この城で、天下の秀吉軍と戦ったのか……」

現地に行って覚えるこの感動が歴史の醍醐味の一つですよね。

九戸政実さんは、もともと南部家の分家筋で、本家に劣らないほどの勢力を持った九戸家のご当主でした。

反乱のキッカケとなったのは南部家の御家騒動です。

南部本家のご当主・南部晴政(『信長の野望』だと統率が高いので比較的使いやすい!)が1581年(天正10年)に病死。
その跡を継いだ子の南部晴継も、わずか13歳で同年に死去してしまいます。

そして始まった後継者争いに、九戸政実さんも参戦するのです。

南部本家の居城「三戸城」跡に建つ模擬天守(三戸城温故館)

後継者候補となったのは、当人ではなく、南部晴政の娘を娶っていた弟の九戸実親でした。

結局、この後継者争いに敗れて、当主は南部信直に決定。
九戸政実さんは南部本家との対立を強めていくのです。

そしてついに挙兵に至るのです!九戸政実さんの運命や如何に!?

 

九戸政実軍、強し!しかし……

弟が後継者争いに敗れ、天正19年(1591年)に挙兵した九戸政実さん。
これに対して、鎮圧を目論む南部信直。

しかし、九戸政実さんが率いる九戸軍は強い強い! 降伏どころか、南部本家を押し返す勢いでした。

ところが、ここでラスボスが登場します。そうです、豊臣秀吉です。

秀吉は、1585年(天正13年)に【惣無事令】を出したとされています。
大名同士の私闘を禁止するもので、簡単に言うと「俺(秀吉)の許可なく戦うな!」ということです。

はじめに出されたのは九州で、これに従わなかった薩摩(鹿児島県)の島津家は征伐を受けて、領地を大幅に減らされています。
1587年(天正15年)には関東と東北にも出され、これに従わなかった相模(神奈川県)の北条家は滅亡に追い込まれています。

そして、この天下人秀吉ルールの最後のターゲットとなったのが、九戸政実さんでした。

秀吉のルールに従い、その配下となっていた南部信直は、絶頂期を迎えていた秀吉に援軍を依頼。
秀吉はすぐに出陣を決め、総大将に豊臣秀次(関白を継いだ秀吉の甥)を据えて、九戸城に大軍を送り込みました。

その数、なんと約65,000!
それに対して、九戸政実軍は約5,000……。

誰がどう見ても圧倒的不利な状況――。
にも関わらず、九戸政実さんは善戦を繰り広げ、秀吉軍が九戸城に攻め入ることを阻んだのです。お見事!

 

和睦をすれば家臣領民の命は助けるぞ

困った秀吉軍は九戸政実さんに、次のような“和議”を申し出ました。

「城内の兵士や領民の命は保障するから開城してくれ」

この時、九戸政実さんに協力した周辺のお城も秀吉軍の手に落ち、後詰(援軍)も見込めなくなってきていました。
天下の軍勢を相手に武士の一分を見せた九戸政実さんは、ついに和睦を受け入れることにしました。

しかし、これは秀吉軍の謀略だったのです!

城内の者たちは全員撫で斬りにされ、九戸政実自身も、秀吉軍の総大将・豊臣秀次の許へ届けられる途中で斬首されたと伝わっています。

こうして【九戸政実の乱】は終焉を迎え、豊臣秀吉による真の天下統一が成し遂げられるのでした。

九戸政実の首は、家臣によって密かに運び出され、九戸家の故郷である九戸村に運ばれて埋葬されたと伝わり、首塚が残されています。

「九戸左近将監政実 首塚」 家臣の佐藤外記が物乞いの姿になって最期を見届け、夜に首を密かに持ち去り埋めたと伝わる

一方、九戸城は秀吉軍の蒲生氏郷により、石垣を使用した城郭に改築。
南部本家の新たな居城となり「福岡城」と改名されました。

ワケありの敵の城をよく居城に出来るなぁ、とか思うんですが、南部本家の居城は江戸時代になって「盛岡城」に移され、福岡城は1636年(寛永13年)に廃城となります。

 

九戸政実さんを祀る「政實神社」

今なお、地元の方々は九戸政実さんを慕い続けています!

福岡城はかつての城名「九戸城」と呼ばれ、現在はその名で史跡に登録。
地元では「九戸政実プロジェクト」も発足し、“戦国ダンシ”と銘打って「九戸政実武将隊」も結成されました。

ちなみに、武将隊は常時募集中で、条件は18歳以上、かつ「九戸政実への熱い想いを持っている方」となっています。

同プロジェクトの公式ホームページには
「マンガで読む戦国ダンシ 九戸政実物語」
もアップされていて、九戸政実さんのゆかりの地についても紹介されています。

是非ご覧ください。

◆公式サイト

また、1995年(平成7年)には、故郷の九戸村に九戸政実さんを祭神とした「政實神社まさざねじんじゃ」が建立されています。

九戸政実さんを祀る「政實神社」 九戸神社の一角に建立されている。

昔も今も地元から愛され続ける、秀吉と戦った最後の戦国武将。

九戸政実ゆかりの地を皆さんもぜひ一度巡ってみてください。

文:れきしクン(長谷川ヨシテル)

クイズ!オンリーワンで優勝したれきしクンと司会者・設楽統さん

◆れきしクンって?

元お笑い芸人。解散後は歴史タレント・作家として数々の番組やイベントで活躍している。
作家名は長谷川ヨシテルとして柏書房やベストセラーズから書籍を販売中。

【著書一覧】
『あの方を斬ったの…それがしです』(→amazon link
『ポンコツ武将列伝』(→amazon link
『ヘッポコ征夷大将軍』(→amazon link

 



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