戦国ブギウギ武田三代記

海野平の戦いからの~父・信虎の追放劇!【マンガ武田三代記14】

2022/10/28

天文10年(1541年)は武田信虎・武田信玄親子にとって一生忘れられない年になったことでしょう。

同年5月、真田昌幸の父であり、真田信繁(幸村)にとっては祖父となる真田幸綱ら海野一族を相手に【海野平の戦い(うんのたいら)】に勝利。

信濃の一部を治めて甲斐に凱旋すると、そのわずか10日後、今度は信虎が駿河へ追放されるのです。

しかも7月に入ると、激しく競り合っていた相模の北条氏綱が亡くなり、信玄にとっては追い風吹きまくる……戦国ブギウギ武田三代記vol.14のスタート!

◆前話を読みたい!という方は以下のリンクからご覧ください

信玄の妹・禰々が輿入れで諏訪攻略始まる【マンガ武田三代記13】

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◆信長・秀吉・家康の天下統一を描いた戦国ブギウギ

◆聖徳太子の時代から幕末までの超長距離をコツコツ歩んだ日本史ブギウギ

 

海野平の戦い

◆信玄の信濃攻略と言えば欠かせないのが真田幸隆こと真田幸綱!

後に本領に戻り、武田軍の案内かつ先鋒を務めるようになります。

かつては信虎に攻められ追放されていたんですね。

こちらに幸綱さんの詳細記事がございますので、よろしければ併せてご覧ください。

真田幸隆(真田幸綱)
真田幸綱(幸隆)の生涯|信玄の快進撃を陰で支え 真田氏の礎を築いた昌幸父

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三女

◆天文10年(1541年)5月に出陣した武田軍は、同月14日に勝利。

海野棟綱(むねつな)は上杉憲政を頼って上野国へ落ち、6月4日、武田軍は甲府に帰ります。

運命の日は6月14日――つまり、帰陣後わずか10日目に起きたクーデターを、マンガならではの自由な新解釈を混じえて進みたいと思います!

 

宣言

◆戦は合戦前の準備ですべて決まる――したがって実際に軍を動かすのは、最後の仕上げのみである。

そんな意識高い系だった武田信玄さん。

完璧を期すなら、これぐらいのことはしてもおかしくないんでは?という著者の新解釈を混じえて追放劇を進めて参ります!

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アニィたかはし

漫画家。現在は武将ジャパンにて、まんが『大河ブギウギ べらぼう編』シリーズを連載中。 2014年より歴史漫画家として活動を開始し、2015年には連載作品をまとめた商業コミック『織田信長の戦国ブギウギ』(鉄人社)を全国発売。 以降、独自のポップ表現と歴史知識を融合させた「ブギウギシリーズ」を継続し、戦国・江戸・幕末など幅広い時代を題材とした作品を制作している。 2024年からは大河ドラマの各回を題材にした“ドラマ考証型マンガ”へと表現領域を拡大し、作品の幅をさらに広げている。 ◆主な著書 『織田信長の戦国ブギウギ』(鉄人社、2015年、ISBN:978-4865370324) ◆国立国会図書館データ https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/001200494

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