歴史の分野で「物語」といえば、やはり双璧は『源氏物語』と『平家物語』でしょう。
片や優雅な王朝絵巻(源氏物語)。
片やその後に訪れた戦乱(平家物語)。
テーマに違いこそあれ、大長編かつ何度読み直しても面白い傑作中の傑作ですよね。
しかし、これらの物語は、歴史に残るようなエライ人やその周辺人物しか出てきません。
これが鎌倉~室町時代になると、ちょっと傾向が変わってきます。
名もなき庶民が主役になったり、庶民しか出てこないような話が増えてくるのです。
そういった物語をまとめて【御伽草子】(おとぎぞうし)と呼びます。
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「伽」は話し相手「草子」は物語を表す
「草子」を「草紙」と書くこともあります。
試験で減点されることはなさそうですが、一応先生に確認した上で「そっちの字でもいいんだ」ぐらいの認識をお持ちいただければ。
「伽」という字には「話し相手」という意味があります。
「草子(草紙)」は本そのものや物語の総称です。
これらを踏まえて『御伽草子』を訳すとしたら
「話し相手代わりになるような面白い物語の本」
あるいは
「会話のネタになる本」
みたいな感じでしょうか。
『御伽草子』として伝わっている物語の中には、起源がいつなのかわからないほど古いものもあります。
おそらく一番古いのは、皆さんよくご存じの『浦島太郎』でしょう。
現代のような話になったのは室町時代とされ、原型は8世紀に成立した『丹後国風土記』、あるいはさらに以前に存在していた可能性も考えられています。
今後、もっと古い写本が見つかれば「日本最古の物語」は『竹取物語』ではなく、浦島太郎になるということもありうるでしょう。
とはいえ源氏物語に
「竹取の翁(かぐや姫を見つけた老人)が物語の最初である」
と書かれていますから、京都に伝わっていなかっただけで、地元では存在していた可能性が高そうです。
全編ほぼ短編だから伝わりやすかった
『御伽草子』に含まれる物語は、ほぼ全て短編であることも特徴の一つです。
手書きしかなかった時代ですから、長編を広めるには、よほど優れた内容と写す人手、貴重品である紙が大量に必要になります。
一方、短編であれば、人の記憶だけでも言い伝えることができます。
また『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』など、「御伽草子」と類似した物語集がこれ以前にいくつか成立しています。
たとえば『わらしべ長者』や『雀の恩返し』なども、浦島太郎ほど古くはありませんが、御伽草子以前からこれらの物語集に入っていました。
昔の日本人も創作好きすぎるやろ。
室町時代からそういった物語の本が出始めて、江戸時代初期から出版。より世の中に広まりました。
『御伽草子』という呼び名がついたのも、その頃からだと考えられています。
じゃあなんで本サイトの区分では室町時代なのかって?
いや、教科書や参考書にそう書いてあるんです(´・ω・`)
江戸時代は文化史の比率が他の時代と比べて高めですから、少し室町時代のところにまわしておいたほうが、受験生にとってはいいかもしれませんね。
絵が多いのは「絵解」の影響だった
江戸時代に大々的に出版される前。
室町時代末期には、既に『御伽草子』の挿絵入りの本が出ていたようです。
それを受けて江戸時代の『仮名草子(女子供向けにひらがなで書かれた物語集)』や『浮世草子(大衆小説)』などが出てきたのかもしれませんね。
また『御伽草子』に絵入りの本が多いのは、当時「絵解(えとき)」という職業があったからという見方もあるようです。
絵解とは「仏教的な絵画の意味を、字が読めない・学問と縁がない層の人々に解説する」というのが仕事です。
『御伽草子』に入っている物語も、仏画と同じように読み解いて語り聞かせられ、世の中に広まったのでしょう。
絵解は、民謡などの歌を歌いながら読み解くこともあったらしいです。
なので、数十年前の日本でまだメジャーだった【紙芝居屋さん】みたいに、物語をしながら合いの手を入れたり、演出する人もいたのかもしれません。
この仮定が正しければ、ほとんどの物語に特定の作者がいない(わからない)理由にもなります。
「平家物語の作者は一人ではない」とされているのと同じですね。
もっとも、日本では物語を書き写す際に
「あ、いいこと思いついた! ここをこうしたほうがもっと面白くなるから、ちょっと変えて書いちゃえ!」
ということが珍しくなかったので、物語の作者がわかっているからといって、当時そのままの文章である可能性は非常に低いのですが……。
これこそまさに『源氏物語』がいい例ですね。
光源氏と藤壺の宮や六条御息所などの出会いのシーンがなかったりしますし。
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