宇佐美定満(宇佐美定行)

宇佐美定満(宇佐美定行)/wikipediaより引用

武田・上杉家

謙信の参謀だった宇佐美定満(定行)不審死のナゾ! 溺死事件の真実は?

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謙信が還俗するとアッサリ鎮火

そんな中、お寺に入っていた謙信が還俗し、あっさり家中を鎮めてしまいます。

これによって府中長尾氏は晴景派と謙信派に分かれ、身内同士での争いが始まってしまいました。

当時の上田長尾氏の当主は政景で、このとき晴景側についています。

最終的に謙信が府中長尾氏の当主になり、政景もアレコレを経て軍門に降るのですが、これが後々尾を引きました。

政景の父・房長が少々アレな人だったため、その頃のイメージが重なって、政景やその配下の上田衆の待遇も、良いとはいえないものになってしまったのです。

しかし、政景は「一度帰順したからには……」と気分を切り替え、謙信に忠実に仕えました。

家中の混乱に愛想を尽かし、再び出家しようとする謙信を説得して引き止めたり、春日山城の留守を預かったり、信頼も勝ち得ていったのです。

また、政景の正室は謙信の姉・仙桃院であり、夫婦仲が良かったことで、息子である景勝にはあまり悪影響が残らなかったようです。義理の兄ということで、謙信も多少なりとも心強かったでしょう。

 

溺死の原因は諸説入り乱れ……

溺死事件のもう一人の当事者・宇佐美定満(定行とも)は、藤原南家の末裔とされる家柄の人です。こちらは先祖代々、越後守護上杉家に仕えてきた家でした。

定満は延徳元年(1489年)生まれなので、大永六年(1526年)生まれの政景とは40歳近く離れていることになりますね。

溺死事件の1564年は御年75歳のご老体です。

定満については「天文の乱がらみのドタバタの際、誰の味方についていたのか」「いつ頃隠居したのか」について諸説入り乱れていて、どんな人だかはっきりしない面もあります。

最終的に晴景、次いで謙信に仕え、政景が降伏する際にも功績があったといわれていますので、重臣であることには変わりないのですが。

まとめると、政景と定満は「仲良しではないが、遺恨があってもおかしくはない」という感じの間柄だったことになります。

この日二人が溺死した件についても、諸説入り乱れています。

「二人が酒に酔った状態で舟遊びをしていたために、うっかり足を滑らせた」

「定満が捨て身で政景を暗殺した」

「他の上杉家臣による政景謀殺に、定満が巻き込まれた」

このあたりが主な説ですね。

三つめだったら老人を粗末にしすぎやろ。

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