島津義弘

島津義弘/wikipediaより引用

島津家

島津義弘(四兄弟の次男)が鬼島津と呼ばれる功績が凄い 85年の生涯まとめ

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島津義弘
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国力温存していた島津は結局許され

家康は、真田家についても最終的には「許せんが命までは取らん」で済ませていますし、ある意味では”私情に完全に流されることなく、平等な扱いをした”といえるかもしれませんね。

この辺はさすがの政治的センスがうかがえます。

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仮に島津家と全面戦争をおっ始めて苦戦しようものなら、九州や西日本の大名たちは

「なんだ、家康なんて大したことないんじゃん。俺らも島津と組んでもう一戦やろうぜ!」

などと考えかねません。

よしんば苦戦の末に討伐できたとしても、鎌倉時代から数百年に渡って島津家にしか支配されたことのない薩摩の住民たちを、新しい領主が懐かせられるのか? それには相応の犠牲と時間がかかったはず。

そこで手間どれば、かつての尼子氏や大内氏のように、忠義心の高い旧臣が島津氏の誰かを旗頭にして、お家再興の兵を起こすこともありえましょう。

家康としては手間を増やすよりも「とりあえず島津を勘弁してやって、大々的に逆らわないようにさせるのが一番損や賭けが少ない」ということになります。

ただし幕末に手痛いしっぺ返しを喰らうのですが、いずれにせよ正式に島津家の本領が安堵されます。慶長七年(1602年)のことでした。

 

薩摩伝統の郷中教育は義弘からの伝統か

その後、義弘は現在の鹿児島県・加治木に隠居しています。

今も鹿児島市に対するベッドタウンになっているそうで、隠居所にはほどよい場所だったかもしれません。

義弘が朝鮮の役で連れ帰った職人によって、”龍門司焼”も始まりました。

このエリアには「龍門滝」という滝があり「滝壺で洗濯していたら大蛇が現れた」とか、「1m以上もある大亀が住んでいた」などのいわくがついていました。

最晩年の義弘は、ときに職人の作品や名瀑を眺めたりしながら、穏やかに過ごしていたのかもしれません。

更に義久は、若者の教育にも力を入れていたそうです。

これが薩摩藩の伝統である【郷中教育(ごじゅうきょういく)】の元ではないかともいわれています。

年長の藩士が問答や武道の稽古を行い、若年者に教育を施すというもので、「女性にはできるだけ近寄るな! 交際などもってのほか!!」などの厳しい掟がありました。

それが後々、衆道関係が状態化するきっかけになったとか、ならなかったとか。まあ、その辺は別の話ですね。

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さしもの名将・義弘も亡くなる間際にはかなり体が弱っており、自力での歩行や食事も困難になっていたようです。

そこで家臣が一計を案じます。

「殿、戦でございます」と声をかけると同時に、外で兵に鬨の声を挙げさせたのです。

すると、義弘は若かりし頃と同じように、大量の食事を平らげたといいます。

 

日の本一の兵とは島津家そのもの?

ちょっと余談ですが、“戦と食事”に関するエピソードを持つ戦国武将は数多く存在します。

伊達政宗の最晩年。

食道がんと思われる症状のために声を出したり食事を飲み込むことができなくなっていましたが、「ワシに向かって槍を突き出せ!」と筆談で命じたことがあるそうです。

いくら自分で命じたこととはいえ、槍を向けられれば多少なりとも驚くので、それを利用して嚥下していたのだとか。

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方向性は違いますが、上杉謙信にも「普段は少食なのに、戦の前だけ大量に食べるので、家臣たちは謙信の食事で戦の時期を判断していた」という話があります。

普通に教えてやれよ……という気がしないでもないですが、内通者や風のうわさで敵にバレてしまうからでしょうかね。

まぁ、最終的に食事量でバレバレだったら意味ないですが。ともかく……。

義弘の人生をまとめると

「若い頃の失敗に学び、壮年時代にはそれを活かした戦上手となり、日頃は家族や家臣に優しく、晩年は後進のために自らの知識を惜しみなく与えた」

なんて、ちょっと出来すぎなほどの御仁になってしまいます。

でも本当だから仕方ないし、それが魅力。

ちなみに真田幸村を「日の本一の兵」と評したのは義弘の息子・島津忠恒(通称“悪いほうの家久”)です。

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武勇だけでなく政争にも打ち勝ち、自らの領地を守りながら江戸時代を生き延びて倒幕を成し遂げ、現代に続く島津家こそ「日の本一の兵」と呼ぶにふさわしい家柄かもしれません。

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長月 七紀・記

【参考】
岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon
桐野作人『関ヶ原 島津退き口 (学研M文庫)』(→amazon
栄村顕久『島津四兄弟―義久、義弘、歳久、家久の戦い』(→amazon
島津義弘/wikipedia

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