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【岩山糸(西郷糸子)】
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潔癖症で冗談好きな糸
糸と西郷との間は、寅太郎・牛次郎・酉三が生まれました。
さらに糸は、西郷の二番目の妻である愛加那の子・西郷菊次郎と菊も養子として引き取り、育て上げることになります。
当時、薩摩の人は奄美大島の人を「島人」と呼び、下に見る差別感情がありました。
しかも、菊次郎と菊は他の女性の子です。
それでも糸は、愛加那の子二人を我が子のように扱いました。
度量の広い女性だったのですね。
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実際、西郷が亡くなったあとも、糸は愛加那に生活費を送り続けるなど、心優しい気配りができたことを窺わせます。
そのうえ糸は冗談を好んだ、明るい性格でもあり、周囲の人々は暮らしやすかったことでしょう。
ただ、大変潔癖症でもあり、他の人が汚れた手でものを触ると、叱りつける一面もあったそうです。
竜馬も褒めた糸
どんなに貧しく、辛い生活でも、泣き言ひとつ言わない糸。西郷はそんな糸を「良妻」であると評しました。
糸はやりくり上手でした。西郷家が借金を返し終えて一息つけたのも、糸の才覚あってのことであったようです。
そんな糸が、西郷にひどく叱られたことがあります。
糸が西郷と結婚したばかりのころ。土佐の坂本竜馬が西郷家に滞在していました。
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あるとき竜馬は、糸にこう頼んで来ました。
「一番古い褌で結構ですので、くださらんか」
糸はその言葉を真に受けて、糸は西郷の使い古した褌を竜馬に渡しました。そのことを夫に話したところ、こっぴどく叱られてしまったのです。
「おはんは、あん人が国のために命を捨てうよな立派な人だとわからんか!」
そう言われて、糸はあわてて褌を交換しました。西郷が糸を最も厳しく叱り飛ばしたのは、このときであったと、糸は回想しています。
※その竜馬は、西郷夫妻を大変素晴らしい人であると、姉・乙女宛の書状に記しております。
一方で、薩摩の男が女を褒めることは珍しかったのですが、西郷は食事がおいしいと必ず糸を褒めました。
客の前でも、「こん煮付けはゆうとできとっと。おいしか」といった調子で褒めるため、照れていたそうです。
彼女も彼女で、西郷を美男子だとも思っていたらしく、「あん人は、役者のようなよか男じゃった」とよくのろけていました。
絵に描いたような幸せなカップルですね。
それが周囲の嫉妬を買わなかったのは、西郷の器もさることながら、彼女が控えめな性格であり、夫がいくら出世しても質素な生活を好んで、偉ぶるようなことがなかったからかもしれません。
西南戦争
激動の維新、戊辰戦争を終え、征韓論で分裂した政府内を離れて西郷は下野します。
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たくさんの犬を連れて、兎狩りや湯治を楽しむ西郷。鹿児島での暮らしは、糸にとっても心安らぐ日々であったことでしょう。
しかし、そんな日々も長くは続きませんでした。
明治10年(1877年)、西南戦争勃発――。戦火が迫り、西郷の一家にとっても逃亡の日々が始まったのです。
西南戦争が始まり、知り合いの家を、転々とする糸たち。
彼女は皆を励まし、食料を調達したり、竹を伐採して、寝る場所を確保したりしました。
城山の裏にあった潜伏先からは、両軍が銃撃し合う音や叫び声が聞こえ、うごめく人の姿や煙も見えます。
【どうか西郷が無事でありますように』
糸たちはそう祈ったことでしょう。
そして、いざというときは自害するため、死装束を用意しながら、息を潜めていました。
時には使用人の熊吉(ドラマではドランクドラゴンの塚地武雅さん)に着替えを託し、夫に届けることもあったそうです。
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祈り虚しくついに城山は陥落。
糸たちは泣きながらその様子を見るほかありませんでした。
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