12月22日は徳川家康にとって非常に特別な日です。
信玄率いる武田軍を相手に三方ヶ原で戦い、完膚なきまでにボコボコにされたのが元亀3年12月22日(1573年1月25日)でした。
そして、この敗戦で有名なのが【焼き味噌伝説】でして。
三方ヶ原の戦場から逃げ出した家康が浜松城へ戻るとき、恐怖のあまり脱糞。
「これは焼き味噌じゃ!」と言って誤魔化したという、なかなか印象的な話だけに、ご存知の方も多いでしょうか。

“しかみ像”としてお馴染み『徳川家康三方ヶ原戦役画像』/wikipediaより引用
しかし、いかにも楽しいエピソードだけに、果たして
脱糞エピソードは実際にあったことなのか?
という疑問も浮かんでくるかもしれません。
史実を振り返ってみましょう。
焼き味噌伝説の真偽
三方ヶ原の戦いで、武田信玄率いる敵に大敗を喫した家康。
命からがら逃走した際、浜松城につくと、鞍に何かがついていました。
「殿、糞を漏らして逃げ帰ったのですか!」
そう指摘した家臣に、家康はこう返しました。
「これは焼き味噌がこぼれただけじゃ!」
こうした逸話そのものは、記録があったとはされています。
ただし、確たるものでもなく、伝聞的に伝わっていったと考えられる。
要は、正確とは思えないエピソードですが、話の題材が題材だけに、面白おかしく現代まで伝えられたのでしょう。
そして【三方ヶ原の戦い】においては、もう一つ大きな伝説が残されています。
「顰(しかみ)像」です。
「しかみ像」も後世のもの
【三方ヶ原の戦い】で信玄に惨敗した家康。
終生そのことを忘れぬよう描かせた絵がこちらの

徳川家康のしかみ像/wikipediaより引用
「顰(しかみ)像」である――そんな話も今に至るまで大々的に伝わっています。
ふくよかでどっしりとした他の家康像とは異なり、一目見たら忘れられないインパクトがありますよね。
信玄との戦で味わった苦い思い、そう言われれば信じたくもなりますが……実は肖像画というのも厄介な存在です。
教科書に掲載されていたお馴染みの「源頼朝像」や「足利尊氏像」は、現在、本人のものとは確定できないとされ、「伝源頼朝像」や「騎馬武者像」と称されている。
家康と同時代を生きた戦国大名・最上義光もそうです。
数十年前の書籍には、最上義光とその愛娘・駒姫の肖像画とされる絵が掲載され、現在では用いられなくなっています。
どちらも後世の画家が描き、当時の正確な像とは見なせないため、取り上げられなくなったのです。
『信長の野望』シリーズの顔グラフィックも、肖像画ベースではない兜を被ったものに変更されています。
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「しかみ像」は、家康の肖像画としては通ります。
ただ、描かれたタイミングが不明です。
明治期には【長篠の戦い】でのものとされ、昭和になってからこんな話が広まったのです。
「【三方ヶ原の戦い】において苦い敗北をした家康公が、その屈辱を忘れぬように描かせたものなのだ」
自らの慢心を諫める――いかにも家康らしい説明のため拡散しましたが、実は出典がありません。
誰かが考えて広まっただけの可能性が高く、史実とは到底見なせないのです。
「焼き味噌」も「しかみ像」も逸話としてはよくできている。ゆえに広く流布してしまったのでしょう。
歴史上の確実な脱糞話といえば
家康の「焼き味噌」が怪しいことはわかった。
では大河ドラマでは、著名人の脱糞エピソードはできないのか?
というと、そんなことはありません。確たる話として残っている有名人がいます。
薩摩藩出身の初代警視総監・川路利良です。

