イギリス公使館焼打事件/wikipediaより引用

幕末・維新

幕末の外国人は侍にガクブル~銃でも勝てない日本刀がヤバけりゃ切腹も恐ろしや

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サムライソードの恐ろしさ

その武器は美しい。

されど銃よりも恐ろしい――。

来日外国人は日本刀に対しても並々ならぬ畏怖の念を抱き、あるフランス人などは「ハンマーのような剃刀」と形容しました。

西洋人にとって、打撃と斬撃が一体化した武器は衝撃的だったのです。

というのも、当時、西洋で用いられていたサーベルは、そこまで威力がありません。

19世紀初頭フランスのサーベル/photo by Rama wikipediaより引用

サーベルは騎兵が馬で走りながら、振り下ろす攻撃手段です。

馬でスピードをつけないと、斬れないわけです。

 

それが日本刀ときたら……加速動作なしで、いきなり高速で抜いて、斬る。

なんでそんなことできるんだよ、おかしいでしょ!! ホワ~イ、ジャパニーズ、サムラ~イ! って話だったんですね。

刀の前では、ピストルが無力であるということも、彼らはよく理解していました。

「ピストルがあれば、無いよりはマシだけど、そもそも相手を刺激してはいけない」

これが鉄則です。

幕末の暗殺事件では、ピストルを構えた相手が発射前に斬られる事件も発生。武士の攻撃前に、確実に仕留めることは相当難しいものでした。

今でも、外国製のゲームやハリウッド映画にサムライソードはしばしば登場しますよね。

前述のとおり、その恐怖感は、幕末に刷り込まれ、未だ印象に残っているのかもしれません。

ただ、それよりもクレイジーで恐怖の対象が【切腹】でした。

切腹については「堺事件」がことのほか激しく、彼ら外国人も顔面蒼白でドン引きしておりますので、以下の関連記事をご覧いただければと存じます。

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攘夷を防ぐ心構え

いかに警戒してようとも、攘夷事件がドコで起きるかわからない。

そして遭遇してしまったら、間違いなく殺されてしまう――。

幕末の彼らの記録には、犠牲者の遺体がいかになまなましく切り刻まれているか、詳細に記されております。

場合によって幕府や藩の護衛が随行しましたが、それだけでは不十分。彼らなりの自衛ノウハウもまとめていました。

・護衛がいる場合はその指示に従う

・単独行動しない

・相手を刺激しない

・ピストルを携行する

・郷に入りては郷に従え、慣習をよく学ぶこと

現代日本でも著名な外交官アーネスト・サトウは「日本に行くからには、テロでサムライに斬殺されるかもしれない……」と本気で覚悟していたそうです。

実際、彼自身も何度か危ない目にあっています。

「サムライやローニンが皆殺人マニアだと言う気はないが……彼らは慎重だ。一度殺すと決めたらかなりの高確率でやり遂げるし、その襲撃を察知することは難しい」

想像すると相当怖いですよね。

察知できない上に、かなりの成功率でやってのけるテロリストがいる中で、活動しなければいけないのです。

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サトウのような、日本に関する知識のある官僚は、対処がうまくできていました。

危険なのは、商人やちょっと観光地感覚で来てしまった外国人たちで、最悪のケースが、生麦事件です。

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彼らはサムライの危険性を意識していませんでした。

ピストルを持つことよりも、集団行動よりも、イの一番に守らなければいけない鉄則。

【サムライを刺激するな】

これを守らなかったのです。

サトウのような経験豊富な外国人は、大名行列はもちろんのこと、道で武士とすれちがった、見かけただけで冷や汗をかいていたそうです。

何が彼らの怒りを刺激するかわからない、どこが地雷かわからない。

そういう相手なのですから無理もないですよね。

生麦事件について、外国のメディアは日本の野蛮さを非難し、最終的には薩英戦争にまで発展することになります。

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しかしそれだけではなく「あの事件は、そもそも自衛が足りないよな」という冷静な見方もあったのです。

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