豊臣秀吉が己の天下を誇示するようにして築いた日本最強(当時)の大坂城。
その死から16年後の1614年に冬の陣を迎え、いざ徳川に攻められても、弱点とされる南側には真田丸が悠然と立ちはだかり、浪人たちの働きもあって、実際、痛い目に遭ったのは徳川でした。
やっぱり大坂城、強すぎ!
しかし、試合に負けて勝負に勝ったのは結局、徳川家康でした。
大坂城の天守へ向けてカルバリン砲(大砲)を打ち込み、首尾よく淀君の侍女を的にすると、今度は和睦交渉へ。その結果、真田丸は取り壊され、更には外堀まで埋められる……だけでは済みませんでした。
どうしてこうなった\(^o^)/
大坂城が無力にされてしまえば、豊臣方は裸同然。もしも新たな合戦となれば、カンタンに負けてしまうことは火を見るより明らかですが、恐怖は人の判断を迷わせてしまうのでしょう。
とことん追い詰められた大阪方。さて、どうする!?
外、外、内、内、左右左右、埋め埋め
◆和睦交渉で決まった条件は主に3つ。
①二の丸、三の丸、総構えをブッコワシ!
②大野治長と織田有楽斎から人質を出す
③秀頼の身分は保証(豊臣方で戦った浪人たちも殺さない)
徳川方はすぐさま徹底的に堀を埋め、櫓や門を壊して、文字通り大坂城を丸裸にしてしまいました。
もう、これで戦う気力なんて削がれてしまいますよね。
もちろん、これで終わる家康ではなく……。
攻めるのか?攻めないのか……攻めるのか?
◆関ヶ原の戦いで遅刻した徳川秀忠は父・家康の動向に右往左往。
後に尾張藩となる徳川義直婚儀のため名古屋に向かい、そしてその足で二条城に向かっていることがわかると、秀忠は「自分が到着するまで待って><;」と藤堂高虎さんに伝えております(そこから家康へ)。
これは秀忠さんが情けないというより、藤堂さんの転職王っぷりが輝く場面っすね。
七度も主君を替えながら家康に信頼された藤堂高虎~元々は豊臣秀長の家臣だった
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寄せ集めのバラバラ 城内では襲撃事件も勃発し
◆結局、窮地に陥った豊臣方は、あくまで浪人たちの集まりで意志もバラバラ。
それを取りまとめるハズの秀頼が力不足では、各自の主張が異なり、うまくいくワケもありません。
そして、徳川との交渉役に任ぜられていた大野治長が、大坂城内で襲撃に遭うという最悪の流れ。
コトここに至れば、もう、玉砕しかないワケで……。
家康よ、リメンバー、三方原!
◆身も蓋もないコト言っちゃってよろしいでしょうか――。
結局、大坂の陣で得したのは真田だけ?
もちろん真田幸村も大助も犠牲になってしまいますが、他の兄弟は伊達家に引き取られて生き延び、幸村の血は残ります。
そして真田の家名は、今なお日本でトップの人気を誇り……。
いや、そのお陰で我々も戦国でワクワクさせていただけるのですが^^
次週へ続く
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