絵・小久ヒロ

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そもそも計画が杜撰過ぎ!だから由比正雪の乱は失敗した

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現代の我々から見てもガバガバな計画だったわけで

当時の天皇は後光明天皇でした。

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詳しくは上記の過去記事に譲りますが、皇室では珍しく、自ら武道を嗜んでいたという方です。

絶対に大人しく誘拐されないというか、もし御所に踏み込んだとしても、足利義輝の最期みたいになりそうで……。

正雪たちは後光明天皇の人となりを知らなかったんでしょうか。

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そんな感じで、現代の我々から見てもガバガバな計画で、オチもまた「何だかなあ」というものでした。

正雪の門下生の中に幕府からの隠密が混ざっており、計画は事前にあっさりバレ、プランA担当だった正雪の同志・槍術師範の丸橋忠弥がとっ捕まります。

プランB担当の正雪は既に京都へ向かっていたのですが、途中、駿府の宿で包囲され、自決しました。

大坂の担当者も自害し、忠弥は磔刑に処されて計画は失敗に終わっています。

浪人が味方になってくれると思っていた割に、正雪が囲まれたときに誰も助けに来なかったあたり、たとえ駿府で逃げ切れたとしても京都で捕まったでしょう。

 

幕府の方針変更で結果的には……

その後、正雪の遺品から紀州藩初代・徳川頼宣からとされる書状が見つかったため、一時「将軍の親戚が謀反!?」と騒動になりました。

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偽物であると判断され、大きな処分にはなっていませんが、頼宣はこれ以降、実質的に幕政に関わることはできなくなっています。

幕閣にも警戒され、紀州藩には、幕府の隠密が多数放たれていたとか。

また、翌年にも似たような事件が起きており、幕府は「これ以上浪人を増やすのはマズイ」と判断したのか。

このころから文治政治に路線を変えていきます。

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具体的には、

「家光時代まで頻繁に行われていた大名の改易を控える」
「末期養子(大名が死ぬギリギリに養子を迎えること)を認める」

などの緩和策によって、浪人の増加を防ぎ、治安を安定させようとしました。

皮肉にも、結果として正雪らの目的は達成されたことになります。

正雪が幕府に仕えて、信頼を得たところで「私の門下にも、改易に遭って生活に困っている者がたくさんいます。何か仕事を与えてやってもらえませんか」とでも持ちかければ、死人は出なかったんじゃないですかね……。

まったくもって手段と目的が入れ替わると恐ろしいものです。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
由井正雪/Wikipedia
慶安の変/Wikipedia

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