長屋王の変。
日本史受験の古代史においては避けて通れぬこの一事件は、ともすれば藤原氏との争いに負けた皇族の話――で片付けられがちだ。
が、そこに至るまでのヤリトリは、それなりの理由……というか理屈というか、陰謀が張り巡らされ、一人の有能な政治家が陥れられていった様子が浮かんでくる。
首謀者は藤原四兄弟であることはあまりに有名。
どうしてこのような事態になったのか。
第15話、スタート!!!
長屋王と藤原四兄弟の政争に、実は欠かせない聖武天皇。
東大寺の大仏で知られる同天皇は、病弱だったこともあり仏教を保護したことで知られます。
その一方で、彼の母親が藤原不比等の娘・藤原宮子であったことは受験では出ないので知らない方も多いかも。
「辛巳事件(しんしじけん)」とは、その母親の称号をめぐって起きたもので、長屋王と藤原四兄弟の間が決裂することになります。
両者の間に、聖武天皇の存在があったなんて……意外……。
「もとい」とは、聖武天皇唯一の皇子である「基王(基皇子)」のことです。
生後、約1ヶ月という幼齢で皇太子にたてられながら、1歳とならずに夭折。
それが、まさか長屋王の失脚に繋がるとは。
基皇子は、長屋王の呪詛によって亡くなった――たかが噂なれど、当時は「呪詛」の存在は軽視されず噂はまことしやかに流れて聖武天皇に睨まれてしまったのです。そして……。
聖武天皇が仏教を手厚く保護する一方、長屋王は「僧侶を取り締まる」ことをしていたと言います。
というのも当時は僧侶のポジションは優遇されており、ただ単に税金逃れや、特権を得るため「ニセ僧侶」となる不届き者もいたのです。
更に長屋王には、無作法だった僧侶を「笏で叩き、額から出血させた」という記録も「日本霊異記」にありまして。
こうした積み重ねがやがて爆発してしまうんですな。
それは729年のことでした。
「左道をもって国家反逆を計画している」との理由で、ついに長屋王は自殺へと追い込まれてしいまいました。
左道とは「悪しき教え」という意味で、仏教を重んじる聖武天皇から見ればまさに仏敵。中国では「政治を乱す者」という認識もあったほどです。
要は、言いがかりというか讒言ってやつですよね。
かくして藤原四兄弟は、その位置を盤石とするのでありました。しかし、その四兄弟も間もなく……。
著者:アニィたかはし
【過去作品はコチラから→日本史ブギウギ】
武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を連載。
従来の歴史マンガでは見られない角度やキャラ設定で、日本史の中に斬新すぎる空気を送り続けている。間もなく爆発予感の描き手である(編集部評)