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【武田勝頼】
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パワーバランスの再構築
事ここに至り、もはや絶望しか湧いてこない状況ですが、武田勝頼が何もかも諦めたわけではありません。
彼なりに、立て直しを懸命にはかっていたことは伝わってきます。
北条との対決が不可避となった今、真田昌幸を筆頭として攻めるほかありません。
上野方面では、昌幸の動きの冴えもあったのか、なかなか順調な戦況を見せております。斜陽の武田家中で、昌幸だけは元気満々にすら思えてくる、なんだか恐ろしい話ではあります。
戦線だけではなく、外交も重要であり、
・上杉との同盟「甲越同盟」
・佐竹との同盟「甲佐同盟」
このような関係の締結が行われました。
むろん北条側も無策ではなく、徳川との接近が見られます。
天正7年(1579年)から8年にかけて、嫡子・武田信勝の元服が行われたとされます。
これは彼一人のものではなく、彼と同世代の家臣子息たちも同時に元服。
真田昌幸嫡男の真田信幸(後に真田信之)もその一人でした。
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これはただの行事だけではなく、家臣の子息取り込みもはかった【体制固め】という意味合いもあったでしょう。
信勝の生母・龍勝寺殿は信長の養女でもあり、織田との関係改善を狙った意図も感じられます。
勝頼の動きをみていくと、どうにも苦しいものがあります。
家臣との情報共有や、信頼関係に亀裂があったのではないか? と思わせ、そしてその解消に彼が如何に心を砕いていたかも想像できてしまいます。
しかも亀裂の原因は、彼自身のせいではない。信玄由来のものも含まれていて、どうにも胸が苦しくなってくるのです。
勝頼の内政固めと外交交渉は、とどまりません。
ついには織田信長との和睦をも狙いに入れました。
ここで包囲網を整理しておきましょう。
◆北条包囲網
武田・上杉・佐竹
◆武田包囲網
北条・織田・徳川
◆織田包囲網
武田・上杉・本願寺・毛利
この複雑怪奇な関係の中で、織田と和睦を結ぶこと(=「甲江和与」)は重要です。
佐竹と織田は友好関係にありますので、一応「甲佐同盟」は役立ちそう……というのは、あくまで武田の都合です。
織田としては、和睦をするか、滅ぼすか。そこが問題です。
織田包囲網の弱体化を、信長が知らないわけもありません。前述の通り、上杉はパワーダウンをしているのです。
しかし勝頼にはカードがありました。
信長五男・織田信房(御坊丸、勝長でも知られる)です。彼は岩山城主であった遠山氏に養子入りしており、勝頼の元で保護されていたのです。
我が子がかかっているとなれば、必死で取り戻そうとすると考えるのは早計。
信房返還をふまえた和睦に対する信長の対応、かなり高慢なもので、先行きは不安そのものでした。
それだけではありません。
上杉景勝が、相談もなしに何をしているのかと厳重抗議をしてくるのです。その上で織田に上杉からも和睦を申し入れたのでした。
信長は「武田も上杉も、どうせポーズだけだろ」という冷たい対応でした。
それもわからなくもありません。
謙信と信玄時代ならば恐ろしかった敵も、今ではそうではない。信長はそう察知していたのでしょう。
「高天神崩れ」
危ういパワーバランスの中、決定的な崩壊が起こったのは天正8年(1580年)3月のことでした。
徳川勢が遠江・高天神城の攻略を始めたのです。
何があっても勝頼は、救援に向かわなければならない状況。
しかし、それができません。
・上杉景勝は織田勢との戦闘で手一杯であり、援軍派遣ができない
・4月、本願寺顕如、織田包囲網から離脱
・北条との戦闘が継続中であり、余裕がない
武田・上杉・本願寺による織田包囲網は、見るも無残に綻びており、織田・徳川を止めようがありませんでした。
徳川からすれば、領内に残った高天神城を落とすのであれば、まさしく好機。
勝頼は「救援しなければ!」と思いつつも、家臣をまとめることができず、彼らを見殺しにするしかありません。
徳川領の遠江で6年間も耐え続けた高天神城は、9月から翌年5月まで徳川の包囲に耐え続けたものの、結局、陥落してしまいます。
要は、見殺しにされてしまったのでした。
まんが戦国ブギウギ56話 絶滅のカウントダウンは高天神城の見殺しから
