光る君へ感想あらすじレビュー

光る君へ感想あらすじ

『光る君へ』感想あらすじレビュー第16回「華の影」

2024/04/22

正暦4年(993年)、まひろは友人のさわと石山寺に参詣しました。

そこで思いがけず『蜻蛉日記』を書いた藤原寧子(藤原道綱母)と出会い、書くことの意義を見出す――しかし、同行したさわは傷ついてしまいました。

『蜻蛉日記』の話の時、自分だけ除け者にされたと感じてしまった。味方だと思っていたのに違う。私のことなんてどうでもいいのだと。

家でも疎外感があったさわは、石山寺で一層その気持ちを強めてしまったのです。

生きている甲斐のないどうでもいい人間……これ以上、私を惨めにさせないで! もう放っておいて!

そう叫びながら、彼女は去ってしまいます。

嗚呼、年老いてもずっと一緒にいようと誓ったのになんと悲しいことでしょう。

まひろのせいというより、まひろとさわを間違えて忍んできた藤原道綱が悪い。

まひろはどこか変わり者ではあります。その変なところに気づいていても、相手がそこを気にしないようにすればよいのだとは思います。

ただ、一旦、違和感を覚えたら一気に絶交されるタイプかもしれません。

ききょうこと清少納言は露骨にチクチクするし、明らかに攻撃的ですが、まひろは表面的には穏やかで、どこか変わっていますので難しい。

いとに出迎えられたまひろは、お守りを渡します。

そして寧子の「書くことで悲しみを癒した」という言葉を思い出しつつ、墨を擦るのでした。

※以下は藤原道綱母と蜻蛉日記の関連記事となります

藤原道綱母と蜻蛉日記
愛憎劇が赤裸々に描かれた藤原道綱母『蜻蛉日記』兼家とはどんな関係?

続きを見る

 


香炉峰の雪は

正暦5年(994年)の正月が来ました。

平安京は雪景色――定子のいる登華殿はますます賑やかに、積極的に若者を招くようになっています。

弟の藤原隆家も元服しました。

『愛国物語』に描かれた藤原隆家
藤原隆家の生涯|天下のさがな者と呼ばれた貴族が政争に敗れて異国の賊を撃退

続きを見る

中関白家は帝との親しさを周囲に見せつけます。

まずは藤原伊周が、行成が献上したいものがあると帝に伝える。

藤原行成筆の『古今和歌集』でした。

それを広げながら喜ぶ帝と、その反応にどこか誇らしげな行成。

行成は真面目で控えめな人格者ですが、自分が達筆だという自覚はありました。

満足げな帝の隣で、藤原定子も麗しい文字だとうっとりしています。

書道担当の根本知先生はどれほど気合を入れて書いた文字でしょうか。伝説的な美しい文字の再現に眼福。これぞ伝説です。

かな書道が光る『光る君へ』「三跡」行成が生きた時代

続きを見る

藤原斉信からも献上品がありました。

越前からの銅鏡です。

越前からということは、北宋からの渡来品でしょうか?

越前はこのあと出てくる場所ですので、予習の意味もあるのかもしれませんし、【刀威の入寇】で対応する藤原隆家も出てきました。

当時の外交や国際関係を考えてみることもおもしろいですよ。

刀伊の入寇
「刀伊の入寇」で対馬や壱岐の住人虐殺!いったい誰が何のため襲撃した?

続きを見る

朱仁聡(浩歌 ハオゴー)
宋の商人・朱仁聡(浩歌)は実在した?為時と紫式部の恩人と言える?

続きを見る

周明(光る君へ)
『光る君へ』宋の周明(松下洸平)とは何者?紫式部の知力を強化する存在となる?

続きを見る

伊周が少しからかうように「斉信は女子の贈り物に慣れている」と言うと、慌てて否定する斉信。

この場には清少納言もいるわけで、彼女はこういいます。

「皆、お上のよき友として長らくお付き合いくださいませね」

斉信は漢詩の会以来、清少納言が気になっています。今後、二人はどうなるのか? 気になるところですね。

斉信から鏡を貰って喜ぶ定子が、今日は何をして遊ぼうか?と声をかけると、帝は任せるとのこと。そこで彼女は、清少納言にこう声を掛けます。

「香炉峰の雪はいかがであろうか?」

すぐさまその意を察したように、女房たちに御簾を巻き上げるよう伝えながら、自らも御簾をあげる清少納言。

そして定子に、近くで雪を見るように促します。

土佐光起画『清少納言図』/wikipediaより引用

一体どういうことなのか?

