九戸政実

“野面積み”で城郭マニアに知られる九戸城

戦国諸家

秀吉と敵対した最後の武将・九戸政実~6万の大軍相手に5千で粘る

武将ジャパン読者の皆さん、こんにちは!

れきしクンこと、長谷川ヨシテルでございます。

「ご当地マイナー戦国武将」を紹介させていただく本連載、今回のターゲットは九戸政実(くのへ まさざね)さん!

南部家に仕えた岩手県二戸市の戦国武将で、天下人の豊臣秀吉を相手に【九戸政実の乱】を起こした人物なんです。

まぁ、その結果、戦に敗れて天正19年(1591年)9月20日に斬首されるわけですが、国内では秀吉に立ち向かった最後の武将であり、しかも大軍を相手に約半年も粘ったのは凄い!

なんせ、この御方の武将人生が興味深いのです。

さっそく振り返ってみましょう。

二戸駅の構内に展示されている九戸政実さんのイケメンパネルと地元の祭りに出陣する山車

 


九戸政実との出会いは『信長の野望』

私が九戸政実さんに初めて会ったのは『信長の野望』でした。

20歳のとき『信長の野望 革新(PS2版)』にハマり、そのとき陸奥(青森県・岩手県)を領地としていた大大名・南部家の家臣として登場。

能力は

統率70
武勇76
知略47
政治42

と、ゲームの数値だけ見れば、正直、使い勝手が良くない武将です。

紹介文である列伝には次のように書かれています。

「南部家臣。信仲の子。南部晴政の死後、弟・実親を後継者に推すが敗れ、叛乱を起こす。南部信直の要請で出陣した豊臣軍相手に善戦するが敗れ、斬首された」

『信長の野望』をやったことがある方は共感していただけると思いますが、あの文章を読むのってめちゃくちゃ楽しいですよね。

『信長の野望 革新』/amazonより引用

 


秀吉の軍が東北まで来たってホント?

九戸政実さんの列伝を読んだ私は、ふと思いました。

「秀吉の軍が東北に来て戦ったの?」

私ごとですが、本格的に歴史好きになったのが、まさに『信長の野望』を始めた20歳だったので、当時は学校で習った程度の知識しか持ち合わせておりません。

教科書で習った秀吉の天下統一と言えば……

【秀吉の天下統一は1590年(天正18年)の“小田原征伐”によって成し遂げられた】

みたいな感じじゃありません?

※以下は豊臣秀吉と小田原征伐の関連記事となります

豊臣秀吉
豊臣秀吉のド派手すぎる逸話はドコまで本当か?62年の生涯まとめ

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小田原征伐で秀吉相手に退かず!北条家の小田原城はどんだけ強いのか

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そこに出てきた九戸政実という名前。

「なんだか気になる!」ということで、すぐに調べてみると、小田原征伐の翌1591年(天正19年)に九戸政実さんの反乱を鎮圧するため、秀吉軍が「九戸城」に攻め寄せているではありませんか!

この戦いが【九戸政実の乱】です。

以降、秀吉に歯向かう武将はいなかったのですから「秀吉と戦った最後の戦国武将」ということになります。

しかし教科書では習わない……カッケェえええええ!

グッとくるじゃないですか!

もっと九戸政実さんについて知りたい――そう思って関連書籍を検索してみると、すぐにヒットしました。

『天を衝く 秀吉に喧嘩を売った男九戸政実 (全3巻)』(→amazon

タイトルでまた厨二心をくすぐられました(笑)。

同書の著者は、NHK大河ドラマ『炎立つ』の原作を書いた岩手県出身の高橋克彦さん。

九戸政実さんは主人公ですので、当然めちゃくちゃカッコ良く描かれており、

『いつか九戸政実さんのゆかりの地を巡りたいなぁ……』

と考えておりました。

そして九戸政実さんを知ってから3年後、ついに私は岩手県二戸市にある九戸城を訪れたのです。

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