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【豊臣秀頼】
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朝鮮出兵のとき淀君が秀吉に内緒で祈祷を
1回目は秀吉公認でした。
城内のお堂で、たくさんの男たちと淀殿がナゾの祈祷をしていており、そこが受胎の場だと考えられています。
この時、生まれた男の子「鶴松」は夭折してしまいます。
秀吉は、これでもう実子は諦めて、養子を育てようと決めました。
ところが、です。
朝鮮出兵のため九州へ行っているうちに、淀殿は勝手に「祈祷」をしてしまい、またもやご懐妊してしまったのです。
これにはさすがの秀吉もキレ、彼女に辛辣な手紙を送りつけました。
「おめでとう(棒読み)。お前の乳で育てなさい」
これのどこがキレているのか?
昔、地位があった女性は、自身の母乳で育てるなんてことは一切せず、他人に任せていました。
母乳で育てるというのは、身分の低い人間のすること。
実際、彼女が1人目を産んだときは、母乳で育てるどころか、手元から子供を取られて、直接育ててすらいないのです。
それゆえ、自身の母乳をあげるということは、淀殿にとっては、つらーいお仕置きとなる――ハズだったのですが。
関係者は殺害された?
これが思わぬ方向に転がっていきます。
彼女は自分の乳をあげて育てているうちに、異常な愛情が芽生えてしまい、秀頼を完全なマザコンへと育ててしまったというのです。
そして、母子は子離れ、親離れできずについに滅亡してしまう。
徳川家康との事前の折衝で、豊臣家が存続するチャンスは何度もありましたが、ついにそうはならずに母子ともども滅亡への道を突き進んでしまったのでした。
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ちなみに、秀頼の実父はどうなったのか?
秀吉留守中に起きた不祥事に関して、唱門師(陰陽師)が追放された。
これがこの先、数年に及ぶ唱門師大弾圧の始まりである。
唱門師はシャーマンとして心理を操り、トランス状態を招くことができ、霊的処術が可能だった。いかがわしい魔術もあったかもしれない。
(粛清された*注)女たちは大坂城内の全員ではない。「若公ノ御袋家中女房衆」すなわち淀殿周辺にいる女房らだと明記している。
唱門師追放の翌日からは淀殿付き女房の処刑が開始された。(服部前掲書)
淀殿の懐妊後、秀吉は、彼女の側近や「祈祷」にかかわったとみられる陰陽師らを徹底的に殺戮してしまいました。
一晩(あるいは数晩?)の営みのために、この世から消されてしまったのです。やはり天下人、怖いですね……。
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文:川和二十六
絵:くらたにゆきこ
【参考】
『河原ノ者・非人・秀吉』(→amazon)