元亀3年12月22日(1573年1月25日)は【三方ヶ原の戦い】が起きた日。
家康率いる徳川軍が、信玄の武田軍相手に完膚なきまでに敗北したこの戦い。
ドラマや漫画で描かれがちなのが【焼き味噌伝説】であります。
いったい何なのか?
というと、三方ヶ原の戦場から逃げ出した家康が浜松城へ戻るとき、恐怖のあまり「脱糞」したものを「これは焼き味噌じゃ!」と言って誤魔化したという話ですね。
いかにも楽しいエピソードですが、果たして
脱糞エピソードは実際にあったことなのか?
という疑問も浮かんでくるかもしれません。
史実を振り返ってみましょう。
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焼き味噌伝説の真偽
三方ヶ原の戦いで、武田信玄率いる敵に大敗を喫した家康。
命からがら逃走した際、浜松城につくと、鞍に何かがついていました。
「殿、糞を漏らして逃げ帰ったのですか!」
そう指摘した家臣に、家康はこう返しました。
「これは焼き味噌がこぼれただけじゃ!」
こうした逸話そのものは、記録があったとはされています。
ただし、確たるものでもなく、伝聞的に伝わっていったと考えられる。
要は、正確とは思えないエピソードですが、話の題材が題材だけに、面白おかしく現代まで伝えられたのでしょう。
そして【三方ヶ原の戦い】においては、もう一つ大きな伝説が残されています。
「顰(しかみ)像」です。
「しかみ像」も後世のもの
【三方ヶ原の戦い】で信玄に惨敗した家康。
終生そのことを忘れぬよう描かせた絵がこちらの
「顰(しかみ)像」である――そんな話も今に至るまで大々的に伝わっています。
ふくよかでどっしりとした他の家康像とは異なり、一目見たら忘れられないインパクトがありますよね。
信玄との戦で味わった苦い思い、そう言われれば信じたくもなりますが……実は肖像画というのも厄介な存在です。
教科書に掲載されていたお馴染みの「源頼朝像」や「足利尊氏像」は、現在、本人のものとは確定できないとされ、「伝源頼朝像」や「騎馬武者像」と称されている。
数十年前の書籍には、最上義光とその愛娘・駒姫の肖像画とされる絵が掲載され、現在では用いられなくなっています。
どちらも後世の画家が描き、当時の正確な像とは見なせないため、取り上げられなくなったのです。
『信長の野望』シリーズの顔グラフィックも、肖像画ベースではない兜を被ったものに変更されています。
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「しかみ像」は、家康の肖像画としては通ります。
ただ、描かれたタイミングが不明です。
明治期には【長篠の戦い】でのものとされ、昭和になってからこんな話が広まったのです。
「【三方ヶ原の戦い】において苦い敗北をした家康公が、その屈辱を忘れぬように描かせたものなのだ」
自らの慢心を諫める――いかにも家康らしい説明のため拡散しましたが、実は出典がありません。
誰かが考えて広まっただけの可能性が高く、史実とは到底見なせないのです。
「焼き味噌」も「しかみ像」も逸話としてはよくできている。ゆえに広く流布してしまったのでしょう。
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