廃刀令

明治・大正・昭和

廃刀令で武士が不満を募らせたのは本当か?むしろ喜んでいた明治の人々

2025/03/27

明治9年(1876年)3月28日に施行された廃刀令。

文字通り「刀を持つことを禁じた法律」であり、同法によって武士たちの不満がついに爆発し、不平士族の反乱へつながった――というようなことを歴史の授業で習った記憶がある方もおられると思います。

そこで一つ考えてみたいことがあります。

当時、刀を持っていたのは本当に武士だけだったのでしょうか?

答えは否。

豊臣 秀吉による【刀狩り】なんかのイメージも手伝い、江戸期の庶民は武器携帯の一切を禁じられた印象もありますが、現実はさにあらず。

帯刀はときに“ファッション”としての性質も帯びており、一定条件のもと日本中で用いられておりました。

それが明治時代になって全面禁止となるワケで、では、庶民はどう考えていたのか?

「いいじゃねえか、廃刀令」

それが世間的なスタンスでした。

 


ファッションとしての帯刀

「刀は、武器かファッションか?」

そんな問いかけをされたら、大抵の人は「何いってんの、武器でしょ」と一笑に付すかと思います。

しかし、かつてはそうではありませんでした。

江戸時代初期は、

「そりゃファッションでしょ。オシャレには欠かせないもんね!」

と思われておりました。

そのため武士だけではなく、町人も二刀を佩(は)いて颯爽と街を闊歩。

戦国気風を忘れないワイルドなメンズこそ【クール=傾奇者】という時代でした。

戦国気風が強すぎてついには処刑された旗本奴の水野十郎左衛門(初代市川左團次『極付幡随長兵衛』部分 豊原国周画)/wikipediaより引用

しかし、為政者である幕府としては、

「武士の真似してけしからん!」

「いつまでも戦国気風が強くては危険極まりない!」

というわけで、こりゃなんとかしないとイカンと思い始めます。

実際に江戸時代初期、江戸の治安は最低最悪。特に火災が発生すると、無法地帯に逆戻りしてしまいます。

そこで寛文8年(1668年)、江戸町触(えどまちぶれ)でようやく武士以外の帯刀が禁じられたのでした。

 


脇差はOK!冠婚葬祭などフォーマルな場でも

江戸時代を舞台にした時代劇で見られる、丸腰の町人。

このお触れによって皆がそうなった?

というと、実は、そうでもありません。

・脇差は帯びてもよい

・冠婚葬祭や年始、道中はよい

・修験者、医師等は武士ではないけれども帯刀可能

・許可を得た者(郷士等)も帯刀可能

とまぁ、帯刀できるチャンスはかなり恵まれておりまして、長脇差は禁令が出されたものの、脇差そのものに規制は加わりません。

【刀=武器】という感覚からすれば頭が混乱してくるかと思います。

脇差といっても、ナイフの比じゃない殺傷力があります。

それを冠婚葬祭や旅先だからと帯びて歩いているって、ちょっと怖いですよね。

まぁ、それだけ太平の世だったということです。

 

本当にギスギスした時代ならば、武器という考え方になる。

しかし、当時の人にとってはあくまでファッションの一環。

【権威あるフォーマルなファッションアイテム】であるゆえ、冠婚葬祭のようなフォーマルな場では、刀を帯びるのでした。

 

簡単に刀を抜けない時代もあった

徳川吉宗の享保期頃から、帯刀は権威としての象徴が強まって来ます。

享保5年(1720年)。

幕府は、町人や百姓でも、孝行心の強い者や正直者を表彰して、賞金だけではなく苗字帯刀を許すとしました。

もしかしたら、あなたのご実家にも伝わっていませんか?

「ご先祖様にものすごくエライ人がいて、苗字帯刀を許された」みたいなお話。それにはこうした背景があるわけです。

つまり江戸時代の人は、刀を帯びることに憧れておりました。

もちろん刀で人を斬り殺したい――なんて動機ではありません。

前述の通り「刀ってカッコイイじゃん!」「ステータスシンボルだよ!!」というオシャレ事情ですね。

武士ですら刀を武器として積極的に使ったわけではありません。

強盗や凶悪犯の逮捕時ですら、刀で斬り捨てていたのは江戸初期まで。時代がくだるにつれ、捕縛するようになってゆきます。

そんな時に使われていた刺股(さすまた)は、容疑者を遠くから押さえつけるだけで、殺傷力はありませんよね。

帯刀が許可された武士であっても、街中でみだりに刀を抜いてしまったら罰則を受けます。

城中で抜刀したばかりに、大騒動になってしまった事件もありました。

ご存じ【赤穂事件】あるいはそのフィクション『忠臣蔵』です。

国立国会図書館蔵

実際には「切り捨て御免」どころか、刀を抜いた時点で罰則を受けてしまい大変なことになってしまうわけです。

武士が「切り捨て御免」をしている像は、あくまでフィクション。

しかし、そう悠長なことは言ってられない時代が訪れます。

 