隆家がそう不思議がっていると、藤原公任が「白楽天の詩だ」と答えます。

「香炉峰下新に山居を卜(ぼく)す」

遺愛寺の鐘は枕に欹(そばだ)ちて聴き

香炉峰の雪は簾を撥(かかげ)て看(み)る

原典ですと、簾は巻くというより、手で払って見るニュアンスですかね。

光る君へ感想あらすじレビュー
「漢詩」は日本にどう伝わりどう変化していった?『光る君へ』を読み解くカギ

続きを見る

定子の意をすぐに察した清少納言を褒めると、いつもこうできるかどうかはわからないと謙遜しながらドギマギしています。

その日は雪遊びをすることになりました。

大きな雪山を作るぞ!と浮かれる貴族たち。

「子供かよw」と笑われるかもしれませんが、平安貴族の雪山は、侮らない方がよいですよ。

しっかりした防寒具もないような時代なのに、記録を見るとなかなか巨大なものを作り上げております。

劇中では、斉信も、公任も、行成も、伊周も、そして帝と中宮まで、子どものようにはしゃいで雪で遊ぶのでした。

隆家だけが何が楽しいのかわからないと清少納言に言いつつ、参加しておりません。

するとそこへ藤原道長が近づいてきましたが、雪遊びの様子を見て「今日はやめておこう」と引き返します。

理想的で、この時が永遠に続いて欲しいような、美しい情景ではありますね。『枕草子』を再現したような場面が見られるなんて、感無量です。

ただし、美しいだけか?というと気になることがあり、後述いたしましょう。

ちなみにこの貴族の雪山作りも、平安時代末期になると一風変わった人物がでてきます。

「悪左府」こと藤原頼長です。

彼の日記『台記』によると、独力で巨大な雪山づくりをぶっ通しでしていたとか。一体なんなのでしょう……。

ちなみに紫式部は、平安京とは比較にならないほどの豪雪地帯である越前に住んでいます。

日本海側の豪雪を目の当たりにした彼女からすれば、平安京の雪なぞ大したことはないと思えたことでしょう。

 


中関白家に靡く貴族たち

藤原行成が帝の美しさをしみじみ思い返していると、斉信が「道長寄りではなかったか?」と揶揄するように言います。

道長は道長、今日は帝だと返す行成。

一方、藤原公任は、帝の御前でも直衣姿だった藤原伊周に不満があるようです。

斉信は「帝が許しているのだから」と言いながら、「自分にも娘がいれば入内させる」と続けます。

今からでも間に合うと公任に言われ、その気になる斉信……とかなんとか言いつつ、清少納言あたりのことが気になっているんでしょうね。

一方、すっかりF4から抜けたような藤原道長は、自宅で源倫子と共に愛娘の藤原彰子を見ています。

彰子は入内を考えないで欲しいと訴える倫子。

道長も、このマイペースな娘では帝の妃は務まらないと思っている様子ですね。ただ、倫子としては、今はぼんやりしているけどそのうち化けるかもという思いもあるとか。

ぼんやりしているのは自分に似たのだと言う道長は、「このままでよい、このまま苦労なく育って欲しい」と語るのでした。

再び舞台は、綺羅びやかな中関白家へ。

定子が琴を弾き、帝が笛を吹いています。

夫婦で楽器を演奏する様は「琴瑟(きんしつ)相和す」という漢籍由来の言葉もあり、夫婦和合の象徴。

伊周が舞いを始めると、弟の隆家は座ったままぞんざいな姿勢で杯を手にしている。

しかし伊周に促され、隆家も舞い始めます。

「タアハア トヨリョロ」

声を上げながら、優美に舞う貴公子たち。

こうした時代ごとの芸能再現はこれからの時代重要です。

中国では時代ごとの舞姿の動画があり、見応えがあります。

アジアの時代劇は近世以降に集中する傾向もありましたが、韓流にせよ、華流にせよ、それより古い時代のものが増えている。

時代劇や大河ドラマというと、戦国時代や幕末といった定番の時代だけを思い浮かべるのはもう古くなっているのです。

 

