まんが戦国ブギウギ

聚楽第&茶会は豊臣権力の象徴、滅亡の凶兆!まんが戦国ブギウギ105話

四国に続いて九州を平定し、西日本を完全に傘下とした豊臣秀吉

依然として北条、伊達などの坂東武者たちは勢力を保っているものの、彼等の手前にはすでに臣下となった徳川家康が立ち塞がり、もはや天下は時間の問題となっていた。

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伴天連を追放し、地盤を固め、絶大なる権力を得て。

頂点に立った男がその先に見ようとしていたものは――。

 

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聚楽第建立

◆1586年に工事を始め、数ヶ月で完成した聚楽第。

豪華絢爛な装飾品で知られる秀吉さんの邸宅・政庁でしたが、間もなくここは後の関白にして秀吉の甥・豊臣秀次に譲られます。

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秀次さんと言えば、後に秀吉と対立して悲劇に陥ったことで知られますよね。

最近の発掘調査により、同城には新たな堀が見つかっておりますが、これも秀吉との対立から作らせたものでは?なんて見方も。

まさにこのギミック、史実ではありませんが、豊臣の家運を示しているように思えてなりません……

 


expo1587

北野大茶会は秀吉が主催で開いたもので、その趣旨は「お茶(茶器)が好きな人、全員集合!」というド派手な内容でした。

大名や文化人はもとより町人や百姓も、茶好きなら誰でも参加してよいことになっており、それを迎えるのも秀吉の他に「千利休」「津田宗及」「今井宗久」という当代きっての茶人ばかり。

自らの威光を誇示するには最高の場だったんですが……。
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