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【幕末外国人は日本をどう見てた?】
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攘夷というヘイトクライム
攘夷――。
その思想は日本を席巻しました。
明治維新の立役者はじめ、多数の幕末の人々が傾倒しており、なんとなく悪いイメージはない言葉かもしれません。
しかし「攘夷」という言葉は、本質的には「外国人排斥思想」であります。
中身をソフトにするために「日本を植民地化から守るため、愛国の思想だ!」などとも言われますが、現在の観点であれば「ヘイトクライム(憎悪犯罪)」や「テロ行為」としか言いようのないものも含まれていたワケです。
そもそも外国勢力が日本を植民地にしたかったのかどうか。この点については慎重な検討が必要な話です。
実は、攘夷といっても、その中身は「大攘夷」と「小攘夷」があります。
大攘夷:国を強化し、外国と対等になるよう力を付けたうえで、外国からの政治干渉をはねのける
小攘夷:異人ぶっ殺す=ヘイトクライム
幕臣の江間政発は、こう言い残しております。
「幕末の攘夷とは、反対派を叩き潰す看板である」
「小攘夷」はまさにそんな感じですね。そこに思想はなく、反対派は拳で黙らせればいい。ただの暴力です。
【国を思うためであった・相手は奸悪であったから天誅をくだした】といえば、何でも正統化できた。
そういう悪質極まりないものであることも、認識しなければいけません。
勝や福沢、五代らも悪弊を指摘
「小攘夷」は百害あって一利なし。外国人殺傷事件は、主に3つの害悪をもたらしました。
①莫大な賠償金
幕末は大増税が続きました。
外国に対する賠償金の支払いもその一因となっています。
倒幕派は「幕府は弱腰だからだ!」と批判していましたが、明治新政府になってからも支払い義務は消えるわけありませんでした。
見事にブーメランとなって自分たちに帰ってきてしまったのですね。
②内政干渉の口実を与えた
現在でも「自国民を保護するため」というのは、戦争の口実に使われる常套手段です。
幕末でも、攘夷事件が起こるたびに「我が国民を傷つけるというのはどういうことだ!」と外国人たちの態度も硬化してしまし、幕府はそのために頭を下げねばなりませんでした。
弱腰の幕府を作り出した一因は、無謀な小攘夷のせいです
③人命の損耗
そもそもが、貴重な人命が失われているのです。
被害者は外国人だけではなく「外国かぶれの奴だ!」と思われた日本人、外国人警護担当者にも向かいました
★
このようにマイナスの結果しか残していません。
現在だろうが、150年前だろうが、ヘイトクライムである小攘夷は有害な思想に他なりません。
当時の開明的な人物である勝海舟、福沢諭吉、五代友厚らも、その悪弊を指摘するほどです。
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幕末というのは、ドラマや小説では、英雄が活躍するワクワクした時代かもしれません。
それだけではなく、ヘイトクライムの嵐が吹き荒れる、危険極まりない時代であったことも、忘れてはならないでしょう。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
北影英幸『外国人が記録した幕末テロ事件』(→amazon)
半藤一利『幕末史』(→amazon)