信玄が家康に激怒していた理由

徳川家

信玄が家康に激怒していた根深い因縁~だから武田は徳川へ攻め込んだ

信玄はなぜ家康に怒り、戦争まで仕掛けたのか?

大河ドラマ『どうする家康』を見ていて、そんな疑問を抱いたことはないでしょうか。

第17回放送では【三方ヶ原の戦い】が行われる直前に徳川家康織田信長が密会。

信長「信玄を怒らせるなと言っただろ」

家康「狙いはあなたですよ」

といった会話が繰り広げられ、武田軍vs織田・徳川軍という図式が最初からあったかのように思えたかもしれません。

確かに最終的にはその構図となりましたが、そこに至るまでには武田と徳川のイザコザがあっただけでなく、今川や北条も密接に絡んでいて、全体を捉えないと理解しがたい部分があります。

本稿では、順を追って見て参りしょう。

 

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甲相駿と清洲同盟

『どうする家康』の描写では、今川と徳川の関係からして簡略化されていて、あたかも学園漫画のように描かれました。

部活の顧問に今川義元(野村萬斎さん)。

先輩に今川氏真(溝端淳平さん)、その後輩に徳川家康(松本潤さん)がいて、顧問の前で武術を披露しているかのよう。

たしかに物語上は、野村萬斎さんの演じる義元が、偉大なるゴッドファーザーとして扱われましたが、スケジュールの都合から第1話でスピード退場となりました。

桶狭間で討たれると、その生首は槍にくくられ、織田信長が投げるという驚きの演出。

迫力重視で描かれたようで、違和感を覚えた視聴者も少なくないでしょう。

同様に違和感だらけだったのが、氏真と家康の関係です。

昭和の青春ドラマのように、武術タイマン勝負で決着がつくという展開。

本作のそうした青春コメディ路線が描写された結果、省かれてしまったのが武田・今川・北条の同盟関係です。

史実の今川家は、相模の北条家と数代にわたる姻戚関係がありました。

そして武田家も、今川家と北条家と姻戚で結ばれている。

こうした婚姻を軸に三カ国は争いと同盟を繰り返してきましたが、その一角である今川義元が敗死すると、尾張の織田が台頭してきます。

今川の配下であった三河の徳川も、筍のようにグイグイと伸び、織田と手を結ぶ。

武田と北条からすれば『今後どうしたものか……』という、重大な局面です。

構図にするとこうなります。

甲相駿(武田&北条&今川)

vs

織田&徳川

信玄は家康に対して唐突に怒り出したワケではなく、この時点で対立の火種は芽生えていたのです。

 

将軍義輝の存在

『どうする家康』が省略してしまった重要な描写は他にもあります。

足利義輝です。

『麒麟がくる』では向井理さんが演じ、憂いを帯びた姿が印象的であった義輝。

その横死は衝撃的でした(詳細は以下の記事「永禄の変」にございます)。

永禄の変
永禄の変で13代将軍・義輝自ら刀で応戦!敗死に追い込まれた理由とは

続きを見る

ドラマでは、己の無力さを嘆いていた向井さんの義輝ですが、まがりなりにも将軍であり、影響力が全くなかったわけではありません。

永禄5年(1562年)には、今川氏真・武田信玄北条氏康の三者に御内書を送っています。

今川氏真と徳川家康(当時は松平元康)の停戦を促すよう命じていたのです。

もしも氏真が巻き返して駿河を保っていたら、信玄も甲相駿の既定路線を踏襲できたことでしょう。

しかしそうはなりません。

ゆえに、事態は複雑化します。

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