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【藤田小四郎】
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天狗党
小四郎は文久3年(1863年)3月、藩主・徳川慶篤(よしあつ・徳川慶喜の兄)の従い、上洛を果たします。
このころ京都には尊王攘夷を掲げる長州藩士の桂小五郎や久坂玄瑞らがおりました。
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小四郎は彼らと行動し、公家とも交流をはかります。こうした行動により、水戸藩内でも急進的な尊王攘夷派とみなされるようになりました。
事は急展開をみせます。
八月十八日の政変により、長州藩過激派が京都を追われたのです。
この頃の小四郎は将軍後見職をつとめていた慶喜に従い帰国しており、遠く離れた水戸から同志の挫折を知ることになり、ついに動きます。
天狗党の挙兵です。
小四郎は天狗党を率い、攘夷の一環としてまずは即時鎖港を訴えるべく、筑波山で挙兵したのです。
ではこの天狗党とはいったい何なのか?
実は水戸藩では東湖と斉昭の死後に内部抗争が勃発し、もうひとつの派閥・諸生党(しょせいとう)もありました。
天狗党:斉昭や東湖の意を汲む下級藩士の集団。改革派。志の高さを鼻の高さとかけ「天狗党」と名乗る
諸生党:上級藩士により構成。徳川宗家を苦しめる尊王攘夷と過激な改革に反発する一派
小四郎は武田耕雲斎をリーダーに据え、人員を増やし、挙兵を成功させようとしました。
しかし優柔不断な藩主・徳川慶篤は天狗党から諸生党の支持に切り替え。
結果、挙兵した天狗党は、諸生党のみならず、幕府の追討軍にまで追い詰められ大敗を喫し、一発勝負の上洛を余儀なくされました。
斉昭の命で鋳造した重たい大砲を引きずり、山中を京都まで向かう天狗党。
その行く先々にいる各藩は、天狗党を迎え撃ちました。
しまいには徳川慶喜に天狗党討滅の命を下され、ついに行き詰まってしまいます。慶喜を頼りに上洛しようとしたのに、その当人に敵視されては挙兵の意味すら失ってしまいます。
結果、小四郎らは加賀藩に捕縛され、鰊倉(にしんぐら)に押し込めらることとなりました。
天狗党352名が処刑
捕縛された小四郎を待っていたのは、まさに生き地獄。排泄物を垂れ流すような粗悪な獄中に追いやられます。
そして元治2年2月23日(1865年3月20日)、彼らは町人の処刑場である来迎寺に連行されました。
呆気なく斬首されたのです。
享年24。
小四郎ら指導者を皮切りに、実に天狗党352名が処刑。
彼らの首をすすんで斬り落としたのは、井伊直弼の仇討ちに沸き立つ彦根藩士たちでした。
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安政の大獄の犠牲者すら、死罪は8名。
大久保利通はこの報を受け、幕府の先は短いと嘆息したと伝わります。
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しかも、惨劇はここで終わりません。
小四郎や天狗党の遺骸は塩漬けにされ、水戸藩へ。待ち構えていた諸生党は天狗党の遺族を処刑するのです。その中には、女性や幼い子も多数含まれていたのでした。
惨劇は新たな惨劇を呼びます。
戊辰戦争が勃発すると、天狗党は諸生党に復讐を開始し、またも大量の血が流れました。
明治の世を迎えたとき、新政府に水戸藩の人材がいないのはこうした内部抗争のせいです。主だった人材はすでに斃れ、力尽きていました。
父を目指して挙兵までした小四郎にとっては、あまりに辛い運命です。
同時に天狗党の乱の責任者となった武田耕雲斎もまた一族揃って悲劇的な最期を迎えます。
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詳細は上記の記事に任せますが、それにしても、なぜそれほどまで厳しい悲劇となったのか。
それについては【水戸学】を考えねば理解できないことがあります。
藤田小四郎の思想と密接に関わりがありますが、本稿の趣旨からは少し外れてしまいますので、以下に【水戸学】の考察記事も公開させていただきました。
併せてお読みいただければ幸いです。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
鈴木暎一/日本歴史学会『藤田東湖 (人物叢書)』(→amazon)
高野澄『烈公水戸斉昭』(→amazon)
小島毅『近代日本の陽明学』(→amazon)
小島毅『儒教が支えた明治維新』(→amazon)
片山杜秀『皇国史観』(→amazon)
斎藤貴男『「明治礼賛」の正体』(→amazon)
朴倍暎『儒教と近代国家: 「人倫」の日本、「道徳」の韓国』(→amazon)
吉田俊純『水戸学と明治維新』(→amazon)
小西四郎『徳川慶喜のすべて』(→amazon)
半藤一利『幕末史』(→amazon)
一坂太郎『暗殺の幕末維新史』(→amazon)
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