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【九戸政実】
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秀吉 真の天下統一
困った秀吉軍は九戸政実さんに、次のような“和議”を申し出ました。
「城内の兵士や領民の命は保障するから開城してくれ」
この時、九戸政実さんに協力した周辺のお城も秀吉軍の手に落ち、後詰(援軍)も見込めなくなってきていました。
わずかでも後詰(援軍)の見込みが無くなれば、勝ち目は完全にゼロ。
籠城の意味は全く無くなります。
天下の軍勢を相手に武士の一分を見せた九戸政実さんは、ついに和睦を受け入れることにしました。
しかし、これは秀吉軍の謀略でした。
城内の者たちは全員撫で斬りにされ、九戸政実自身も、秀吉軍の総大将・豊臣秀次の許へ届けられる途中で斬首されたと伝わっています。
こうして【九戸政実の乱】は終焉を迎え、豊臣秀吉による真の天下統一が成し遂げられるのでした。
なんだか後味悪い終わり方ですよね……。
九戸政実の首は、家臣によって密かに運び出され、九戸家の故郷である九戸村に運ばれて埋葬されたと伝わり、首塚が残されています。
一方、九戸城は秀吉軍の蒲生氏郷により、石垣を使用した城郭に改築。
南部本家の新たな居城となり「福岡城」と改名されました。
ワケありの敵の城をよく居城に出来るなぁ、とか思うんですが、南部本家の居城は江戸時代になって「盛岡城」に移され、福岡城は1636年(寛永13年)に廃城となります。
九戸政実さんを祀る「政實神社」
今なお、地元の方々は九戸政実さんを慕い続けています!
福岡城はかつての城名「九戸城」と呼ばれ、現在はその名で史跡に登録。
地元では「九戸政実プロジェクト」も発足し、“戦国ダンシ”と銘打って「九戸政実武将隊」も結成されました。
ちなみに、武将隊は常時募集中で、条件は18歳以上、かつ「九戸政実への熱い想いを持っている方」となっています。
同プロジェクトの公式ホームページには
「マンガで読む戦国ダンシ 九戸政実物語」
もアップされていて、九戸政実さんのゆかりの地についても紹介されています。
是非ご覧ください。
↓
◆公式サイト(→link)
また、1995年(平成7年)には、故郷の九戸村に九戸政実さんを祭神とした「政實神社(まさざねじんじゃ)」が建立されています。
昔も今も地元から愛され続ける、秀吉と戦った最後の戦国武将。
九戸政実ゆかりの地を皆さんもぜひ一度巡ってみてください。
文:れきしクン(長谷川ヨシテル)
◆れきしクンって?
元お笑い芸人。解散後は歴史タレント・作家として数々の番組やイベントで活躍している。
作家名は長谷川ヨシテルとして柏書房やベストセラーズから書籍を販売中。
【著書一覧】
『あの方を斬ったの…それがしです』(→amazon)
『ポンコツ武将列伝』(→amazon)
『ヘッポコ征夷大将軍』(→amazon)
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