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戦国大名の果たすべき役割には、同盟者の救援も入っています。
しかも非常に大きな役割です。
その力すらなく、忠義を見捨てた大名は、もはや仕える価値無しと見放されてしまいます。
国衆が大名に仕えるメリットは、庇護されることであった――それがなくなれば、もはや仕える意味は1ミリもありません。
もはやこれまで……。
諦念と新軌道への模索が、始まっておりました。
武田氏滅亡
勝頼は、それでも外交交渉を諦めませんでした。
北条に対抗するため、佐竹との同盟強化を模索。新府城の建築と移転も、進めました。
この城は、不幸な結末から、狡賢い家臣のアドバイスによる建築とされますが、そこは差し引いて見た方がよいでしょう。
「長篠の戦い」はじめ、変貌したパワーバランスへ対処するためだったと考えた方が良さそうです。
しかし、天正9年(1581年)末から天正10年(1582年)にかけて、いざ新府城への移転が進められる中、いよいよそれどころではない事態が迫ってきます。
穴山信君(梅雪)は、高天神崩れの戦後処理にあたっていました。
その中で不満を溜め込んだとしても不自然ではなく、実際、穴山信君、曽根昌世らが、内通の動きを見せ始めます。
そんな中、織田信長は木曽義昌の内通交渉を受け、武田攻めの決意を固めるのです。
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勝頼は、この討伐に出馬するものの、呼応するように織田信忠が攻め行ってきました。
そのころ浅間山が噴火。
2016年大河ドラマ『真田丸』第一回でも登場した噴火シーンです。
コミカルな演出と、昌幸の人を食った演技に注目が集まりましたが、武田情勢を描く上で大変巧みな描写でした。
・異変に天変地異が重なることで、運命論、天変地異は悪政の報いであるという考え方が伝わる
・武田家宿老の真田昌幸は、もはや武田家はこれまでだと悟った
・昌幸本人の信玄への敬愛は表現されるものの、勝頼に対してはそこまで強くない――君臣間の距離感が示されている
・昌幸はこの時点で北条氏への接触をはかっており、国衆の辛い立場も示される
信長本人は出馬せずとも、嫡子・信忠、同盟者・徳川家康主従の侵攻により、もはや武田家の崩壊は避けられぬ事態でした。
出来上がったばかりの新府城は、火を放たれてしまいます。
人質としてそこにいた家臣の子女をも巻き込み、できたばかりの城は炎の中へと……。
小山田信茂はじめ、多くの家臣が離脱し、孤立する勝頼。
新府城で切腹すべきだという家臣の提言に従わず、勝頼は落ち延びた先の天目山で切腹しました。
妻子、多くの家臣とともに、勝頼は3月11日、自刃したのです。
享年37。
戦国の雄であった武田家は、なぜかくも滅びてしまったのか?
そんな嘆きだけが、兵どもの夢の跡に残されました。
今こそ学びたい、勝頼のこと
本稿は、世界史的な例も挙げ、話をやや大きく広げた感はあります。
しかし、敢えてそうした部分もあります。
不当に貶められていた人物の再評価は、世界史規模で進められており、代表例が断頭台に散ったこの夫妻でしょう。
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現在フランスでは、国王夫妻の処刑はあやまちだったという意見もあります。
君主としての資質にも問題がなく、むしろ太陽王ことルイ14世、最愛王ことルイ15世よりも名君であったという評価もあるほどです。
このルイ16世も、勝頼と似た部分があります。
・想定外の後継者であった
・家にあったシステム疲弊の弊害を受けた
・重なる不運、本人にとってはどうしようもない要素
・貶められた評価
「君主の器量」だけではなく、「システム疲弊の原因」も併せて考えること。
それが、今後の歴史に求められている見方ではないでしょうか。
勝頼の不運と、本人ですらどうしようもなかった要因は、本稿のここまでで見てきた通りです。
重苦しくなるような内容とはいえ、それだけではない興味深いことも多かったと感じませんか。
「英雄がなぜ成功したのか?」
と、同時に
「システムはなぜ崩壊するのか?」
を学ぶことも、歴史の面白さであり、意義でもあるのではないか。
勝頼はその絶好の一例である気がしてなりません。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考】
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