刀が武器に戻る――幕末の恐怖

明治時代頃に出た【江戸期の回想録】に、こんな一文が出てきます。

「あの頃は刀で斬られないかとヒヤヒヤしてねぇ」

そうです。明治時代まで生き延びた人たちにとって、刀は殺人に使用される恐ろしいものでした。

彼らが生きた幕末期とは、容赦なく人が殺される時代。

刀の前では拳銃があっても無駄だと、来日外国人すら死を覚悟することもあった時代です。

イギリス公使館焼打事件/wikipediaより引用

『キル・ビル』や『高慢と偏見とゾンビ』のように、日本刀が無茶苦茶強くて恐ろしい――そんな感覚が西洋にまで伝播したのは、もしかしたら幕末期のおぞましい記憶が根底にあるのかもしれません。

幕末の攘夷で、人斬りの標的にされたのは、外国人だけではありません。

海外事情に詳しい学者らも、真っ昼間から斬り捨てられています。

そして、そんな風に物騒だったのは、何も京都だけの話ではありません。

黒船来航よりもずっと前から、つまり攘夷とは一切関係ない時代から、幕政はタガがはずれてきてはおりました。特に関東地方は治安が悪化しており、自ら武装する必要もあったのです。

なぜそんな荒れてしまったのか?

というと、天災や政治事情により社会が制度疲労を起こしており、禁止されたはずの長脇差で武装した「悪党」と呼ばれる連中が関東地方を暴れ回ったのです。

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そのため人々は、自分で身を護る必要が出てきた。

新選組のメンバーが超実践的な剣術を学んでいたのもそういった背景があり、よろしければ上記の詳細記事をご覧ください。

 

怪しい者はその場で斬り捨てよ

幕末動乱が本格化した嘉永・文久年間。

治安はとりかえしがつかないほど悪化します。

凶悪犯でも【生け捕り】を原則にしていた幕府も、もはや【斬り捨て】を命じるようになりました。

浪士、博徒、やくざ、それに相楽総三のようなフリーランス志士。関東地方はこうした暴力を辞さない者によって溢れていたのです。

文久2年(1862年)の「生麦事件」に際しては、

生麦事件のイメージ/国立国会図書館蔵

イギリスの報復を恐れた幕府が、関八州の大名・旗本に対し、いつでも合戦に対応できるよう非常宣言を出していました。

そんな殺伐とした雰囲気が町人や百姓、はたまた旗本にまで伝わってゆきます。

中でも悪名高かったのは、直参の旗本・青木弥太郎。

彼は水戸藩の武田耕雲斎の一族・武田伊織を自称し、尽忠報国を掲げ、強盗殺人を繰り返しました。捕縛後は誰もが音を上げる拷問「石抱き」を何度も耐え抜いたのですから、おそるべき超人ぶり。

青木の愛妾は、吉原女郎出身の雲霧阿辰(くもぎりのおたつ)です。恋人の青木から生首を渡されても平然としていたというのですから、なんとも危険な犯罪者カップルではないですか。

かくして花のお江戸は犯罪都市となりました。

文久3年(1863年)には「怪しいものは逮捕しなくてもよい。その場で斬り捨てよ」というお達しまで出されます。

そんな最中、危険も顧みずに江戸の治安維持を担当したのが庄内藩であり、江戸っ子は彼らに惜しみない声援を送っていたのだとか(庄内藩については以下の酒井了恒記事をご参照ください)。

