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【ケネディ大統領暗殺時の車】
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事件後、ホワイトハウスの倉庫に、そして改造元へ
事件後、リンカーンは貨物機に乗せられ、アンドリュース空軍基地に降り立ちました。
そして直接ホワイトハウスの車庫に入れられ、シークレット・サービスやFBI、事件の調査に当たったウォーレン委員会などによって調査・分析がされます。
弾丸で損傷したフロント部分は、今なおワシントンDCのナショナル・アーカイブスに残されているそうです。
終了後は、再びヘス&エッセンハード社に送られました。
完全改造の為で、アンダーソン氏に言わせると、理由があります。
時間とカネと需要の問題があったからだろうと言うのです。
事件後も大統領のパレード自体を切望する地域団体が多かった事と、「こうした車をゼロから設計し、製造するとなると3〜4年はかかっていたでしょうから」(アンダーソン氏)という事情がありました。
事件後の改造で、最も重要視されたのは、やはり屋根です。
今度は弾丸にも耐えられ、リムーバブル出来ない屋根にしました。
つまり、オープン・カーでは無くなったのです。
まぁ、ケネディの暗殺事件を反省すればそうなりますよね。
チタニウムがトランクとバックシートに追加装甲され、床も地雷に耐えられるよう鋼鉄製にしたそうで。
その一方、安全だけでなく、大統領に快適に過ごして貰うようにも配慮。
トランクにはエアコンを追加配備し、当然ながら、車体は重くなりました。
総重量1万ポンドとなり、元のリンカーンの倍に相当します。
これに対応するため、エンジンも新型で馬力の強いのに換装しました。
改造に改造を重ね、結果、お値段は50万ドル。現代に換算して380万ドルにまで膨れ上がったとの事です。
もっとも、これだけ改造しても、当事者たる大統領からしたら不安が残ったようです。
後任のジョンソン大統領は、リアウィンドウを高くするか低くするかしろと注文を付けていたのだとか。
逆に、ジョンソンの後を継いだニクソンは、車から顔を出して、群衆に手を振りたいので屋根にハッチを付けてくれと頼んでいます。
両方の注文に応えています。
ちなみにリース品でした……えっ?
驚かせることに、魔改造とも言える過程を経たリンカーンですけど、実はホワイトハウスの所有ではないんですって!
これも驚きですよね。
なんでもフォード自動車から通常価格でリースされていたのだとか。フォードも太っ腹ですなぁ。
まぁ相手が相手だし、逆らえないというのもあったのでしょうし、広告効果もありますよね。
さて、この車ですが、引退後は上記の博物館に飾られます。
展示台数が約100台の中の1台だそうですから、館の側としても重視しているのでしょう。無論、完全に当時のままの状態で保存されています。
「この車をコレクション品と出来たのは特権であり、名誉です」とアンダーソン氏。
「歴史的な出来事を実感するのに、わざわざ体験乗車までしなくても良いでしょうけどね」と続けます。
んー、確かに外から眺めるまでですね〜(汗)。
もし仮に見に行く事があるとするなら「大変やったなぁ」とねぎらって、数珠を片手に拝むぐらいはしてみたい。
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takosaburou・記
(海外メディアブログ「DON」管理人)