日本初の女院・東三条院

音楽と舞を楽しむ帝と中関白家たち――と、そこへ誰かがやってきます。

帝の母である藤原詮子です。

すぐさま「邪魔したようだ」と帰ろうとする彼女を藤原道隆が引き留める。

詮子は「女院様」と呼ばれています。

円融院の死後、日本初の女院となった詮子。

日本がお手本とした唐代は、楊貴妃一族の政治介入で痛い目に遭っているにもかかわらず、そこをあまり考えていない。女性の政治権力をセーブするどころかその逆です。

慈円が「女人入眼の日本国」と書くに至る源流がこのあたりから見えてきます。

吉田羊さんの本領発揮で、画面に出てくるだけで権力欲が輝きだすような迫力があります。

やはり、きょうだいでも父の藤原兼家に一番似ているのは詮子ではないでしょうか。

騒々しいと機嫌が悪い詮子に、伊周はこれこそがお上が望む新たな後宮の姿だと語ります。

誰もが歌い、舞う、お上との垣根を取り払い語り合う場である。

そう詮子に理解を願っているようですが……。

藤原詮子
藤原詮子は道長の姉で一条天皇の母|政治力抜群だった「国母」の生涯

続きを見る

 


石山寺参詣のあと

詮子と中関白家との一件を藤原道綱がヘラヘラと藤原道長に話しています。

そして母の供をして石山寺に参詣したことを言い出しました。

「いい女がいたんだよ、その名前は……ま・ひ・ろ!」

一瞬、気が気でないような道長に対し、調子に乗った道綱は、忍んで行ったらその友と間違って参った参った、と相変わらずヘラヘラと続けます。

それを聞かされた道長は、どこかドス黒い表情。

「はぁ……」と、ため息をつく道長の胸中やいかに。

さて、そのまひろは何かを書き、乙丸に託しています。

さわへの手紙でした。

しかし、読まずに返されてしまうようで、そんな相手とは終わりにした方がよいと乙丸がおずおずと進言します。それでもまひろは、文を渡す。

彼女は、さわに思うように口頭で反論できていませんでした。思ったことを口にするよりも、書く方がまとまるタイプかもしれません。

口も回る当意即妙型の清少納言とは違う。

今後この二人はどうなるのか。気になってきました。

めぐりあいて みしやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな

【意訳】久しぶりに会って、本当にあなたかもわからない間にいなくなってしまうなんて、まるで夜空の月のよう

旧友に束の間の再会を果たしたとき、紫式部が詠んだ歌です。

さわ相手に詠むのかもしれませんね。

 

光あるところに影がある

定子と帝が向き合い、仲睦まじくしています。

まさに唇を重ねようとしたその時、源俊賢があわただしくやってきました。

なんでも弘徽殿から火が上がったとか。また放火なのか?と戸惑う帝は、定子と共に避難します。

中関白家ではこのときのことを話し合っています。

後涼殿、弘徽殿と来て、次は清涼殿かと怯える母の高階貴子

道隆が、宮中の警護を厳しくするから案ずるなと言うものの、内裏の内部に放火犯がいるのではないかと思うと気が気ではありません。

帝や中宮を害しようとまでは思ってないはず。

すると藤原隆家は、女院が火をつけさせていると言い出しました。

中宮は女院に妬まれている。父も兄も妬まれるようになった。女院でなければ父を恨む誰かだと言い切ります。

兄の藤原伊周が口を慎めと咎めても、開き直る隆家。兄上だってそれくらいわかっていると言います。

道隆と隆家はここで哄笑します。

「光が強ければ影は濃くなる。恨みの数だけ我が家は輝いている! 私たちが暗い顔をすれば相手の思う壺。動じないのが肝心だ」

栄華を極める中関白家。

しかし道隆は光に目を細め、まぶしそうにしています。そして水を大量に飲むようになった。

糖尿病が発症しているのでしょう。

糖尿病の藤原道長
糖尿病の疑い濃厚だった道長 貴族の頂点に立ったとき「望月」は「朧月」だった?

