湖山風景図/wikipediaより引用

江戸時代

佐竹義敦が確立した秋田蘭画――精緻なデッサン力が江戸時代と思えない

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天明五年(1785年)6月1日は、第八代秋田藩主・佐竹義敦(よしあつ)が亡くなった日です。

時代的には十代将軍・徳川家治の頃の秋田藩主ですね。

江戸中期の大名=苦労人というのがセオリーですが、ご多分に漏れず義敦も中々の苦労をしています。
同時に「秋田蘭画」という面白い絵も確立したりしていて、なかなか興味深い御方でもあります。

早速、見て参りましょう。

 

秋田騒動の余韻冷めやらぬうちに藩主となり

佐竹義敦は1758年、10歳のときに父親が亡くなり、藩主を継ぎました。

幼少期から江戸で過ごしており、その7年後の1765年、初めて国元入りした際、秋田藩の財布はまさにスカンピン。
度重なる飢饉で藩の懐は寂しくなり、農民の数も激減しておりました。

半世紀ほど前のお家騒動の余波がまだ残っていたのです。

このお家騒動はそのまんま「秋田騒動」と呼ばれています。
ひとことで言うと「もともとトンデモなかった借金が、藩主の後継問題・政策の失敗・飢饉のトリプルコンボをくらって最悪になった」という感じ。
不幸コレクションのようで聞いてるほうがトゥライ。

残念ながら、義敦はこの問題を解決することはできません。
彼の名は、全く別の分野で特記されることになるのです。

佐竹義敦/wikipediaより引用

 

和洋の技術を取り込んだ「秋田蘭画」の技法を確立

その頃、秋田藩にはあの平賀源内がやってきていました。
鉱山開発のため、彼の知識が必要とされたのです。

平賀源内/wikipediaより引用

はるばる秋田までやって来た源内は、一人の秋田藩士と出会いました。

小田野直武(おだの なおたけ)という人で、源内は彼の絵心を見抜き、「試しに西洋のやり方で描いてごらん」と助言。
実際に、直武が源内の言う手法を取り入れて描いてみると、日本画と西洋画の技術がうまく融合した、全く違う絵ができあがったのです。

この変わった絵の話を聞いた義敦は、早速、直武を召し出しました。

元々義敦と直武は年も近く、その上興味のある分野も同じだったわけですから、打ち解けやすかったのかもしれません。
以降、義敦は直武を絵の師と仰ぐようになります。

小田野直武『東叡山不忍池』/wikipediaより引用

彼らの描く、日本と西洋の技術が融け合った絵は、「秋田蘭画」と呼ばれるほど高い評価を得るようになりました。

日本画をベースに陰影や立体感などが加わった手法で、義敦を通じてときの蘭癖大名(らんぺきだいみょう・オランダ西洋式を好む大名)にも広まっていきます。

有名どころでは、以前当コーナーでも取り上げた細川重賢などがいます。
熊本藩の財政改革に成功した人で、いかにも節倹に厳しそうな感じがしますが、芸術に理解があったというのは意外ですね。

蘭癖大名と言われていたからでしょうか。

 

解体新書の挿絵も頼まれることに

やがて、義敦自身も「曙山(しょざん)」という号を持つほどの腕前になりました。

彼の代表作品である「湖山風景図」は、日本画らしさと西洋画が混ざったようなリアリティを持ちます。
特に手前の松の木はもはや写真レベルです(記事TOP掲載)。

義敦はかなり丁寧な人だったらしく、今日残っている写生帳もカラーで丁寧に描かれています。
こちらも遠目で見ると写真かと思うくらいにリアルです。

文化遺産オンラインではサボテンの絵のページを見ることができるのですが、この時代にいったいどこでサボテンを見たんでしょうね。蘭癖大名の誰かが持っていたのを見せてもらったのでしょうか。

また、直武は源内を通じて杉田玄白と知り合い、「解体新書」の挿絵も描いていました。
「あんまり上手ではないけど、頼まれたので頑張って描きました」と自分で書いているあたり、謙虚な人だったのでしょう。

残念なことに、義篤も直武も若くして亡くなったため、技術を伝えることができなかったのか、秋田藩で蘭画を続ける人はその後出てきませんでした。
義敦の息子・佐竹義和(よしまさ)も絵心のある人だったようなのですけれども、蘭画はやらなかったのでしょうかね。

義和の作品の画像が出てこなかったので判断しかねるところではありますが(´・ω・`)

佐竹家の菩提寺・天徳寺(秋田市)に義和の描いた聖観世音菩薩像があるようなので、毎年夏の寺宝公開で見られるかもしれません。

代わりに(?)同じく平賀源内の知己だった司馬江漢が日本画と西洋画の融合という方向性の作品を残しています。

司馬江漢の寒柳水禽図/Wikipediaより引用

秋田蘭画は現在、秋田県立近代美術館(秋田県横手市)、秋田市立千秋美術館などに収蔵されています。
つい先日まで直武の代表作「不忍池図」が展示されていたようです。

優れた作品ほど別の場所で展示・保管されていることが多い中、地元のものが地元で展示されているというのはいいですね。

特に秋田県立近代美術館のほうは、だいたい一ヶ月ごとに秋田蘭画の展示替えをしているようなので、スケジュールをチェックしてから出かけるのもいいかもしれません。

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
佐竹義敦/Wikipedia
小田野直武/Wikipedia
秋田蘭画/Wikipedia
佐竹曙山写生帖/文化遺産オンライン
絹本著色不忍池図〈小田野直武筆〉/文化遺産オンライン

 



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