ハリエット・タブマンが顔となるアメリカの新20ドル札/wikipediaより引用

アメリカ

20ドル紙幣の顔になったハリエット・タブマン「黒人のモーゼ」と呼ばれ

2019年4月、日本の新紙幣の顔が決まりました。

1万円札→渋沢栄一
5千円札→津田梅子
1千円札→北里柴三郎

一万円札の渋沢栄一は、2021年大河ドラマ『青天をけ』の主役にも選ばれております。

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実はアメリカでも2020年前後に紙幣の顔が変わり、20ドル紙幣には黒人女性初となる
ハリエット・タブマン
が採用されるのですが、皆さんご存知でしたか?

おそらくこんな印象を抱いた方が多いと思われます。

いったい誰?
何をした人なの?
大統領級の偉人なのか?

キング牧師やローザ・パークスならばまだわかる。

しかし、世界史の時間でも習ったことのない、このハリエット・タブマンとは、如何なる実績をお持ちの方なのか?

知られざる激動の生涯をたどってみましょう。

※2019年11月公開の伝記映画

 

見直されるアメリカ建国神話とハリエット・タブマン

コロンブスがアメリカ大陸を発見し、イギリスはじめヨーロッパから入植者が上陸。
イギリスとの独立戦争に勝利し、悪しきインディアンと戦いながら、アメリカを建国する――。

アメリカ合衆国の建国についてはそんな勇敢なる神話が、長いこと語られて来ました。

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しかし、21世紀になってもなってそんな視点から語ろうものなら、一体どういうことかと思われかねない。
熱狂的なトランプ信者ならばまだしも……という時代になりました。

コロンブス・デーは「先住民族の日」に。

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『荒野の七人』(1960年)リメイク版『マグニフィセント・セブン』(2016年)の七人には、黒人、先住民、メキシコ系、アジア系が加わりました。

 

これは当時の人種構成を反映した結果でもあるのです。

 

「ポリティカル・コレクトネス」云々言われるところではありますが、「ホワイトウォッシング」されていた歴史から、本来の要素を取り戻しただけのことと言えます。

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なんだ、紙幣にタブマンってそういう狙いか。
配慮ですね、はいはい……という冷笑を向け思考停止してしまいます。

彼女は賢く、勇気に溢れ、劇的な生涯を送り、権利のために戦い抜いた。
紙幣の顔にふさわしい人物でした。

 

奴隷ミンティの少女時代

18世期半ば――アフリカ西部から奴隷として連れてこられ、メリーランド州ドーチェスター郡の農園に売られたハリエット・タブマン。
母もこの農園で生まれ育ちました。同じく奴隷であった父と結婚したのです。

タブマンは、アフリカにいた先祖から数え、孫世代にあたります。

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奴隷同士の結婚で生まれた女児は、生年すらはっきりしません。
ハリエット・タブマンもまたそうであり、生年は1820年か21年とされています。

アラミンタ・ロス、ミンティという愛称で呼ばれましたが、本稿では結婚後の姓「タブマン」表記で統一させていただきます。

幼いタブマンには、忘れがたい恐怖の記憶がありました。
姉二人が、過酷な差別が待つ深南部に売却され、二度と会えなくなってしまったのです。

家族を引き離される恐怖と苦痛が、彼女の中に刻まれました。

5歳のタブマンは、奴隷として最初の主人に売られ、子守や家事をこなすことになりました。
そこでの女主人に嫌われ、暴言と虐待に遭いつつ、生きることとなったのです。

タブマンにとって数少ない幸運は、黒人奴隷が直面していた性的虐待の被害を避けられたことでした。

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そんな彼女は、15歳の時、生死を彷徨う大事故に見舞われます。

あるとき、彼女が収穫の手伝いに向かった農園で、黒人奴隷が白人の許可を得ずに買い物に行きました。

「ちっ、勝手に逃げやがって。おいお前たち、店まで行って連れ返して来い」

タブマンたち奴隷数名は、捕縛を手伝うためその店へ向かわされました。

そこで白人の監督者は、逃げた奴隷を奴隷を縛るようタブマンに命じます。
彼女が拒むと、その隙に相手は逃げしまいました。

「何やってんだてめえ!」

激怒した監督は、2ポンド(0.9キロ)の分銅を逃亡者めがけて投げつけます。このとき、タブマンは逃亡者をかばうため、追っ手が殺到する店の入り口を塞ぎました。

「逃げて!」

空中に放たれた分銅は、逃亡者ではなく、かばった彼女の頭部に激突。
意識を失い、倒れてしまいました。

生死をさまようほどの重傷です。
この時の後遺症は、生涯彼女を苦しめることとなります。

ナルコレプシーと頭痛に苦しめらる。いきなり眠り込んでしまう。そんな障害が残されたのです。

それだけではありません。彼女は幻想的で奇妙な夢を見ることが増えました。

これは神のお告げではないか?

