光る君へ感想あらすじレビュー

光る君へ感想あらすじ 光る君へ

『光る君へ』を読み解くカギである「漢詩」は日本にどう伝わりどう変化していった?

大河ドラマ『光る君へ』を見ていると、至るところに漢詩・漢籍が登場します。

劇中で非常に重要な存在であることは一目瞭然であり、視聴者の皆さんも国語(漢文)の授業で一通り習ったと思いますが、本ドラマの第9回放送で不思議な場面があったのを覚えていらっしゃいますか。

まひろの父・藤原為時が謎の漢籍朗読を始め、花山天皇が興味なさそうに聞き流していたのです。

このシーンの不思議なところは、大きく2点あります。

・為時は、他の場面のように漢籍を訓読せず、中国語の発音で読んでいた

・読み上げる漢籍が、日本人の書いた漢詩だった

他の大河ドラマでは見られない何とも奇怪な描写であり、漢詩に関する興味深いシーンは第10回放送でも続きます。

藤原道長がまひろに和歌を贈ったのに対し、まひろは漢詩で返してきたのです。

途方に暮れた道長が、その意味を藤原行成に尋ねると、行成は気まずそうに「漢詩ということはフラれているのではないか?」と告げていました。

あれにはどんな意味があったのか。

いったい日本人にとって漢詩とは何なのか。

そもそも漢詩や漢籍はどう伝わり、どのように日本社会へ取り込まれていったのか。

本稿では、ドラマの深い理解に欠かせない日本人と漢詩の関係について考察してみたいと思います。

 

為時は中国語が話せるのだろうか?

藤原為時が花山天皇に対して、中国語読みで漢詩を読み上げていた――このシーンについては色々な疑問が湧いてきます。

漢字を中国語の発音で読み上げるということは、それはもう日本語でなく中国語ではなかろうか?

日本人が作った漢詩をそのまま中国語で発音すれば、中国から来た人にも通じるのだろうか?

この疑問は、物語の大きな伏線になりそうです。

なぜか?

為時の発音は、綺麗な中国語には聞こえません。

中国語を話したことこない日本人が、そのまま音読しているようなものであり、かといって日本人に理解できるものでもなく、結果、よくわからない言語となっていました。

しかし、当時の日本人にとって藤原為時はどういう存在なのか?というと、彼は「中国語ができる人材」という認識になってもおかしくはありません。

花山天皇が出家を遂げた後、為時も失職しました。

彼は今後、職を得て返り咲きますが、その仕事とは漂着した宋船に対応することだったのです。

『光る君へ』には、松下洸平さん演じる周明(ヂョウ・ミン/Zhōu Míng)や、浩歌(ハオゴー)さん演じる朱仁聡(ヂュ・レンツォン/Zhū Réncōng)が登場しますが、彼らがその宋船に乗っていた人物となります。

きっと、まひろも藤原為時を通じて彼らと交流を持つのでしょう。

しかし、今のようにテレビもネットもない昔の日本人は、どうやって中国語を学んだのでしょうか?

 

中国語から書き言葉が始まった

日本語は、書き言葉にする時点で中国から漢字を取り入れました。

その結果、話し言葉やカジュアルなものは日本語、つまり大和の言葉を用いるようになり、書き言葉やビジネスなどは中国語由来の漢文が用いられるようになった。

ゆえに日本史の理解に漢文が欠かせないんですね。

日本語と漢文が併用する時代は長く続き、その状態から脱却するのは明治時代の【言文一致】運動を待たねばなりません。

いずれにせよ、こうした状態が続いたため、日本では【漢文訓読】という手法で中国語を読み解くこともできます。

幕末に上海へ渡った高杉晋作は、清人と筆談で交流したとされます。漢文を読み解いてきたからこそできるコミュニケーションが、日本には存在しました。

ただし、それは書き言葉での話。

いざ発音するとなると、中国語と日本語では異なります。

漢文は日本人同士が読むものであるし、わざわざ中国語で発音しなくてもよいのではないか?と思うかもしれませんが、かつてはそうではありません。

当時の作文は、以下のように面倒な段階を踏んでいたと思われます。

日本語を、中国語=漢文で書く

日本人でも読める書き下し文にする

原文を中国語で読む

頭が混乱しそうになりますが、これが日本語の書き言葉の出発点でした。

そもそも日本人はなぜ文字を書き始めたのか?

