浅井畷の戦い

浅井畷の戦いの舞台となった小松城(天守台)

合戦・軍事

信長家臣の二代目たちが激突【浅井畷の戦い】は北陸の関ヶ原と呼ばれ

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巧みだった大谷吉継の流言

そこで吉継は、流言による情報戦を仕掛けます。

「西軍が伏見城を落とした」という事実に絡ませて「上方は西軍が制圧した」というウソを流し、更には「上杉景勝が旧領・越後を攻め取り、次は加賀へ向かおうとしている」と前田軍にプレッシャーをかけたのです。

虚実巧みに織り交ぜたもので、いかにも信憑性が高い話ばかり。

さらには、加賀へ向かう途中で捕らえていた前田利長の妹婿・中川光重に、これらの流言の裏付けになるような手紙を書き、利長へ送るように脅しているのです。

光重は武将というより茶人だったので、吉継の狙いを見破ったり、対抗することができなかったのでしょう。

ただの噂だけなら利長も話半分程度に受け取ったかもしれません。

しかし、義弟がわざわざ手紙を送ってきたとなれば、信じたくなるのも無理はなく……。

利長は留守中に金沢城が奪われることを恐れ、8月8日に金沢への帰還を決めました。

吉継の狙い通りになったのです。

利長より吉継が一枚上手……というか、吉継が人の心の動きをよく理解していたことがうかがえる話、として受け取るべきですかね。

三成に挙兵を持ちかけられたときも

「お前は日頃から恨みを買いすぎていて、旗頭になるには向かない。味方を募るならば、毛利殿を総大将にしろ」

と言っていたという話もありますから。

 

沼や田んぼ 浅井畷の細道を丹羽軍が追撃

いざ前田軍が金沢まで撤退するとなると、一つ懸念がありました。

小松城に残っている丹羽軍です。

相手は寡兵とは言え、追撃されたら手痛くやられてしまう可能性は否めません。

できるだけ密やかに、小松城を刺激せず……。

そう撤退を試みたものの、やはり大軍の動きは察知され、丹羽軍は小松城から出てきました。

周辺は沼や田んぼが多く、その間にあったのが浅井畷という細い道。ここで前田家vs丹羽家の大激戦があったのです。

※現在の小松駅を挟んで、上が小松城(オレンジ)で、下が浅井畷古戦場跡(赤→参照:まるごと・こまつ・旅なび

丹羽軍は前田軍を待ち伏せして多くの将兵を討ち取り、一時は優勢に立ちました。

が、前田軍も持ち堪えて、金沢への撤退には成功しているので、結果としては痛み分けというところでしょうか。

ちなみにこのとき前田軍には、リベンジの鬼・長連龍(ちょうつらたつ)も参加していました。

長連龍
信長に仕えて復讐の機会を待った長連龍 一族殺戮の恨みを倍返しだ!

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復讐が終わった後も殺る気は健在だったようで、この戦いで最も激しくなった殿しんがりを務めて活躍。

連龍は前田家の家臣というよりは客将のような別格の立場をもらうほど、利家に信用されて重んじられ、利長宛の遺言でも「長連龍と高山右近は必ず役に立つ」と評されていたので、その恩返しだったのでしょうか。

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