そんな疑問を抱いたことはないでしょうか。
2023年の大河ドラマ『どうする家康』第17回放送では【三方ヶ原の戦い】が行われる直前に徳川家康と織田信長が密会。
信長「信玄を怒らせるなと言っただろ」
家康「狙いはあなたですよ」
といった会話が繰り広げられ、武田軍vs織田・徳川軍という図式が最初からあったかのように描かれていました。
確かに最終的にはその構図となっていますが、そこに至るまでには武田と徳川のイザコザがあっただけではなく、今川や北条も密接に絡んでいて、全体を捉えないと理解しがたい部分があります。
本稿では、順を追って見て参りしょう。
甲相駿と清洲同盟
『どうする家康』の描写では、今川と徳川の関係からして簡略化されていて、今川義元・今川氏真・徳川家康たちがあたかも学園漫画のように描かれました。
そうした青春コメディ路線が描写された結果、省かれてしまったのが武田・今川・北条の同盟関係です。
史実の今川家は、相模の北条家と数代にわたる姻戚関係がありました。
そして武田家も、今川家と北条家と姻戚で結ばれている。
こうした婚姻を軸に三カ国は争いと同盟を繰り返してきましたが、その一角である今川義元が敗死すると、尾張の織田が台頭。
今川の配下であった三河の徳川も、筍のようにグイグイと伸び、織田と手を結びます。
武田と北条からすれば『今後どうしたものか……』という、重大な局面です。
構図にするとこう。
甲相駿(武田&北条&今川)
vs
織田&徳川
信玄は家康に対して唐突に怒り出したワケではなく、この時点で対立の火種は芽生えていたのです。
将軍義輝の存在
『どうする家康』が省略してしまった重要な描写は他にもあります。
足利義輝です。
『麒麟がくる』では向井理さんが演じ、憂いを帯びた姿が印象的であった義輝。
その横死は衝撃的でした(詳細は以下の記事「永禄の変」にございます)。
永禄の変で敵に囲まれた13代将軍・義輝が自らの刀で応戦したってマジすか?
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ドラマでは、己の無力さを嘆いていた向井さんの義輝ですが、まがりなりにも将軍であり、影響力が全くなかったわけではありません。
永禄5年(1562年)には、今川氏真・武田信玄・北条氏康の三者に御内書を送っています。
今川氏真と徳川家康(当時は松平元康)の停戦を促すよう命じていたのです。
もしも氏真が巻き返して駿河を保っていたら、信玄も甲相駿の既定路線を踏襲できたことでしょう。
しかしそうはなりません。
ゆえに、事態は複雑化します。
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