というと、中国大陸との国交が生じた結果、文書の提出を求められるようになったためです。

翻訳という手間をかけずに、書いただけで日中両方で対応できればお得……という理由で、日本語の書き言葉はそうなっていったのです。

紫式部と藤原公任の関係について
紫式部と藤原公任の関係性も匂わせる『光る君へ』漢詩の会に潜む伏線

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ただし、それが必要だったのは【遣唐使】が派遣されていた時代のこと。

相手に通じる文章を書き、ネイティブチェックができる唐人も招聘し、漢文を活用していましたが、時代がくだって唐が混乱に陥り、遣唐使を派遣できないようになると、そのまま唐が滅亡してしまったのです。

そしてその後は【五代十国】という乱世が半世紀ほど続き、正式な国交は回復せず、中国語への必要性がどんどん低下していった。

では、中国語の発音なんて忘れてもよいのか?というと、そうでもありません。

 

漢詩を作るならば、韻を学ぶべし

『光る君へ』では、若手貴族たちが漢詩の勉強会に参加し、例えば藤原公任は『孟子』の書き下し文を読んでいました。

ただし、中国語読みではなく、その必要もありません。

あの場面は【大学寮】ではなく、有力貴族の自主学習会です。

儒教の思想書を読み、政治の理想を語る、現代ならば社会科の自習のようなものです。

一方、前述の通り、藤原為時が花山天皇に講義をしていたときは、自作の漢詩を中国語の発音で読んでいました。

ここが重要です。

漢詩は【押韻】、つまり韻を踏むことが必要です。偶数句の末字が同じ韻でなければなりません。

為時のように漢詩を読む際は、中国語で読み、きちんと韻を踏んでいるのか確認していました。

『光る君へ』の時代でも【大学寮】のカリキュラムとして、中国語の発音を習うことは残っています。

そこでは【韻書】という書籍が用いられており、為時がその知識を活かしているのがわかる場面だったのです。

そして【韻】を確認することは、実は『源氏物語』にも関係があります。

【韻】の知識を競うゲームが、『枕草子』と『源氏物語』に出てくる【韻塞ぎ】――漢詩の中の押韻の字を隠し、そこにあてはまる字を当てるというものです。

光源氏はこの遊びで勝利をおさめ、周囲から称賛を集めていました。

『光る君へ』では、左大臣家に集う姫君サロンがあり、そこで興味深い遊びをしていました。

第3回に登場した【偏つぎ】であり、漢字の旁(つくり)と偏(へん)を組み合わせるゲーム。そうした漢籍教養を身につけるゲームとして【韻塞ぎ】もあったのです。

今後、もしかしたら『光る君へ』に【韻塞ぎ】も出るかもしれませんね。

そのときに注目したいのは発音かもしれません。

言葉というものは時代の流れと共に発音が変化します。

古い発音のまま【押韻】を踏んでいたら、ネイティブからおかしく感じるかもしれない。

越前守となった藤原為時が松下洸平さん演じる周明(ヂョウ・ミン/Zhōu Míng)や、浩歌(ハオゴー)さん演じる朱仁聡(ヂュ・レンツォン/Zhū Réncōng)と会ったとき、古い発音の自己流中国語で果たして通じるのか。

いささかマニアックな話かもしれませんが、北宋人である朱仁聡と周明とのやりとりに注目して見ると、またドラマが面白くなるかもしれません。

『鎌倉殿の13人』には南宋人である陳和卿が登場しましたが、来日してから年月が経過していたため、日本語で会話していた設定だったのでしょう。劇中では、激昂した時にのみ、中国語が漏れていたものでした。

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