酒井了恒(酒井玄蕃)
敵も驚くイケメン武士・酒井了恒|戊辰戦争で鬼玄蕃と畏怖された庄内藩家老

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時代の狭間で関東を血に染めたえ事件も発生してます。

・薩摩御用盗……何がなんでも武力討幕を進めたい西郷隆盛の指示により、江戸で凶悪犯罪を連続して起こす

・水戸藩の藩閥抗争……天狗党の乱で壊滅したはずが、維新を契機に武田耕雲斎の孫・金次郎が水戸へ戻り、対立していた諸生党を襲撃。軍資金調達のために寺社や豪農まで襲う。明治になってからも内戦が続き、明治政府によってやっと止められた

血で血を洗う争いを前にして、もはや刀はクールなファッションアイテムなんかじゃありません。

危険極まりない武器。

明治まで生き延びた人々にとって、刀はトラウマの引き金となる恐ろしいものでした。

刀は恐怖の「切り捨て御免」に使われた凶器――そんなイメージは、こうした幕末経験者の経験談が採用されたものなのでしょう。

 

むしろ当然の措置であった「廃刀令」

そんな刀の時代に終わりを告げた明治。

1876年に施行された「廃刀令」と言いますと、こんなイメージがあるかと思います。

「武士の誇りを奪われたため、不満が募っていった」

確かにそういう側面はあり、佐賀の乱西南戦争に代表される【不平士族の反乱】を招いた部分もあります。

しかし、それだけではありません。

◆刀=イケてない

以前から、そんな意見が、実はかなりありました。むしろ多数派です。

ましてや明治時代ともなると、洋装が普及し始めます。そうなると日本刀はおかしい。

文明開化だ、西洋文化だ――そういう流れの中で、刀は急速にダサくなっていくのです。

明治時代の黎明期こそ、身分制度として刀を帯びる階層がありましたが、もう段々とついていけない人が続出し始めたのです。

かつては憧れのアイテムだった刀。それが明治になるとこうです。

「まだ帯刀で消耗しているの? 未だに武士の魂を主張とか、ダサすぎ」

ファッションアイテムとしてカッコ悪いとなると「刀って結局、武器だよね」と思われるワケで。

幕末、さんざん流血沙汰を見てきた人々からすれば、単に危険な存在になったのですね。

例えば福沢諭吉は『文明論之概略』でかなり痛烈に帯刀を馬鹿にしております。

福沢諭吉/wikipediaより引用

本人は、元幕臣という誇りはあり、和服にこだわって刀をさしてみたいなぁ――なんて呟いたりもしていたそうですが、実際に帯刀する人を容赦なくコケにしております。

「戦国武士が帯刀したのは、実用性があるからわかる。

けれども、江戸時代の武士なんて、刀を帯びるだけで、斬り捨てるための剣術を知らない奴が十中八九でしょ。

ただなんとなく惰性で帯刀していただけじゃないですか。

今どき帯刀している人に理由を聞いてみれば、先祖代々だからだとか言いますけど。まともな理由なんてないわけですよ。

さあ言ってみなさいよ、刀を帯びるちゃんとした理由を!」

と、全否定しているのです。

このあたりでまとめましょう。

廃刀令とは、

「明治の人にとっては古くさく嫌なものを廃止する当然の措置」

であり、それでも反発する武士については、

「時代錯誤にもほどがある」

と呆れられる対象でもありました。

その後、警察官や軍人が帯びることはあったものの、日本刀の地位は急激に低下。

空襲による焼失や海外への流出、GHQによる廃棄と、刀は悲劇的な運命をたどり続けます。

 

悲運の衰退をたどった伝統

『刀剣乱舞』がブームになってから、かなりの時間が経過しております。

その人気は今なおとどまるところを知りませんが、もしもゲームから興味を持って刀のことを調べた方がいらっしゃいましたら、その悲劇的な末路に愕然としたことはありませんか?

日本の伝統でありながら、悲運の衰退をたどったものは他にも数多くあります。

明治以降に破損された多くの城。

かつては日本各地にいたのに、絶滅してしまった種が多い日本犬。

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残念ながら、日本刀もそうしたその一種でしょう。

かつては憧れのものであり、武士以外も帯びていた刀。

その歴史は明治以降変貌し、衰退してゆきました。

また刀を帯びる物騒な時代にしたいとは全く思いません。

しかし、刀そのものは大事に引き継いでゆきたいものです。


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【参考文献】
尾脇秀和『刀の明治維新: 「帯刀」は武士の特権か? (歴史文化ライブラリー)』(→amazon
須田努『幕末の世直し万人の戦争状態 (歴史文化ライブラリー)』(→amazon

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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