舞台が平安時代というだけでなく、他にも新たな挑戦を続けている大河ドラマ『光る君へ』。
今回注目したいのが、松下洸平さん演じる宋人・周明(ヂョウ・ミン/Zhōu Míng)です。
まひろを大いに成長させてくれるのではないか?と期待してしまう周明。
彼の一体どこが挑戦的なのか?
渡来人ということであれば『鎌倉殿の13人』にも陳和卿(ちん・なけい)が登場していただろ、と疑問に思われるかもしれませんが、“フリガナ”に注目してください。
漢字で「周明」となると、普通は「しゅう・めい」と読みますよね。
それが今回は中国語の読み方「ヂョウ・ミン」が採用されていて、そこにポイントが潜んでいると感じるのです。
日本語にしても中国語にしても、実際の発音は時代によって異なり、1200年前に「ヂョウ・ミン」と発音したかどうかは別の話ですが、ともかく、宋人の周明がまひろ(紫式部)をパワーアップさせる可能性を感じる。
ということで周明のキャラクターを考察してみましょう。
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周明は宋の文人らしい服装
松下洸平さんが演じる周明の肩書きは「医師の見習い」です。
若くして危険な航海をしてまで日本へ来たということは、彼なりの使命感があるのかもしれません。
同じ宋人の朱仁聡と比べると、文人らしさを感じさせる服装をしていて、ドラマの公式エックスに発表された、周明の頭巾をご覧ください。
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朱仁聡らとともに越前にやってきた、宋の見習い医師。まひろ(紫式部)に宋のことばを教えてくれ、二人は親しくなっていく。優しく穏やかだが、どこか謎めいたところがある男。#光る君へ pic.twitter.com/vujB2WW6eH
— 大河ドラマ「光る君へ」(2024年) (@nhk_hikarukimie) March 8, 2024
後頭部に、何か尻尾のように垂れた頭巾の一部が見えますね。
【幞頭】(ぼくとう)と言います。
宋代の官僚の場合、両側に脚が伸びていてかなり特徴的。
周明の場合、朝服でもなく、邪魔なので垂らしているのです。
この頭巾の形状は日本にも取り入れられ、独自の変化を遂げています。
大河ドラマ『光る君へ』は、平安貴族と宋人の頭部が比較できる極めて貴重な機会だったりするんですね。
円領(丸首)の淡い色の長衣の上には、濃い色の背心(ノースリーブ)の上着を身につけていることも確認できます。
足元は以下の絵画のようなブーツの可能性が高いでしょう。
日本人が描写する昔の中国人男性は、髷に頭巾を被せるだけで、どの時代かわかりにくい髪型になりがちです。いわば「横光三国志風」とでも言いましょうか。
それが『光る君へ』では、事前の発表だけでも、宋人らしさと各人の個性や職業が見える服装になっています。
周明からは、己の学識に誇りを抱く、文人らしさが感じられるんですね。
宋人の衣装は難しいかもしれませんが、今後、ファンの皆様が描く「#光る君絵」が楽しみになってきます。
滅敬って一体何者なんだ!武田の穴山が扮する唐人医は実在したのか?
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日本史でも重要な唐人医
【唐人医】というのは、日本史においてなかなか重要な存在であり、2023年大河ドラマ『どうする家康』でも滅敬が出てきました。
ドラマ上の設定はさておき、滅敬があれほど重視された背景には、歴史的な意義があるためです。
日本の医学は【東洋医学】の一種で、長いこと中国渡来の医術を真似てきました。
それが独自の発達を遂げるようになったのが、戦国時代後期、曲直瀬道三あたりからとされています。
曲直瀬道三をモデルとしたと推察できるのが大河ドラマ『麒麟がくる』の望月東庵。
彼とその弟子の駒は、明国経由で最新系統の医術を独自にアレンジした、相当のエリートといえます。将軍までもが求めるだけの技量が彼らにあったのだとみなせます。
江戸時代後期となると蘭学も加わり、さらなる発展を遂げてゆきます。
しかし、平安中期ともなれば、加持祈祷による治療がいいところ。
おどろおどろしい呪文を唱えられるわ、よりまし(憑座、神子、尸童)が取り憑かれて叫ぶわ、病状が悪化しかねないものばかりです。
そんな当時の人にとって、ほんの一握りしか出会うことのできないスーパーエリートが【唐人医】でした。
彼らと出会えることがどれほど幸運であるか。
『光る君へ』では藤原為時一家が大興奮しても不思議はない人物といえます。
医学と文学は相通じる
ドラマとしての見どころも、職業上の特性にあるのでしょう。
東洋医学は観察が大事です。
まずは患者の体質を確認してから、それにあった薬を処方します。
そのために脈を測り、顔や舌の色を見て、判断するのです。
松下洸平さん演じる周明がまひろの診察をするだけで、視聴者がドキドキすることは当然のことながら期待できます。
それだけでなく、文学者としての成長も期待できます。
東洋医術は治療だけにとどまりません。
その観察眼で天下を見て、対処法を見抜いてこそ、医者の極みといえる。
オカルト的な発想に依らず、病気の蔓延を防ぐとなれば、社会のインフラ整備に配慮することも非常に重要。
本物の名医は、そんな社会システムの変革にまで気配りができることが求められるのです。
こうした医療の志向は、まひろの本領とする文学にも応用できるでしょう。
社会を俯瞰的に見る。医者の目を持ち、人の心を癒す術を考える。彼女が周明から“観察眼”を授かるとすれば、それはとても意義のあることです。
東洋において、医学と文学は無関係ではありません。
医者を目指し留学した魯迅は、留学中に目覚めました。
中国人を数うには、まず文学によって精神性を向上させていかねばならない。
人を救うために、文学は存在する――そんな悟りを得るために、まひとが唐人医と出会うのであれば、非常に素晴らしいことではないでしょうか。
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