川路利良/wikipediaより引用
川路はフランス旅行中、列車内で堪えきれず脱糞。新聞にくるんで窓から投げ、それがなんとも間の悪いことに線路脇にいた保線夫に命中してしまいます。
包んだ新聞が日本のものであったため、「日本人が列車で脱糞して投げた」と大々的に報道されました。
川路は幕末明治立志伝中の人物です。大河ドラマ『翔ぶが如く』と『西郷どん』にも出演しています。
大河でどうしても脱糞を見せたいなら、川路利良こそ最有力候補でしょう。
こんな面白い出来事なのにあまり知られていないのは、川路に徳川家康ほどの知名度がないためか、あるいは隠したかったのでしょう。
明治時代の逸話となると、検証がしやすく、証拠も残ってしまうのです。
『青天を衝け』の主役である渋沢栄一にも、おもしろい逸話があります。
パリで高級娼婦を口説き、妾として日本に来ないかと誘ったというのです。自ら振り返っているため、実際にあったのでしょう。
こうした面白いエピソードであっても、取捨選択は作り手に委ねられるものです。
そもそも面白い話でしょうか?
人間は極限状態になると、失禁や脱糞してしまうことはよくあります。持病や体質によっては、避けられないことも。
現代人でも、移動時や自由時間の限られた環境ですと、排泄の悩みはあるもの。
そうしたことを笑いものにするのはいかがなものか、とも感じます。
地元で伝えられた伝説から、2000年代以降はインターネットで投稿されて広まった逸話まで。
歴史上の人物や出来事には、さまざまなものがあります。
実際にはなかったことであっても、おもしろいとなれば拡散するところが要注意。
隣国であり、日本も史書編纂の参考にした中国から、『正史三国志』(ちくま学芸文庫全8巻)を例に見てみましょう。
「曹操は若い頃、鷹狩りだのドッグレースにハマってて、どうしようもない遊び人のクズだったんだって」
こんなゴシップめいた話でも、注釈を入れた裴松之(はいしょうし)が出典『曹瞞伝』から引いていると示している。
要は、読む側も、その引用元の信頼度を確認しつつ取捨選択できる。
一方、日本の史書はここまでしっかりしていません。
『鎌倉殿の13人』で三谷幸喜さんが原作のつもりだと語った『吾妻鏡』にせよ、慈円の『愚管抄』あたりとつきあわせて、さらに研究者が推理しつつ読み解いていかねばならない。
歴史上の逸話は扱いが難しいものです。
「うまい話には裏がある」とは言いますが、これは歴史人物の逸話にもあてはまります。
徳川家康の場合、毀誉褒貶が激しいため、特に注意が必要でしょう。

富永商太・絵
江戸時代までは神君伝説として顕彰されながら、明治以降は貶めるための話がおもしろおかしく取り上げられ、叩かれる傾向が強かった。
ゆえに世界を見渡しても、徳川家康の評価が最も低いのは、他ならぬ日本かもしれません。
イギリスの公共放送であるBBCは、『ウォリアーズ』において「シーザーやナポレオンと並び称される英雄」として紹介。
中国語圏では山岡荘八『徳川家康』がベストセラーとなるほど支持されました。
世界中の君主を操作する人気ゲーム『シヴィライゼーション』でも、三英傑では家康が戦国日本代表として最も早くに登場しています。
三英傑のうち世界史人物辞典に掲載される頻度が高いのも、徳川家康です。
このように世界的には高い評価である中、日本では三英傑のうち最も人気がなく、かつ「焼き味噌」で嘲笑されがちな家康。
今後の歴史作品では適切な評価がくだされるよう祈るばかりです。
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参考文献
- 平山優『徳川家康と武田信玄』(角川選書 664)発行年月:2022年11月24日 ISBN:978-4047037120(ISBN-10:4047037125)
出版社公式サイト:KADOKAWA
Amazon:Amazon.co.jp - 柴裕之『徳川家康:境界の領主から天下人へ』(中世から近世へ)発行年月:2017年7月 ISBN:978-4582477313(ISBN-10:4582477313)
出版社公式サイト:平凡社
Amazon:Amazon.co.jp - 『歴史読本 別冊歴史読本 73 甲斐の虎 信玄と武田一族 ― 乱世を駆け抜けた“風林火山”』発行年月:2004年2月(初版刊行年) ISBN:978-4404030733(ISBN-10:4404030738)
書誌情報:紀伊國屋書店
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