江戸時代

JIN-仁-の舞台・江戸時代は医学が劇的進歩をしている最中だった

現代医療に慣れ親しんだ皆さんであれば、江戸時代の医療については漠然と『遅れている』というイメージをお持ちだろう。

ドラマ『JIN-仁-』では、神がかったような手捌きに言葉も忘れて息を呑み、ただただ呆然とするだけの江戸医者たち。

そんな風に描かれていれば、たしかに当時の技術が原始的だと感じても仕方がない。

が、実のところ、江戸時代は医療が革新的に進歩している最中であった。

本稿では、国内における西洋医学導入から江戸時代に存在した流派まで、江戸時代の医療について『仁』とあわせて考察してみた。

 

『仁』に登場する緒方洪庵や松本良順といった蘭学の心得がある医師達が出現するのは江戸時代後期のこと。

もちろん、西洋医学が正しく、東洋医学が劣っているという訳ではないが、外科的アプローチをするのに西洋医学の心得は必須である。

その始まりは、宮中侍医・山脇東洋の腑分け(解剖)だ。

宝暦4年(1754年)、山脇東洋は漢方医術が主流だった医学に疑問を抱き、漢方医が唱える「五臓六腑説」が正しいのかどうかを確かめるべく、幕府に申請し、許可を得た後に男性の囚人を腑分けした。

その成果は5年の年月を経て『臓誌』の刊行によって世に広められた。

女性の腑分けが行われたのはその後で、明和8年(1771年)のこと。

この間、17年の歳月が流れており、解剖する許可がいかに得難いものだったかうかがい知れる。

しかしこの腑分けによって、オランダから伝わった西洋医学の正確さが白日の元に晒されると、杉田玄白など当時の医学を牽引していた者たちは驚き、西洋医学の必要性を実感した。

解体新書640

杉田玄白による解体新書/wikipediaより引用

現在では、人体骨格の標本などは理科の実験室にどこにでもあるものだが、現存する当時の標本は文政3年に大阪の医師・奥田万里が職人に造らせた木製のものがある。

実際に見てみると、現代と変わらないその精巧さに驚かされる。

 

多大なる犠牲を払って生まれた麻酔薬

『仁』でも登場する乳がん。

その治療で当時最先端と言えば華岡流である。

独自に開発された経口麻酔薬・「通仙散」を用いて乳がんの摘出を行うという流れが図表で示されているが、この方法で華岡流は世界で初めて全身麻酔による乳癌手術を成功させている。

ドラマでは仁先生が野風の乳がんを華岡流の麻酔薬を使って手術しているシーンは印象的であっただろう。

あれも通仙散が調合できれば全くない話ではないのだ。

ただし……。

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