続きを見る

それにしても、井浦新さんは改めて凄まじい方だと思いました。

若い頃はまるで春の日差しのように、穏やかで暖かい貴公子ぶり。それが段々と野心を夏の太陽のように輝かせ、ここでは秋のように翳ってゆく。

人の一生を春夏秋冬のように演じ分ける。素晴らしいではないですか。

藤原道隆
なぜ藤原道隆は伊周へ権力を移譲できなかったのか?中関白家の迷走

続きを見る

内裏では都の疫病対策が議論されるものの、道隆が無視するという状況が続いています。

そんなある時、安倍晴明が門を閉めるよう命じます。

疫神が通る。疫病の神が通る。

これから大変なことになると語ると、果たして都は、病人と死体が溢れる地獄と化します。

苦しむ病人の横を牛車が通る。

道長は、道隆に疫病対策を訴えました。

しかし道隆は、穢らわしい、お上が知ることではないと素っ気ない。

どうせ疫病など、下々の者だけで、我々は罹らない。そう言ってのけるのです。

病に苦しむ民を放っておいていいわけがない!と道長が食い下がるも、道隆は「放っておいてはいない」と開き直ります。なんでも比叡山に祈祷を命じたようです。

 

徳のある統治をせねば国は滅びる

都で疫病が流行り、多くの患者や被害者が出ている――その噂を耳にした帝は胸を痛めていました。

そして道隆に唐の『貞観政要』のことを言い出します。

隋の煬帝が国を滅ぼしたのは、兵の備えを怠ったからではなく、民を疎かにし、徳による政をしなかったからだ。朕はそのようになりとうない。

忠臣としての働きを頼むと伝えると、道隆は「お任せくださいませ」と平然と言いますが、果たしてそんな気はあるのかどうか。

お上はあれこれご案じなさらず、中宮様と仲睦まじく生きて欲しい、皇子をもうけることこそが国家繁栄の礎であると言っています。

そしてこの疫病の最中、道隆は伊周を内大臣に据えたのでした。

『貞観政要』が出ましたね。

貞観政要
家康も泰時も一条天皇も愛読していた『貞観政要』には一体何が書かれているのか

続きを見る

『鎌倉殿の13人』では北条泰時が読んでいたこの漢籍。

帝が政治の指針として持ち出すことで、先ほどの「香炉峰の雪」の場面に別の意味合いが浮かぶようにも思えてきます。

白居易があの詩を詠んだとき、「左遷されて地方にいた」という背景があります。

彼は官僚であり、どうすればよい政治ができるか考えていて、それが作品にも反映されている。

そんな作者の意図を無視して、ただのアクセサリのように用いる、ファッション的漢籍教養はいかがなものか?

上っ面だけ理解して、教養をひけらかし、一体何なのか?

そんな苦いものがジワジワと浮かんでくるようにも思えます。

紫式部は『紫式部日記』で清少納言の教養なぞ上っ面だけだと批判しました。

なぜ彼女はそこまで手厳しいことを記したのか?諸説あります。

本作では、思想を読み解かず、教養をファッション扱いする姿勢への批判性がすでに出てきているように思えるのです。

これは私も感じているところではあります。

平安貴族にとって人気ナンバーワンとも言える作品が白居易の『長恨歌』でしょう。

しかし、この作品の背景となる玄宗の楊貴妃への熱愛が持っていた危険性を、どれだけ真剣に考えていたのか。

悲恋の背景としてだけでなく、政治的危機をどう考えていたのか。

あるいはこの悲劇をもたらした安禄山の危険性をどう考えていたのか。

安禄山のように強固な武力を有した家臣が牙を剥けば危険であり、それを抑え込むことをどこまで検討していたのかどうか。

女性の政治権限については抑えるどころか、むしろ女院という強化をしてしまう中関白家。

さらに後世では、武官の危険性をふまえていないからこそ、武士の台頭につながってゆく。

――漢籍の思想を政治に生かせるようになってゆくのは、もっと時代がくだってからのようです。

白居易
『長恨歌』の作者・白居易は史実でどんな人物だった?水都百景録

続きを見る

そんな伊周に苦言を呈するのは藤原道兼。

叔父である道兼と会うのは何年かぶりだと応対する伊周。

伊周は疫病対策は父がしているといい、貧しい者が罹るだけで我々には関係ないと言ってのけます。

「そのような考えで内大臣が務まるとも思わぬ」

道兼が手厳しく言うも、反対に伊周は「叔父上は何かよいことをなさったのか、このまま何もなさらないのも悪くない」と煽り返してくる。

以前の道兼ならば「花山院出家の謀略は俺あってのことだ!」とでも言いそうですが、自暴自棄となった時期を経て、彼もようやく成熟したのでしょう。

甥っ子相手にムキになるわけでもありません。

 