そう思い、タブマンはメソジストとしての信仰を深めてゆきます。
ジャンヌ・ダルクのような、神秘的な体験が彼女にはあったのです。

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自由への逃亡

1849年、タブマンはある決意を固め、実行に移します。

それは逃亡でした。

彼女はその頃、自由州ペンシルバニア州に近いメリーランド州北部の農園にいました。
1844年に結婚していた夫のジョン・タブマンは自由黒人です。自由州に近いためか、この地は半数が自由黒人であったのです。

自由はどうすれば手に入るのか?

自由黒人の夫となっても、女性は奴隷のまま。
産んだ子も奴隷です。

夫を通してみた自由黒人への道は、眩いものではあります。
しかし、そんな夫の妻である彼女自身は、主人が死亡するとどこへ売られるのかわからないのです。

1847年に主人が死亡して以来、タブマンは売却の恐怖に悩まされていました。

幼い頃、彼女の姉二人が地獄のような深南部に売られていった記憶。
家族を引き裂かれた悪夢が、彼女の胸に蘇ってきます。

そこで、弟二人と一度は逃亡を試みるものの、弟たちが引き返そうと言ったため失敗。
二度目は単独で、クェーカー教徒の助けを得ながらペンシルバニア州都・フィラデルフィアにたどり着いたのでした。

ハリエット・タブマン/wikipediaより引用

これで私も自由の身――しかし、そこにとどまることは賢明とは言えません。逃亡奴隷が逃げ込む土地として認識されているのですから。

しかも、1850年には奴隷逃亡の幇助を罰する【逃亡奴隷法】が成立してしまいます。

タブマンは、それでも留まりました。
後に残した家族と連絡を取るため。そして、もうひとつ大きな目的がありました。

 

黒人のモーゼ、白人の賞金首

私一人だけが自由になるのでは、不十分だ――。

反乱を起こす?

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いや、逃亡という道がある!
タブマンは、逃亡奴隷のために「車掌」となることを選びます。

当時、自由黒人の有志ウィリアム・スティルは鉄道を利用した逃亡奴隷のルートを確立しつつありました。

フレデリック・ダグラス

ジョン・ブラウン

レビ・コフィン
トーマス・ギャレット
といった奴隷解放運動家らと知遇を得て、タブマンはその運動に参加しました。

こうしたルートは「地下鉄道」、タブマンのようなメンバーは「車掌」と呼ばれたのです。
彼女は勇気ある「車掌」としてその名を知られるようになりました。

1851年、メリーランド州で弟夫婦ら11人らを逃亡させることに成功。
このあとも、タブマンは奴隷を導きます。

逃亡ルートの確保、滞在用の家管理、危険極まりない任務を、料理人の仕事の合間にこなしていたのです。

昼は料理人、夜は逃亡奴隷を導く――。
その二重生活は、「車掌」から「指導者」の名が相応しいほど、めざましいものとなってゆくのです。

「あなたこそ、黒人のモーゼだ!」

逃亡の手引きをするタブマンは、そう称されるほどになりました。
メリーランド州からカナダまで、タブマンのネットワークは広大なものに……。

当然、白人奴隷からは敵視され、ついには賞金首とされたほどでした。

タブマンを賞金首とするポスター/wikipediaより引用

危険を顧みず、自由への道を歩く黒人たち。
彼らはしばしば『行け、モーゼ』を口ずさみました。

この歌は、奴隷解放の象徴であり、現在でも多くの人々が口ずさむ歌です。

かつてイスラエルがエジプトの領地であったとき
おお、我が民を解放せよ
民は激しく迫害され抗うことすらできなかった
おお、我が民を解放せよ
行け、モーゼよ
エジプトの大地を下り
古きファラオに告げるがよい
我が民を解放せよ

タブマンが活動した期間は12年間ほど。
解放した奴隷の数は、70人から300人以上まで諸説があります。賞金、回数も同様です。

しかし、ここで数を確定させることは不可能かつ無意味だとも思うのです。
彼女が直接導いただけではなく、整備したネットワークを使った奴隷も含めれば、莫大な数となるしょう。

それだけではありません。
彼女という黒人のモーゼが、どれほど人々に勇気を与えたことか。

その勇敢さは、これだけに留まりません。
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