白氏詩巻/wikipediaより引用

飛鳥・奈良・平安 光る君へ

かな書道が光る『光る君へ』「三跡」行成が生きた時代

美しく艶めかしい大河ドラマ『光る君へ』のオープニング。

冬野ユミさんが手がけたテーマ曲を、反田恭平さんの奏でるピアノで始まると、後半は、なめらかに筆が動き、流れるように文字が描かれてゆく。

筆文字とは、かくも美しいものだったのか――。

紙に滲みゆく墨、流麗な筆跡。

これぞ平安時代に確立された、日本文化の結晶と言えるでしょう。

今年の大河ドラマは、そんな日本文化における書道の重要性を再認識させる作品といえます。

渡辺大知さんが演じる藤原行成は「三跡」の一人で最重要人物。

劇中に行成が登場する以上、書道で手を抜くことはありえない。

当時の日本人にとって書道とは一体どのような存在だったのか?その歴史を振り返ってみましょう。

 

そして書道の歴史が始まった

日本ではいつから文字が書かれるようになったのか。

和民族固有の文字はなく、漢字が伝わって以降のこととされています――と、この歴史については江戸時代から難癖がつけられ、神代文字まで捏造されましたが、史実として認定できるものではありません。

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日本に残る最古の書は、魏晋南北朝時代の書を模したものです。

代表的な作品が聖徳太子の『法華義疏』(さんぎょうぎしょ)。

その後、大化元年(645年)に中臣鎌足が蘇我氏を打倒した【大化の改新】により、新たなる国づくりが始まり、さらに20年ほど経過した天智2年(663年)、日本史上大きな転換点を迎えます。

【白村江の戦い】です。

復興を目指す百済を倭国が助け、唐・新羅軍と激突。

この戦いに大敗した倭国は、文明を取り入れる必要性を強く感じ、大国の唐を手本とした国造りが始まりました。

その手本の中に、書も含まれていたのです。

いかにして唐の書体を目指すか?

当時の日本人が書に対する情熱を傾けた、象徴とも言える国宝があります。

2022年に国宝とされた宮内庁所蔵王羲之「喪乱帖」(そうらんじょう)です。

真筆ではなく模本。そもそも王羲之の真筆は残されていません。精巧な模写だけでも国宝に値するのです。

中国における王羲之の書とは、ただの美麗な字ではありません。

手にしたものは天下を支配するような、圧倒的な価値があり、その精巧な模写が日本にあるということは、唐からこう言われたようなものではないでしょうか。

あなたたちの国の、天下を統べる文字を作りなさい――。

唐の真似だけではない。我が国とは何か?それを定義づけるような書を極める。

ここに日本の書道史が始まります。

ちなみに、東アジアにおける「書」とは、このような分類となります。

・中国書法

・日本書道

・琉球書道

・韓国書芸

・越南(ベトナム)書法

東洋の書は、見せ合うことやその場で書き記す様を見せるところにも特徴があります。

パフォーマンスアートとして成立するのですね。

日本ならば、年末恒例行事と言える京都清水寺「今年の漢字」揮毫が代表格でしょう。

中国のSNSでは、個性あふれるパフォーマンスを投稿する書道家の姿が見られます。

武侠ドラマや格闘ゲームで、筆を武器とするキャラクターが出ることも、東洋ならでは。

愛する人に書を送りあう文化も、実にロマンチックなものです。

中国が本場であり月だとすると、他の書は星のように煌めくものだということも認識しましょう。

月と星の優劣を問うのは野暮ってもんで、個性ごとに楽しめばよいのです。

学校から冬休みの宿題で書き初めを出され、『今時こんなことをする意味があるのかよ……』とぼやいたことはありませんか?

あるのです。日本文化の根底には書がある――そこを踏まえておくと、また違った世界が開けてきます。

 

三筆:日本独自書体「和様」の始まり

中国では【甲骨文字】から始まり、碑文や木簡、あるいは竹簡に書いた時代も、書法史に含まれます。

この時代に用いられた【篆書体】【隷書体】のような字体は、日本ではフォントのバラエティのような扱いで、ずっと時代が降って篆刻が普及してからのこと。

日本の場合は、紙に筆で書くところから始まりました。

格好のお手本とされたのは写経です。

唐でも恥ずかしくない字で写経をすることから始まり、宗教的な狙いだけでなく文字を学ぶ機会にもなり、こうして書と向き合っていくうちに、唐とは異なる要素が書体に生まれてくる。

例えば空海は、最澄と漢文で手紙のやりとりをしています。

自身の心をのせて書いていくうちに、中国とは異なる味わいが出てくる。

そうして記された『風信帖』は空海の代表的な名筆です。

『風信帖』/wikipediaより引用

対する最澄も『久隔帖』はじめ、素晴らしい作品を残しています。

しかし、中国のお手本通りで独自性がない。ゆえに書道については、空海と最澄の間には差がついているのです。

このように、中国風の漢字から逸脱し、敢えてアレンジを加え、独自の書体を作りあげた三人を【三筆】と称します。

・空海

・嵯峨天皇

・橘逸勢(たちばなのはやなり)

空海や最澄の時代の唐は、世界最大の大帝国でした。

それが楊貴妃が命を落とした【安史の乱】から翳りが見え、やがて滅亡すると五代十国時代が訪れます。

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日本でも遣唐使がなし崩し的に終わってから時が流れ、宋との交流においては何もかも学ぶというスタンスではなく、さらなる独自性が求められてゆきます。

国風文化】時代の到来ですね。

なお、中国では、科挙答案の筆跡まで採点対象とされます。

王羲之を意識していない書体で書くと、それだけでも減点対象となり、個性的な書体が生まれにくいという事情もありました。

とはいえそこは本場です。日本でも愛される素晴らしい書家は大勢いる。

あえて【唐様】で書いてこそステキだという価値観も、日本の書道において常に存在していたことも確かです。

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