天文10年(1541年)は武田信虎・武田信玄親子にとって一生忘れられない年になったことでしょう。
同年5月、真田昌幸の父であり、真田信繁(幸村)にとっては祖父となる真田幸綱ら海野一族を相手に【海野平の戦い(うんのたいら)】に勝利。
信濃の一部を治めて甲斐に凱旋すると、そのわずか10日後、今度は信虎が駿河へ追放されるのです。
しかも7月に入ると、激しく競り合っていた相模の北条氏綱が亡くなり、信玄にとっては追い風吹きまくる……戦国ブギウギ武田三代記vol.14のスタート!
◆前話を読みたい!という方は以下のリンクからご覧ください
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信玄の妹・禰々が輿入れで諏訪攻略始まる【マンガ武田三代記13】
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海野平の戦い
◆信玄の信濃攻略と言えば欠かせないのが真田幸隆こと真田幸綱!
後に本領に戻り、武田軍の案内かつ先鋒を務めるようになります。
かつては信虎に攻められ追放されていたんですね。
こちらに幸綱さんの詳細記事がございますので、よろしければ併せてご覧ください。
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信玄の快進撃を支えた真田幸綱(幸隆)子の昌幸や孫の幸村へ繋げた生涯62年
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三女
◆天文10年(1541年)5月に出陣した武田軍は、同月14日に勝利。
海野棟綱(むねつな)は上杉憲政を頼って上野国へ落ち、6月4日、武田軍は甲府に帰ります。
運命の日は6月14日――つまり、帰陣後わずか10日目に起きたクーデターを、マンガならではの自由な新解釈を混じえて進みたいと思います!
宣言
◆戦は合戦前の準備ですべて決まる――したがって実際に軍を動かすのは、最後の仕上げのみである。
そんな意識高い系だった武田信玄さん。
完璧を期すなら、これぐらいのことはしてもおかしくないんでは?という著者の新解釈を混じえて追放劇を進めて参ります!
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