悲田院は地獄と化した

まひろが乙彦に「さわは文を受け取ったのか?」と尋ねています。

どうやらまた返されたようで……沈んでいると、文字を教えていたあの少女・たねが入ってきました。

“とと”と“かか”が帰ってこないのだとか。

聞けば、昨日、悲田院に行ったそうです。熱があり、薬草をもらいに行ったのだとか。

疫病の者がいると止める乙彦に構わず、まひろはたねを連れて悲田院へ向かうことにしました。

そこは一面、地獄でした。

病人と屍が横たわり、子どもが水を求めている。

と、たねは両親の姿を見つけ泣き出しました。すでに死亡している様子。

そして薬師が入ってきて、冷たく言い放ちます。

「生きている者は手をあげよ、死んだ者は運び出す」

親の遺骸に泣きつくたねは、邪魔だと言われてはねのけられ、ぐったりとしてしまいます。

まひろは、たねの看病を始めました。

「あめ、つち……」

そう呟くたね。

「あめ、つち、ほし、そら、やま、かは、みね……」

後に続くまひろ。

たねはまひろに教えてもらった字を思い出しつつ、短い生涯を終えてしまったようです。

乙彦がそろそろ戻ろうと告げるものの、まひろは動きません。

別の患者の看病を始めるのです。

 

疫病に対してあまりに無策

道長は道隆に疫病対策を進言します。

このままでは貴族も罹る、内裏に入り込んだらどうするのか?

