ケネディ大統領暗殺時の車

JFK暗殺時のリンカーンリムジン/wikipediaより引用

アメリカ

廃車じゃないんか~い!ケネディ大統領暗殺時に乗っていた車 その後も13年間働く

1963年11月22日に起きた【ケネディ大統領の暗殺事件】で、何より驚きだったのは、衆人環視の中、白昼堂々と射殺されたことでしょう。

それと同様にショックなことがあります。

ケネディが乗っていたあの車=リンカーン・リムジンが、事件後すぐに廃車とはならず、その後13年にも渡って新大統領のパレードに使われていたというのです。

大量消費でバンバンものを使い、そしてぶっ壊す――アメリカンなイメージからかけ離れた堅実な対処とでも申しましょうか。

不吉で呪われそうやんけ……。

NYデイリーニュースでも驚きながら紹介しておりました(→link)。

 


なんで廃車じゃないんだよ!

「なんで廃車じゃないんだよ!」

思わずこんなツッコミを入れてしまった方も少なくないでしょう。

何しろ、記事にはこうあります。

ジョン・F・ケネディ大統領のミッドナイト・ブルーのリンカーン・リムジンは、1963年11月22日(訳注:現地時間)、デイリー・プラザで起きた恐ろしい出来事に永遠に結びつけられるだろう。

50年を経た今、あのリムジンが未だに存在し、事件後も13年間に渡って大統領の自動車パレードに使われたと知れば驚くだろう。

はい、ムチャクチャ驚きました(汗)。

まぁ、悲劇を後世に伝えるため『どこかに飾られているんだろうな』ぐらいには思っていましたけど、まさか実際に使われていたとは……。

透明な防弾カバーをかぶせたリンカーン・コンチネンタルのオープントップ・リムジンに乗るケネディ/wikipediaより引用

むろん今は現役生活を終え、ヘンリー・フォード博物館に飾られております。

場所はミシガンのディアボーンだそうで、博物館キュレーション担当者であるマット・アンダーソン氏は次のように語っております。

「多くの人が、あの車は解体されるか、どこかの倉庫にあり、二度と見る事は無いと思っているようですよね」

しかし実際は違ったのです。

 


JFK暗殺事件にめげずグレードアップ修理

あの車が製造されたのは1961年のこと。

事件当時は2年目だったのですね。

大統領パレード自体、そんなに多くはやらなかったでしょうから、実質新車みたいなものだったでしょう。

だからって、そんな車を使うなんてあまりに不吉じゃありません???

事件の5ヶ月後、車は全面改装され、今度は弾が貫通しない屋根を付けて現場復帰し、その後の大統領のパレードに13年間も使われました。

「リンカーンは事件の捜査終了後、全面改装されてフォード大統領の時代まで使われていたのです」とはアンダーソン氏。

もっとも続けて使うにあたっては、色々とあったと氏は振り返ります。

「リンドン・ジョンソン大統領(事件を受け、副大統領から昇格)は、車を黒く塗るべきだと主張していました。乗るのを嫌がっていたのだと、私は受け止めています」

事件のあった日、ジョンソンは奥さんと別の車に乗ってパレードに参加していました。

確かに自分が大統領だったら、そのときのトラウマを思い出しそうで嫌ですね。

特にテキサスでは乗りたくないでしょう(ジョンソンはテキサス出身でしたし、尚の事そう思ったでしょう)。

暗殺直後にエアフォースワンで第36代大統領の就任宣誓を行う副大統領リンドン・ジョンソン/wikipediaより引用

このリンカーン・コンチネンタル、元々はミッドナイト・ブルーに塗られていました。

納車は1961年6月。
シークレット・サービスにはX-100と言うコードネームが付けられました。

鮮やかで優雅な新型のコンチネンタルについて、アンダーソン氏はこう話しております。

「1960年代に於ける美的感覚の大きな変わり目を象徴していました。若々しさが溢れ、活力がある。大統領と車のイメージの両方がピッタリ合った、希に見る例だと思います」

 


オリジナルを大改造していた

アメリカ大統領が何人も暗殺されているのは、皆様も御存知でしょう。

その為、このリンカーンにも、最初から様々な大改造が施されていました。

オリジナルのリンカーンには装甲が施されていませんでした。

その為、オハイオのシンシナティにあるヘス&エッセンハード社が、車体を切って伸ばし、元よりも3フィート以上長くしています。

同時に特別な革とシート・パディングを車内に敷き、無線電話やシークレット・サービスが非常時に車にしがみつけるようにもしたのだそうです。

シークレット・サービスが車に乗っかり、ジャックリーン夫人を庇おうとしている写真や映像が、大統領暗殺の報道で良く引用されますが、元々そういう事が出来るようにしていたのですね。

ちなみに、後部座席は水圧によって10インチ以上上げる事が出来るようにもしていたとの事です。

後方の車からリムジンに飛び移る護衛官のクリント・ヒル/wikipediaより引用

当時のリンカーン・コンチネンタルは通常価格で約7300ドル。

そこへ、こうした改造を施したので総額で約20万ドルとなりました。

アンダーソン氏によると、今日の価格にしたら150万ドルになるだろうとしています。

リンカーンには3つのタイプの屋根が作られましたが、歴史好き(陰謀ネタ含む)の間で良く知られているのはプレキシグラス製の屋根。

第二次大戦で飛行機のコックピットなどに使われたガラスです。ダラスで雨が降った時に備えて、一応は用意されていました。

「通常のパレードでは、屋根を使いません。だから、あの日にダラスで使って無くても不思議ではありません」とはアンダーソン氏。

実際、当日は晴れ。屋根は使用されずに現場へ差しかかり、悲劇を迎えてしまったのです。

では、事件後のリンカーンはどのような経路をたどったのか。

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