バーフバリ!
バーフバリ!
映画『バーフバリ 伝説誕生』は歴史ワクワクの原点だ!歌って踊って何が悪い?
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と、あの作品の続編にして完結編となる『バーフバリ 王の凱旋』。
ナゼ、忠実なるカッタパッパがバーフバリを手に掛けたのか?
そもそもバーフバリはナゼ王位を追われたのか?
デーヴァセーナが幽閉されている理由は?
シヴァガミが赤ん坊を抱えていた理由は?
謎が全て明かされる!
基本DATA | info |
---|---|
タイトル | 『バーフバリ 王の凱旋』 |
原題 | Baahubali: The Conclusion |
制作年 | 2017年 |
制作国 | インド |
舞台 | 古代インド南部、マヒシュマティ |
時代 | 紀元前6世紀頃から紀元前5世紀頃 |
主な出演者 | プラバース、ラーナー・ダッグバーティ、アヌシュカ・シェッティ、タマンナー |
史実再現度 | 史実を基にした叙事詩的映画、マヒシュマティは「十六大国」のひとつで仏典やジャイナ経聖典に記述がある |
特徴 | 英雄に不可能はない |
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実写版無双のような世界観、何らブレず
あらためて思うんです。
いやぁ、前作ってすごかったですよね……。
どうしてシヴァガミが赤ん坊を抱えていたのかもわからないし、アヴァンティカが助けたいデーヴァセーナが監禁されていたかもわからない。
それでもなんか楽しい、すごい、先が見たい。
で、やっと見たわけですが……。
のっけから暴れ像を制圧しつつ、像を踏んづけて弓矢を射るバーフバリ(父)。
そうなんです、本作はバーフバリの父・アマンドラから物語が始まるのです。
ともかく何もかもが大げさというのは、前作と同じ。
物理法則は通じないし、主人公の射る矢は必ず当たるし、これはもう死ぬんじゃないかと思うほど刀で切られても、割と平気だったりします。
ナゼ主人公周辺人物は強いのか?
彼らに比べると兵士はすぐ吹っ飛ぶのか?
実写版無双のような世界を見ていると、理由は彼らが英雄であり、神のご加護を得ているからだと確信します。
神話や古典の世界には、確かにこのクラスの強さの英雄が登場します。
素手で敵の頸をねじ切り、普通の手段では殺せないから特殊な武器を使うような、そんな存在が登場します。
やたらと大げさで、もはや何を言いたいのかわからない形容詞。
神々へ捧げるやたらと長い歌詞。
そういうものは、洋の東西を問わず神話伝説には出てくるものです。
「だって英雄だもの」で通じる世界
この作品のスゴイところは、そうした要素をそのまま映像にしていることです。
バーフバリが戦う場面では、ずーっとシヴァ神をたたえる歌が流れている。
愛に陶酔するカップルの周囲には、無数のダンサーが現れて舞い踊る。
真っ先にカットされるであろう荒唐無稽な描写を、本作はそのまま入れています。
代わりに入っていないのが、ナゼ彼らが強いのか、ナゼ苦悩するのか、そういう細かい部分です。
マーベル映画は、主人公がどんな能力に覚醒し、ナゼ強くなるのかを描きます。
雷神ソーですら人間界の修行期がありますし、修行を積んでいない段階のドクター・ストレンジは弱い。トニー・スタークは生身では人間。
DCコミックス映画では、ナゼ俺たちは戦うんだと、暗い色調の中で悩んでいたりするわけです。
しかし、マシュマティの英雄はそういう描写は一切なし!
英雄で、主人公で、神の加護があるから無茶苦茶強いし、くよくよ悩まない。
だってそういうものじゃないですか。
たとえば、ヘラクレスが生まれてすぐ蛇を絞め殺した話に、赤ん坊なのにおかしいって誰も言わないじゃないですか。
八岐大蛇を倒すほどのスサノオが、女装しても美人ってありえない、とか言わないじゃないですか。
関羽はなんで無麻酔でも平気で囲碁を打ちながら、手術を受けられたの?とかいちいち言わないじゃないですか!
だって英雄なんだもん。
人間を超越しているんだもん。
バーフバリに関してもまったく同じだと思うんです。
英雄だから。
証明、以上。
人間が考える物語の原点に回帰している点が、本作の力強さ。
人間が考える「英雄ってこうだったらいいな!」という原始的な欲望を、てんこ盛りにしたのが本作なのです。
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