大河ドラマ『西郷どん』で、ドランクドラゴン塚地武雅さんが演じた熊吉。
ユーモラスで心優しい使用人として登場しておりましたが、ふと、こんな風に思ったことはありませんか?
『熊吉さんって、あくまでオリキャラ(ドラマのオリジナルキャラクター)でしょ? 実在しないんでしょ?』
確かに、日本の歴史を振り返ってみれば、使用人の事績や名前が残るケースはほぼありません。
ゆえに熊吉も「ちょうどいいオリキャラだなぁ」と思われがちなのですが、ところがどっこい彼は実在します。
しかも、西郷隆盛や西郷家の大事な場面にはちょいちょい絡んでくるから、とてもスルーはできない重要人物。
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一体、どんな人物なのか。
史実の熊吉(永田熊吉)、その生涯をマトメてみました
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父子二代で西郷家に仕える
熊吉は、彼の父・熊次郎の代から西郷家に仕える使用人(従僕)でした。
誕生は、天保6年(1835年)前後。
同年代の人物は、吉田松陰、坂本龍馬、橋本左内、福沢諭吉等がおります。
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西郷隆盛が文政10年(1827年)生まれですから、実は主人である彼の方が年上なのですね。
ドラマでは、年齢設定を少し変えているのでしょう。
あるいは、父親の代での活躍も加えて、キャラクターを構成しているのかもしれません。
西郷家は貧しい家として描写されています。
それでも、熊吉のような使用人を雇うことはできました。下級武士といえども、その程度の余裕はあったのです。
西郷家のような大家庭では、家族だけではとても生活を回せない、ということもあったのでしょう。
西郷の子・菊次郎の命を救った
西郷が江戸に出てるとき、熊吉は同行しています。
おそらくや身の回りの世話等をしたのでしょう。
そんな彼は、西郷家の歴史の要所において顔を出します。
明治10年(1877年)の西南戦争では、西郷の実子で唯一戦場にいた菊次郎を庇いました。
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菊次郎が右脚を切断すると、背負って戦場を移動したのです。
そのときには40才を超え、当時としては若くはない年齢でしたから、さぞかし苦労したことでしょう。
また、熊吉自身も長岡の戦いで左脚に傷を負いました。
幸い銃弾が貫通したため、切断にまで至らなかったようです。
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熊吉は、西郷から菊次郎を託されました。
菊次郎を庇って、西郷の実弟・西郷従道の陣に投稿。
そこで従道は大変喜んだとされています。
菊次郎とともに行動したため、熊吉は戦線を離脱し、主人である西郷の死を見届けることはありませんでした。
糸の使者として東京に向かう
西郷の死後、残された一家は逆賊の身内として、辛い日々を送ることになります。
非情にもほどがありますが、日本全体に与えた影響を考えれば致し方ありません。
かくして経済的にも困窮していた鹿児島の西郷家に、東京から親戚が多額の香典を持って来ました。
未亡人の西郷糸子は、誇り高い人物です。
香典の受け取りを強く断ります。
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それでも相手は押しつけるように置いて帰京。そこで糸子は、熊吉に香典を返しに行くように頼みました。
熊吉は、わざわざ香典を持って東京にまで向かったのです。
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