お城野郎! 武田・上杉家

第三次川中島の戦い~俺はSHINANO生まれ♪ KITA-SHINANO育ち♪ 不満分子はだいたい・・・♪

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武田左翼軍、猛攻開始!葛山城落城

雨飾城を落として善光寺平の南東部を固めた武田信玄は、上杉方が雪で動けない真冬を狙い、先ほどの旭山城の付け城「葛山城」に馬場信房を派遣して猛攻をかけます。

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馬場信房(信春)の進軍ルート/©2014Google,ZENRIN

馬場信房は武田家の譜代の家老で、この頃は松本城の前身「深志城」の城代でした。松本から川中島までは結構な距離ですが、犀川沿いに下っていくと川中島の西方に出ることができます。その中間の位置に「牧城(まきじょう)」という信濃国人衆の一人「西条氏」の居城がありました。

武田方の味方になった西条氏には松代方面に移ってもらって、牧城まで馬場信房を前進させていました。後に馬場信房はこの牧城を改修して武田流築城術のすべて注ぎ込んだ「牧野島城」を築城します。現在でもこの牧野島城の遺構はよく残っており、武田流築城術を学ぶのに訪れるべき城の一つです。

上杉という後詰めがいなければ堅城、葛山城でもあっさり陥落します。水の手を断ち切られ、火をかけられて落合氏の城兵はほぼ全滅したと言われています。城の水の手というのは極秘中の極秘ですので、真田幸隆が調略した落合氏の親戚衆の手引きがあったのは間違いないでしょう。

このように「城の水の手を断つ」という攻城戦術を見たら内応者の存在を疑いましょう。逆に内応者を得られないと雨飾城の攻城戦のように「水の手を断つ」戦術が使えず苦戦する原因にもなるのです。

 

武田右翼軍、進撃開始! 犀川渡河は危険? じゃあ回り込めばいいじゃん!

次に武田の右翼、松代を完全に手中に収めた真田の信濃先方衆が千曲川に沿って北上します。

この付近には島津氏という上杉方の国人衆がいましたが、島津氏は千曲川の渡しを管理していた居館「長沼城」を捨てて詰めの城「大倉城」に籠もります。しかし勢いに乗って迫ってくる武田の軍勢と大雪で上杉の後詰めが期待できない状況にあっては越後まで落ちていくしかありませんでした。

武田信玄はこの間、もちろん力攻めだけを指示してはいません。

善光寺の北方、越後との国境深くまで調略の手を伸ばし、残る北信濃国人衆も親戚同士の内輪揉めにつけこんで次々と味方に付けていきます。中野、飯山方面では「高梨氏」の親戚衆「山田氏」と「木島氏」の調略に成功し要衝「飯山城」を攻めます。

この飯山城は江戸時代には飯山藩として信越国境の押さえとなる独立した藩として存続していました。この一件だけでも飯山城が交通の要衝としての重要性が分かります。ここを奪われると本当に越後はピンチなのです。

 

お前らはワシを本気で怒らせたようだ 逆襲の上杉謙信

さて警戒警報が鳴りっぱなしの越後国ですが、前年に高野山から戻り、改めて家臣の結束を確認した上杉謙信は雪解けを待って出撃します。

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©2014Google,ZENRIN

まずは飯山城を全力で救援します。勢いそのままに、島津氏の「長沼城」を奪い返します。そして善光寺平に戻ってきた謙信は横山城に布陣。奪われた葛山城を力攻めし、再度、取り戻しました。

謙信はこの辺り一帯を押さえるには、やはり最前線を犀川に、そのためには第2次川中島の戦いの和睦条件で破却した「旭山城」が必要と考えて再興し、ここに本陣を移したのです。そして、その後は電光石火で次々と城を奪い返して行きました。

この間、武田方の武将は何をしていたのでしょう?

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