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『光る君へ』感想あらすじレビュー第16回「華の影」

正暦4年(993年)、まひろは友人のさわと石山寺に参詣しました。

そこで思いがけず『蜻蛉日記』を書いた藤原寧子藤原道綱母)と出会い、書くことの意義を見出す――しかし、同行したさわは傷ついてしまいました。

『蜻蛉日記』の話の時、自分だけ除け者にされたと感じてしまった。味方だと思っていたのに違う。私のことなんてどうでもいいのだと。

家でも疎外感があったさわは、石山寺で一層その気持ちを強めてしまったのです。

生きている甲斐のないどうでもいい人間……これ以上、私を惨めにさせないで! もう放っておいて!

そう叫びながら、彼女は去ってしまいます。

嗚呼、年老いてもずっと一緒にいようと誓ったのになんと悲しいことでしょう。

まひろのせいというより、まひろとさわを間違えて忍んできた藤原道綱が悪い。

まひろはどこか変わり者ではあります。その変なところに気づいていても、相手がそこを気にしないようにすればよいのだとは思います。

ただ、一旦、違和感を覚えたら一気に絶交されるタイプかもしれません。

ききょうこと清少納言は露骨にチクチクするし、明らかに攻撃的ですが、まひろは表面的には穏やかで、どこか変わっていますので難しい。

いとに出迎えられたまひろは、お守りを渡します。

そして寧子の「書くことで悲しみを癒した」という言葉を思い出しつつ、墨を擦るのでした。

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香炉峰の雪は

正暦5年(994年)の正月が来ました。

平安京は雪景色――定子のいる登華殿はますます賑やかに、積極的に若者を招くようになっています。

弟の藤原隆家も元服しました。

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中関白家は帝との親しさを周囲に見せつけます。

まずは藤原伊周が、行成が献上したいものがあると帝に伝える。

藤原行成筆の『古今和歌集』でした。

それを広げながら喜ぶ帝と、その反応にどこか誇らしげな行成。

行成は真面目で控えめな人格者ですが、自分が達筆だという自覚はありました。

満足げな帝の隣で、藤原定子も麗しい文字だとうっとりしています。

書道担当の根本知先生はどれほど気合を入れて書いた文字でしょうか。伝説的な美しい文字の再現に眼福。これぞ伝説です。

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藤原斉信からも献上品がありました。

越前からの銅鏡です。

越前からということは、北宋からの渡来品でしょうか?

越前はこのあと出てくる場所ですので、予習の意味もあるのかもしれませんし、【刀威の入寇】で対応する藤原隆家も出てきました。

当時の外交や国際関係を考えてみることもおもしろいですよ。

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伊周が少しからかうように「斉信は女子の贈り物に慣れている」と言うと、慌てて否定する斉信。

この場には清少納言もいるわけで、彼女はこういいます。

「皆、お上のよき友として長らくお付き合いくださいませね」

斉信は漢詩の会以来、清少納言が気になっています。今後、二人はどうなるのか? 気になるところですね。

斉信から鏡を貰って喜ぶ定子が、今日は何をして遊ぼうか?と声をかけると、帝は任せるとのこと。そこで彼女は、清少納言にこう声を掛けます。

「香炉峰の雪はいかがであろうか?」

すぐさまその意を察したように、女房たちに御簾を巻き上げるよう伝えながら、自らも御簾をあげる清少納言。

そして定子に、近くで雪を見るように促します。

土佐光起画『清少納言図』/wikipediaより引用

一体どういうことなのか?

隆家がそう不思議がっていると、藤原公任が「白楽天の詩だ」と答えます。

「香炉峰下新に山居を卜(ぼく)す」

遺愛寺の鐘は枕に欹(そばだ)ちて聴き

香炉峰の雪は簾を撥(かかげ)て看(み)る

原典ですと、簾は巻くというより、手で払って見るニュアンスですかね。

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定子の意をすぐに察した清少納言を褒めると、いつもこうできるかどうかはわからないと謙遜しながらドギマギしています。

その日は雪遊びをすることになりました。

大きな雪山を作るぞ!と浮かれる貴族たち。

「子供かよw」と笑われるかもしれませんが、平安貴族の雪山は、侮らない方がよいですよ。

しっかりした防寒具もないような時代なのに、記録を見るとなかなか巨大なものを作り上げております。

劇中では、斉信も、公任も、行成も、伊周も、そして帝と中宮まで、子どものようにはしゃいで雪で遊ぶのでした。

隆家だけが何が楽しいのかわからないと清少納言に言いつつ、参加しておりません。

するとそこへ藤原道長が近づいてきましたが、雪遊びの様子を見て「今日はやめておこう」と引き返します。

理想的で、この時が永遠に続いて欲しいような、美しい情景ではありますね。『枕草子』を再現したような場面が見られるなんて、感無量です。

ただし、美しいだけか?というと気になることがあり、後述いたしましょう。

ちなみにこの貴族の雪山作りも、平安時代末期になると一風変わった人物がでてきます。

「悪左府」こと藤原頼長です。

彼の日記『台記』によると、独力で巨大な雪山づくりをぶっ通しでしていたとか。一体なんなのでしょう……。

ちなみに紫式部は、平安京とは比較にならないほどの豪雪地帯である越前に住んでいます。

日本海側の豪雪を目の当たりにした彼女からすれば、平安京の雪なぞ大したことはないと思えたことでしょう。

 

中関白家に靡く貴族たち

藤原行成が帝の美しさをしみじみ思い返していると、斉信が「道長寄りではなかったか?」と揶揄するように言います。

道長は道長、今日は帝だと返す行成。

一方、藤原公任は、帝の御前でも直衣姿だった藤原伊周に不満があるようです。

斉信は「帝が許しているのだから」と言いながら、「自分にも娘がいれば入内させる」と続けます。

今からでも間に合うと公任に言われ、その気になる斉信……とかなんとか言いつつ、清少納言あたりのことが気になっているんでしょうね。

一方、すっかりF4から抜けたような藤原道長は、自宅で源倫子と共に愛娘の藤原彰子を見ています。

彰子は入内を考えないで欲しいと訴える倫子。

道長も、このマイペースな娘では帝の妃は務まらないと思っている様子ですね。ただ、倫子としては、今はぼんやりしているけどそのうち化けるかもという思いもあるとか。

ぼんやりしているのは自分に似たのだと言う道長は、「このままでよい、このまま苦労なく育って欲しい」と語るのでした。

再び舞台は、綺羅びやかな中関白家へ。

定子が琴を弾き、帝が笛を吹いています。

夫婦で楽器を演奏する様は「琴瑟(きんしつ)相和す」という漢籍由来の言葉もあり、夫婦和合の象徴。

伊周が舞いを始めると、弟の隆家は座ったままぞんざいな姿勢で杯を手にしている。

しかし伊周に促され、隆家も舞い始めます。

「タアハア トヨリョロ」

声を上げながら、優美に舞う貴公子たち。

こうした時代ごとの芸能再現はこれからの時代重要です。

中国では時代ごとの舞姿の動画があり、見応えがあります。

アジアの時代劇は近世以降に集中する傾向もありましたが、韓流にせよ、華流にせよ、それより古い時代のものが増えている。

時代劇や大河ドラマというと、戦国時代や幕末といった定番の時代だけを思い浮かべるのはもう古くなっているのです。

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