そう迫っても、道隆は取り付く島もなく、そんなことは起きぬと返すのみ。

疫病対策を陣定(じんのさだめ)ですべきだ!と道長が食い下がっても、道隆は疫病などより相次ぐ放火が大事だと言い放つのです。

更には「中宮大夫である道長こそどうするつもりだ!」と逆に迫ります。職務怠慢というわけです。

道隆は視野が狭窄しています。

放火犯は自分たちに悪意を持つ貴族の仕業だと思っている。

疫病対策をしないことに怒った庶民が犯人である可能性については、想像すらできていない様子。

これは道隆一人の問題でもないかもしれません。

では、いつになったら疫病対策ができるの?ということを大河ドラマからヒントを見出してみましょう。

『麒麟がくる』では、望月東庵と駒という医者師弟が出てきました。

東庵は、実在した曲直瀬道三がモデルと推察できます。

なぜ曲直瀬道三本人を登場させなかったのかというと、東庵と駒は庶民救済のために医術を使う設定だからということもあるのでしょう。

庶民救済のシンボルが、駒の作る芳仁丸という安価な薬でした。今の基準でいえば、せいぜい薬草を練った程度のものと思われます。

とはいえ、あの時代ならば十分最新鋭です。

ああいう薬を民衆にまで到達させるとなると、江戸時代が転換点となります。

徳川綱吉は【生類憐れみの令】により、「病人を家から追い出すようなこと」を禁じました。犬を助けるだけの法令ではありません。

生類憐れみの令
生類憐れみの令は日本人に必要だった?倫理観を正した“悪法”に新たな評価

続きを見る

そして2023年の実質大河ドラマともいえる『大奥』では、吉宗時代の医療改革が描かれています。

作品オリジナルの赤面疱瘡対策として描かれましたが、史実においても吉宗は医療を大きく進歩させます。

医療を向上させるのであれば、まず国のシステムを変えることが重要。

そのため吉宗は、各地で薬草栽培を奨励し、簡単な薬ならば民衆が自ら調合できるようにしたのです。

現代人からすれば素朴なようで、当時とすれば画期的です。

病気になったらなす術なく、死を待つか、祈祷でもするしかない状態と比較すれば、薬草を煎じて飲むだけでも大幅な進歩と言えるでしょう。

病は気からと言います。気力が尽きたら命も縮む。ほったらかしにされるのではなく、薬を口にできるだけで助かる命はあるのです。

中でも朝鮮人参栽培は重要です。

先日、日本の漢方は中国の技術を盗んだものだという意見が現地にはあると、中国の方から聞きました。

酷い言い分だ!……と反論したいようで、一理あるとも思えました。

朝鮮人参を含む栄養ドリンクは今日でも高級ですよね。ましてや昔は最高級品です。しかも朝鮮や中国からの輸入頼りです。

吉宗時代となると輸入による金銀流出が深刻な問題でした。輸入頼りの高級薬剤を国産にしたら大幅な財政改善が見込めます。

とはいえ、輸出する側からすれば目玉商品をそうさせるわけにもいかない。

そこで朝鮮と交易する対馬藩が、こっそり朝鮮人参の種を盗んだという説もありまして。

このあたりは来年の『べらぼう』にも関わりかねない話ですので、予習しておくとよいかもしれませんね。脚本の森下佳子さんは医療描写が盤石ですので、是非とも見たいところです。

平安時代からだいぶ話が飛んですみません。

平安時代の疫病対策に話を戻しますと、打つ手があまりに乏しいことは確かです。

落語には「葛根湯医者」というスラングが出てきます。どんな病だろうと葛根湯しか処方しないヤブ医者という意味です。

しかし、平安時代ですと、この葛根湯すら手に入らない。

それこそ健康マニアで上級貴族の藤原実資クラスの人物が、太宰府に来ている唐人医経由で手に入れるといった手段しか考えられません。

江戸っ子なら当たり前に口にできる薬が、平安時代は一部エリートだけのものだと考えると、医療やインフラの進歩がわかりやすくなると思います。

小川笙船
小川笙船が吉宗と共に日本中へ広めた医療改革|今まさに見直される東洋医学史

続きを見る

 

まひろよ、逝くな、戻ってこい

藤原道兼が弟の藤原道長を呼び止め、なぜそんな顔をしているのかと聞いています。

悲田院に行くと返事をすると、道兼が止める。

「都の様子は俺が見てくる。汚れ仕事は俺の役目だ」

そう言い切る道兼よ……嗚呼、こんなに格好いい男だったのかと惚れ惚れしてしまいそうです。

人生の苦さや転落も知ったからこその悟りがある。まさか道兼に心を打たれる日が来るとは。

かくして道兼は悲田院にきますが、道長もついてきていました。「私は死ぬ気がしない」と強気です。

「相変わらず間抜けな奴だ」

道兼はそう言いながら、兄弟で中を見回ります。

二人の視界に入らないところでは、まひろが看病を続けながらも咳き込んでしまい、乙丸が帰宅を促します。

薬師が、道兼と道長に手伝うように言います。仲間が倒れて人手が足りないのだとか。

内裏に言ったらどうだ?と道兼が言うと、薬師は諦めたように、申し出たが何もしないと素っ気なく返します。

「なんと!」と驚く道兼。

一方、道長は、よろめいて倒れてきたまひろとぶつかります。

「まひろ! まひろ! しっかりいたせ、まひろ!」

抱き寄せ、馬に乗せて悲田院を出る道長。そして「お姫様抱っこ」をして、家の中に運び入れるのでした。

いとは呆然として、道長様とは何者なのかと戸惑うばかり。

道長は、まひろが疫病かもしれないから私が看病すると藤原為時に告げます。

大納言様にさせるわけにはいかないと恐縮する為時に、「私のことはよい!」と強く言い切る道長。

いとはますます困惑し、二人の関係は何なのかと問い詰めます。なんせ、あのお姫様だっこですからね。

「久しいのう……なぜあそこにいた」

道長はまひろの看病をしながら、心の声で語りかけます。

生まれてきた意味は見つかったのか?――逝くな、戻ってこい。

確かにこれはソウルメイトとしか言いようがない。ものすごく甘ったるいようで苦い。

道綱の言葉で、まひろのことを思い出してしまった。そしてよりにもよってこう再会するとは。

恋したとか、もはやそういうことではなくて、もう人生の一部になってしまった。

まひろを失うことは手足を引きちぎられるようなものかもしれない。まさにこれこそソウルメイト。魂がつながった相手なのだと思います。

そんな相手が消えてしまわないように看病する道長の姿も、看病されるまひろの姿も、神々しさすら感じさせます。

乙丸と百舌彦が並んで座って待っていると、朝が来ました。

道長が一息ついていると、為時が近づいてきました。そして一晩中看護してくれたことに感謝しながら、大納言には朝廷で果たす役目があるのだから、お帰りくださいと頼みます。

