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【第三次川中島の戦い】
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真田幸綱、痛恨のミス!
力攻めを指示された真田幸綱は早速攻城戦へと取り掛かります。
そして何度か失敗しています。
落城までの経緯は記録にないので分かりませんが、「さっさと落とせ」という無茶な命令を出された真田幸綱もさぞかし困ったでしょう。
ここで真田幸綱は、おそらく上司の小山田虎満に相談したと思います。
小山田虎満は武田家譜代の直臣で、後に武田勝頼を裏切る小山田信茂とは別系統の小山田氏です。
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「上原」も名乗っていたので上原氏と紹介されることもありますが、同じ人物です。
この虎満は当時、信濃佐久にある「内山城」の城代でした。
その内山城も、切り立った崖の上に築城された山城で、虎満はこの内山城を攻城し、そのまま城代となりました。
雨飾城と似たような城の攻城経験があり、また雨飾城の攻略後、小山田虎満も雨飾城城代となって松代方面の指揮を執ったという経緯があるため、真田幸綱が小山田虎満に教えを乞い、攻城戦の実績がある兵を借りた可能性まで考えられます。
現代になって、雨飾城からは大量に焼けた米が発掘されたようです。
武田流攻城術の「放火」戦術が使われたのは間違いないでしょう。
城下町から何から放火しまくるという、武田の攻城戦はかなり酷い結果になることも覚えておくと、お城巡りの時の妄想も広がります(笑)。
武田左翼軍、猛攻開始!葛山城落城
雨飾城を落として善光寺平の南東部を固めた武田信玄は、早速、動きました。
上杉方が雪で動けない真冬を狙い、先ほどの旭山城の付け城「葛山城」に馬場信房を派遣して猛攻をしかけたのです。
馬場信房は武田家の譜代の家老で、この頃は松本城の前身「深志城」の城代でした。
松本から川中島までは結構な距離ですが、犀川沿いに下っていくと川中島の西方に出ることができます。その中間の位置に牧城という信濃国人衆・西条氏の居城がありました。
信玄は、武田方の味方になった西条氏には松代方面に移ってもらって、牧城まで馬場信房を前進させます。
後に馬場信房はこの牧城を改修して武田流築城術のすべて注ぎ込んだ「牧野島城」を築城。
現在でも牧野島城の遺構はよく残っており、武田流築城術を学ぶのに訪れるべき城の一つです。
馬場信房に、この牧城から出て葛山城を攻めさせたのです。
上杉軍という後詰めがいなければ、堅い葛山城でもあっさり陥落するものです。
実際、水の手を断ち切られ、火をかけられた落合氏の城兵はほぼ全滅したと言われています。
城の水の手というのは極秘中の極秘ですので、真田幸綱が調略した落合氏の親戚衆の手引きがあったのは間違いないでしょう。
このように「城の水の手を断つ」という攻城戦術を見たら内応者の存在を疑いましょう。
逆に内応者を得られないと雨飾城の攻城戦のように「水の手を断つ」戦術が使えず、苦戦する原因にもなるのです。
武田右翼軍、進撃開始! 犀川渡河は危険?
次に武田の右翼、松代を完全に手中に収めた真田の信濃先方衆が千曲川に沿って北上します。
この付近には島津氏という上杉方の国人衆がいましたが、島津氏は千曲川の渡しを管理していた居館・長沼城を捨てて、詰めの城・大倉城に籠もります。
しかし勢いに乗って迫ってくる武田の軍勢と大雪で、上杉の後詰めが期待できない状況にあっては越後まで落ちていくしかありませんでした。
武田信玄はこの間、もちろん力攻めだけを指示してはいません。
善光寺の北方、越後との国境深くまで調略の手を伸ばし、残る北信濃国人衆も親戚同士の内輪揉めにつけこんで次々と味方に付けていきます。
中野、飯山方面では高梨氏の親戚衆である山田氏と木島氏の調略に成功し、要衝・飯山城を攻めます。
飯山城は江戸時代には飯山藩として信越国境の押さえとなる独立した藩として存続していました。
この一件だけでも飯山城が交通の要衝としての重要性が分かります。
ここを奪われると本当に越後はピンチなのです。そして……。
お前らはワシを本気で怒らせたようだ 逆襲の謙信
信玄に寄せられ、警戒警報が鳴りっぱなしの越後国。
高野山から戻り、改めて家臣の結束を確認した上杉謙信は雪解けを待って出撃します。
まずは飯山城を全力で救援。
勢いそのままに、島津氏の「長沼城」を奪い返します。
そして善光寺平に戻ってきた謙信は横山城に布陣すると、奪われた葛山城を力攻めし、再度、取り戻しました。
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謙信は、この辺り一帯を押さえるにはやはり最前線を犀川にして、そのためには第二次川中島の戦いの和睦条件で破却した旭山城が必要と考えて再興し、ここに本陣を移したのです。
そして、その後は電光石火で次々と城を奪い返して行きました。
この間、武田方の武将は何をしていたのでしょう?
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