渋沢市郎右衛門

幕末・維新

渋沢栄一の父・渋沢市郎右衛門元助はどうやって息子を育て上げたか

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送り出した息子は一橋家に士官

父の言葉を受け、栄一は家を出ました。

が、攘夷計画を実行に移すことはありませんでした。

計画の無謀さを指摘され、それを把握すると、血洗島村へは戻らずに京都へ出て、一橋家に仕官することになったのです。

平岡円四郎の口利きで、徳川慶喜に仕えたのですね。

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そして幕臣として故郷への帰還を試みますが……彼に多大な影響を与えた尾高長七郎が人斬りの罪で囚われの身になっていたこともあり、血洗島村に入ることさえできませんでした。

そこで父とは、妻沼という場所で密会。

一時は、明日の命さえわからなかった息子が立派な武士となったことに、市郎右衛門は涙を流して喜びました。

その後、栄一はパリで開催される万国博覧会へ参加するために渡海します。

長期間の留学を視野に入れ、市郎右衛門に送金を願い出たこともありましたが、明治維新による政情の急変から帰国を余儀なくされ、話は立ち消えになっています。

帰国した栄一を待っていたのは、「見るもの聞くもの不愉快のタネにならないものはない」という悲惨な状況でした。

すべてがひっくりかえったことで、彼ら幕臣は「家をなくした野良犬」のように転落。

親族もみな悲惨な境遇に置かれていることを知ります。

陰鬱な気分を抱えてはいましたが、実に6年ぶりの帰京です。父の市郎右衛門に対しても「故郷を訪ねます」という旨を手紙を書き送りました。

すると、市郎右衛門は栄一が故郷を訪ねるより前に東京に出て、自ら会いに行っています。

 

帰国後の栄一と再会へ

市郎右衛門は、志を遂げられなかった息子が、まず無事に帰還したことを喜びました。

その後、二人はこのような会話をしています。

市郎右衛門「お前はもう息子ではないが、昔からの愛情をもって一応聞いておく。将来どうやって生きていくつもりか」

栄一「とりあえず駿河で前将軍家とともに隠棲します。何かしらの手段で生計は立てていきつつ、旧主を見守るつもりです」

市郎右衛門「帰国したばかりで生活に困っているだろう。身の上が定まるまではと思い、わずかながら金銭を持参した」

もう息子ではない――そう言いながら、実際はお金を持ってきた父。

幸い栄一は、フランス滞在中も倹約に努めていたためいくらかの余裕があり、その旨を父に説明すると、市郎右衛門は大いに安心し、帰郷の途についたといいます。

 

63歳の生涯

その後、栄一は故郷に戻り、父や妻と束の間の再会を楽しみます。

市郎右衛門としても、帰ってきた息子との平穏な暮らしをようやく満喫できると思ったことでしょう。

しかし、時代は栄一の才能を放っておいたりはしません。

今度は新政府で財政面を支えることになったのです。

そして、大久保利通らと対立するなどして、栄一が政府の財政計画に腐心していた矢先のことでした。

「市郎右衛門が大病になった」という知らせが栄一のもとへ届けられます。

栄一は当時大阪への滞在を終えたばかりで、報告書の作成や休暇の申請を行わなければなりませんでした。

手続きを終えてようやく故郷へ帰ると、市郎右衛門は、一時危篤に陥っていた状態から体調が回復。

看病のために息子が訪れてきたことを喜びましたが、そもそも大病を患っていることは本人も理解し、死期を予感していました。

そして死後のことについて事細かに遺言を残すと、数日後ふたたび危篤の状態に陥り……もはや回復することなく、栄一らに見守られながら63歳の生涯を終えました。

「天が終わるほどの心残りで、泣き崩れるしかなかった」

渋沢栄一は葬儀を催して父を送り出しました。

厳しくも優しく、若かりし頃の栄一を支えた市郎右衛門。

その姿は、息子の栄一に望んだ「仁人義士」そのものでした。

栄一を通して市郎右衛門の考えた世の中に与えた影響は、計り知れません。

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文:とーじん

【参考文献】
渋沢栄一記念財団編『渋沢栄一を知る事典』(→amazon
渋沢栄一著、守屋淳編訳『現代語訳渋沢栄一自伝:「論語と算盤」を道標として』(→amazon
土屋喬雄『渋沢栄一』(→amazon
鹿島茂『渋沢栄一』(→amazon

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