光る君へ感想あらすじレビュー

光る君へ感想あらすじ 光る君へ

『光る君へ』を読み解くカギである「漢詩」は日本にどう伝わりどう変化していった?

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時代とともに発音が変わり混乱が生じる

日本語を学んでいる中国人にとって厄介なことがあります。

中国語では文字一つにつき、発音は原則一つ。

あくまで原則であり、前後の文字の並び方によっては複数ある場合もありますが、日本では漢字の読み方がやたらと多くなります。

たとえば平安貴族必読の書である『文選』は「もんぜん」と読みます。しかし、現代の観点から素直に読めば「ぶんせん」となるのではないでしょうか。

中国大陸のように広大なエリアでは、以下のように、地域によって発音が異なります。

呉音:日本で最初に入ってきた音。呉(江南地方)の発音。日本は古来より江南地方と関わりが深く、ここから移住してきた民が多いとされます。和服の別名が「呉服」であることも、こうした関係がありました。【南北朝】時代は南方とのみ往来がありました。

漢音:中国が統一された隋唐時代、【遣隋使】と【遣唐使】が中国北部の中原で耳にした発音。

唐音&宋音:鎌倉時代以降、中国に渡来した仏僧が現地で耳にした発音。距離が近いため、仏僧は江南地方で学ぶことが多く、南宋時代には特に顕著となります。

【呉音】や【唐音】や【宋音】は江南のものである一方で【漢音】は北部。

しかも、日本人が慣用的に読む【慣用音】も出てきます。

ワケがわからなくなるから、いいかげんに統一しよう! と、桓武天皇が【漢音】を奨励する詔を出したものの徹底されません。

時代がくだると、さらにややこしくなります。

例えば現代において、誰かが「Appleは“アップル“じゃなくて、“アポォ”が近いよね」と言い出し、外来語の表記や発音が勝手に変えられたら鬱陶しいですよね。

しかし、かつて本場中国で仏教を学んできた僧侶たちは、そんなこと気にせず、当時の読み方を平気で取り入れました。

そうして生まれたものが【唐音】や【宋音】であり、こうなると、日本語ネイティブでもわけがわからなくなってきます。

『鎌倉殿の13人』に登場する公暁が典型例です。

江戸時代以降は【呉音】の「くぎょう」で記されるようになり、それが定着しました。

しかし、もっと遡った文献では「こうぎょう」だったため、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では「こうぎょう」が採用されています。

 

慣習で読み方を決め、さらに混沌が広がる!

『光る君へ』の時代は、今では人名に使わないような文字も多く、変換するだけでも辛い人物もいます。

登場人物名でも、混乱したという意見があります。

高畑充希さんが演じる「藤原定子」がその典型例で「ふじわらのさだこ」と呼ばれています。

「ていし」ではなかったのか?と思われた方も多いでしょう。PCで漢字ひらがな変換するにしても「さだこ」より「ていし」の方が先に出てきます。

なぜこんなことが起きるのかというと、そもそも読み方が不明なことが多いためです。

清和天皇の母は「藤原明子」と書いて「あきらけいこ」と読みます。

訓読みはあまりにややこしい。そう考えた明治時代、学者たちはこう考えました。

「王朝文学に出てくるような女性名は、音読みとしよう」

そのため明治以降は「ていし」が根付いていました。

と言っても、それは後世決めたルールでしかありません。

現に平清盛の妻・時子は「ときこ」と読むし、源頼朝の妻・政子は「まさこ」と読みますよね。

『光る君へ』では、敢えて明治以降のルールに準拠せず、蓋然性が最も高い訓読みを適用しているのでしょう。

学者や研究者が決めた慣習やルールがさらに難しくしていて、慣用的に独自の読み方があると、それが定着してしまう場合もあるのです。

唐代の大詩人である杜甫(とほ)の先祖に、杜預という人物がいます。

同じ氏なら「とよ」と読みそうなところですが、「どよ」と読む慣習が生まれました。

明代の文人である馮夢竜は「ふうぼうりゅう」と「ふうぼうりょう」といった慣用読みが根付いています。ややこしいので「ふうむりゅう」でも問題はありません。

ちなみにここで出てくる「明代」ですが、王朝名の場合のみ「みん」と読みます。「清」も王朝名の場合のみ「しん」となります。

王朝成立の際、できるだけ現地の発音に合わせたのでしょう。

現地に合わせたい気持ちはわかりますが、その結果、ややこしいことになってしまったのです。

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