道長も素直に受け入れ、彼は自宅へ戻りました。

夫を出迎えた源倫子赤染衛門が「昨夜は高松殿(つまり明子)の元にいたのか?」、ご無礼いたしたというと、倫子が「衛門」と声をかけます。

「殿様、昨夜は高松殿ではないと思うの。殿のお心には、私ではない、明子様ではない、もう一人の誰かがいるわ。ふふふ、おほほほほ……」

不敵にも見える表情で笑う倫子。

彼女は小麻呂を抱いています。私は退場したのかと思っておりました。長寿猫ですね。

平安時代のペット事情|猫は愛され鶏は神秘的で死体処理の犬は忌み嫌われ

続きを見る

小麻呂は、道長の妻になる前の倫子にとっての支えでした。

それが再登場とはどういうことなのか?

まひろとは知らず、夫の心の中にいる女性の存在に気づいてしまった倫子。

『源氏物語』の紫の上は、光源氏が別の愛する女性がいることに気づいていたことでしょう。

通う相手ではなく、心の奥にいる永遠の女性、藤壺です。

それが誰でどういう関係かまではわからないけれど察知できてしまう。

倫子もそうなってしまうのでしょうか。

猫といえば、今後は一条天皇の御猫が登場します。期待しましょう!

まひろは、道長の声が「まひろ、まひろ」と呼ぶ声が心に響いてきて、目を覚ましたのでした。

 

MVP:たね

『麒麟がくる』では、駒の薬を売っていた少年が殺害される場面がありました。

あのシーンに対しては「こんなものは見たくない」という批判があったものです。

乱世の厳しさを表す秀逸な場面だと私は思ったものですが、それだけでなく東庵や駒の民を救う思想も理解されず、「バカw」だの「ファンタジーw」だの罵倒されていました。

もしもNHK大河チームがそんな声を真剣に受け止めていたら、たねや、たねを救おうとするまひろはなかったことでしょう。そうならなくてよかったと思います。

歴史は史書に名を残す人物だけが紡いできたものではありません。

たねのように幼くして命を落とし、字も書けない人は消えてしまいます。

そんな消えた存在に光を当て、歴史を学ぶ意義を再確認させてくれるたねは重要でした。

今回は理想の政治についても語られました。

道隆に代表される中関白家は、庶民のことなど目に入らない。関係ないと考えている。

そういう人々が優美に過ごす前半が光だとすれば、たねが命を落とす後半は影でした。

疫病に苦しむ庶民を描くことは、何もまひろと道長がロマンチックな再会を果たすだけの意味があるわけではありません。

当時の社会矛盾。

清少納言と紫式部の対比。

思想を持つ者と、そうではない者。

そんな対比を際立たせたのです。

💟 『光る君へ』総合ガイド|紫式部の生涯・宮中・平安文化を網羅


あわせて読みたい関連記事

紫式部
紫式部は道長とどんな関係を築いていた?日記から見る素顔と生涯とは

続きを見る

藤原道長
藤原道長は出世の見込み薄い五男|なのになぜ最強の権力者になれたのか

続きを見る

藤原定子
藤原定子の生涯と辞世の句|最期まで一条天皇に愛され一族に翻弄され

続きを見る

藤原彰子
藤原彰子は紫式部や一条天皇と共に父・道長を盤石にした功労者だった?

続きを見る

【参考】
光る君へ/公式サイト

TOPページへ


 



リンクフリー 本サイトはリンク報告不要で大歓迎です。
記事やイラストの無断転載は固くお断りいたします。
引用・転載をご希望の際は お問い合わせ よりご一報ください。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

-光る君へ感想あらすじ
-

右クリックのご使用はできません
目次