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【佐竹義重】
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今度は自分があわや!のところで小田原征伐始まる
その後も嬉しくないサンドイッチ状態はしばらく続き、あわや佐竹も滅亡か――というところで佐竹義重の根回しが効いてきます。
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豊臣秀吉/wikipediaより引用
これを聞きつけた義重は、嫡男の佐竹義宣を連れてさっそく攻め手に参加。
大きな戦功を挙げることこそありませんでしたが、「よしよし、その殊勝な態度はよいぞ。領地を増やして進ぜよう」ということで大幅に加増してもらうことができました。
関東・東北の大名の半数が減封や移封・改易になったことからすると、かなりの勝ち組といえます。
ちなみに遅参した政宗は減封の上に移封でした。
おそらく義重は「ザマミロwwwwww」と思っていたでしょうね。
後でひっくり返されるんですけど……。
息子の義宣は外交センスゼロ!?
義重は、一応カタチとしては小田原征伐の前に隠居し、義宣へ家督を譲渡。
しばらくは実権を握っていました。
【文禄の役】(朝鮮の役・前半戦)では義宣が兵を率いていますので、名実共に隠居の身になったのは小田原征伐から文禄の役の間のようですね。
しかし縁側で日向ぼっこするような楽隠居はできません。
なぜかというと、息子の義宣には父親の外交センスがちっとも遺伝しなかったからです。
顕著に現れたのは、関ヶ原の戦いのときでした。
家康につくか三成につくか。あるいは一族が分かれてどちらが勝っても家名を残せるようにするか。
多くの大名が工夫する中で、義宣はどっちつかずな態度をとり続けました。
律儀な性格だったため、秀吉への恩は捨てがたく家康の権勢にも抗いがたいと思っていたのかもしれません。
さすがにトーチャン義重も見るに見かねて
「息子よハッキリせんかい。たぶん家康のほうがいいぞ」
と口を出します。
しかし、親子の意見が一致せず、外から佐竹氏全体を見ると「お前ら何がしたいんだ」といわれても文句の言えない状態になってしまいました。
結果は、わずか一日で家康が勝ってしまったものだからさぁ大変……。
54万石→20万石への大減封
佐竹義宣は大急ぎで狸親子へお詫びと戦勝のお祝いのため使者を出します。
隠居の身ながら竹義重も「不肖の息子の気が利きませんで申し訳ない! 改易だけはご勘弁を!!」と嘆願して、どうにか家名を残すことには成功します。
しかし、全くお咎めナシというわけにもいきません。
佐竹氏は54万石から20万石という大減封の上、常陸国(茨城県)から出羽国(秋田県)へと移封の憂き目にあってしまいました。
さらに後の【大坂の陣】では今福へ突撃させられ、あまりの激戦ぶりに家老が討ち死にするという散々な目にも遭ってしまいます。
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上杉軍と佐竹軍が死に物狂いで戦った~大坂冬の陣「鴫野・今福の戦い」とは?
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それでも現代まで血筋が続いているのですから、最終的に悪くない結果ではあるんですけどね。
秋田に美人を大量に連れてった!?
秋田県知事・佐竹敬久(のりひさ)氏がその末裔の一人で「佐竹のお殿様」と呼ばれることもあるなど、今でも名家という扱いをされていますね。
最近はあの世界最強の大統領に秋田犬を贈り、お返しにサイベリアン(シベリア原産の猫)をもらったそうで。
海外でも戦国武将の末裔って有名なんでしょうか。
ちなみに敬久氏は愛猫家だそうで、贈られたサイベリアンのミール君以外に複数飼っていらっしゃるとか。
しかも、たまに動画をアップしていて、猫好きの方は見てみるといいかもしれません。実にうまやらしい!
義重自身は動物好きだったかどうかわかりません。
常陸から移封される際国内の美人をまとめて連れて行った、彼女らが秋田美人の源流だ――なんて話もありますね。
ちょっと強引な説のような気もしますが、佐竹義重が女好きだったのはあるかもしれません。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典(吉川弘文館)』(→amazon)
佐竹義重/wikipedia
佐竹義宣/wikipedia