徳川家光と徳川吉宗(右)/wikipediaより引用

ドラマ10大奥感想あらすじ

NHKドラマ10大奥で描かれた「家光~吉宗将軍期」は実際どんな時代だった?

2023年1月に始まると瞬く間に人気を博し、3月中旬で惜しまれながらシーズン1が終わってしまったNHKドラマ10『大奥』。

江戸時代という長い歴史を通して、人々の暮らしや思想がどう変わっていったのか?

ということを描く、非常に斬新な作品でした。

長丁場の大河ドラマでも、せいぜい一人の生涯を追うぐらいなのに、『大奥』では秋からのシーズン2を含めて家光から幕末までのロングスパンという、非常に挑戦的な試みでもありました。

そこで本稿で注目したいのが、シーズン1で描かれた家光~吉宗将軍期の時代背景です。

史実における八代までの治世は、一体どんな社会であり、人々はどんな考えで生きていたのか?

ドラマと史実の相違点なども見ながら、振り返ってみましょう。

 


家光時代:大奥と江戸時代のはじまり

徳川家光の時代は、まだ戦国時代の気風が残っている時代と言えます。

苛烈なだけに思えた春日局は、乱世に逆戻りしてしまうことを恐れるあまり、家光を苦しめてきた。

そんな春日局が大奥を作り上げていく過程が、家光編を貫くテーマです。

家光の忠実な家臣であった稲葉正勝は、家光の死と共に殉死を遂げていました。

武士ならばさもありなん――と思われるかもしれませんが、殉死は江戸時代初期だけのことであり、次第に廃れてゆきます。

まだまだ人の気性も荒々しく、正面切った暴力や殺傷沙汰が出てくる時代であり、殉死は“忠義の華”でもありました。

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『源氏物語』雅な教養を身につける

家光編では『源氏物語』と猫が重要な役割を果たしました。

日本を代表する古典文学である『源氏物語』は、時代と共に普及。

例えば

『源氏物語』って尊い! あー、欲しくてたまらない!

そう熱狂的な熱量をたぎらせていたのが、『更級日記』の作者・菅原孝標女(1008~1059)です。

時代がくだるにつれて流通量も増え、戦国時代ともなると、大名だろうと『源氏物語』は一般教養でした。

題材にしたアクセサリ、屏風、和歌、連歌……ともかく知らねば話にならないほど。

織田信長上杉謙信に『源氏物語』屏風を贈ったことから、謙信は乙女チックだの、実は女性だの言われます。

さにあらず。むしろ戦国大名で『源氏物語』を知らないというのは、恥ずかしいことでした。

どれだけ夢中になるのか差はあるでしょうが、大まかなプロットや、登場人物の性格は把握していたのです。だからこそ、モチーフのデザインを見れば即座に判別できるのです。

鎌倉武士のころから進化した教養が、当時の武士にはありました。

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家光編では、家光は『源氏物語』を読んだことすらなく、有功との出会いを通して読むこととなります。

春日局はこのことに、満足感を覚えています。町人として育てられた家光は、教養を身につけることができなかったことが伝わってきます。

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『源氏物語』といえば、愛し合う心を描いた作品です。それを読めば教養が身につくだけではなく、愛も学べると考えられたのでしょう。

出来の悪いドラマでは、戦国武将がやたらと“雑”に振る舞うことがあります。

しかし、彼らの教養が『源氏物語』であったことを考えれば、そこまで無神経なことをする前に「これはまずいな……」と自制することは考えられます。

光源氏以下、『源氏物語』の男たちもなかなか無頓着です。とはいえ、紫式部は細やかな筆致で傷つく女性も描いていますから。

そんな『源氏物語』から「若紫」とつけられた白猫が、家光と有功を結びつける役割を果たします。

それまで綱でつながれていた猫は、江戸時代初期から放し飼いが解放されました。今以上に貴重なペットといえます。

玉栄この若紫を殺してしまったことを、気に病んでいることがわかります。殺生に対する意識の変容がみてとれます。

衣装や髪型も江戸時代初期です。まだ女性も髪を結い上げておりませんでした。

◆家光編まとめ

親といえる人物:春日局。家光を大奥に閉じ込めたものの、彼女を救い守ろうともしていた

側近:稲葉正勝。殉死により忠義を示す。家光の身代わりととつとめ、主君と一心同体だという認識があった

家光の女性としての悩み:性暴力によるトラウマ。自己決定権の欠如。将軍となることを宣言することで示す

最愛の人であり大奥総取締:万里小路有功。傷ついた家光を受け止め、心を癒す

 


綱吉時代:天下泰平と爛熟

家光と玉栄の娘であり、第五代将軍となった徳川綱吉

経済は爛熟し、気ままな女将軍として君臨しているように思えます。

しかし、彼女にも悩みと課題が大きくのしかかります。

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綱吉の【文治主義】が成熟す

昨今、こんな誤解がよく見受けられます。

儒教規範に縛られていたのは中国大陸や朝鮮半島であり、日本はそうではない――。

これは完全な誤りで、日本では鎌倉時代から戦国時代まで主に禅僧を通して学ばれ、道徳規範として根付いていました。

その代表例が、織田信長です。

信長というと革命的で、前例にとらわれない像が強調されています。

しかし、彼なりに天意に逆らえば罰が当たることを信じており、ルールを守ることは意識していたのです。

一例として挙げるのが、信長がつけた地名「岐阜」でしょう。

岐阜は儒教の聖地である「岐山」と「曲阜」を由来としているという説があります。

花押も儒教の聖獣である麒麟をあらわす「麟」であり、信長も儒教を信奉していたことがうかがえます。

徳川家康は、儒学者である林羅山を重用しました。江戸幕府の掲げる教養として、儒教が採択されたといえる局面です。

徳川綱吉もまた教養に長けた人物でした。

自ら漢籍を読みこなし、語り合っていたドラマでのシーンは、綱吉の実像を反映させています。

『論語』を読みこなし、その教えに心惹かれているのです。

儒教には学派があり、もっとも有名なのが朱子学と陽明学でしょう。

南宋の朱熹が確率した朱子学は、孔子だけでなく、孟子も重視します。孔孟の教えとは、朱子学のこと。綱吉はこの教えをよく引用していました。

その綱吉が、右衛門佐と初めて出会った際、彼が孔子と孟子を引用していました。

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その様子を見て「曲者じゃ」と彼女がニヤリと微笑んだのは、相手の教養の高さと、朱子学教養を見抜いたのでしょう。

この男ならば、自分の気持ちを理解できるかもしれない。そんな期待感があったと思えます。

右衛門佐はその後、漢籍講義を通して、綱吉と心を通わせてゆきます。

綱吉がいきいきとしていた頃は、トリッキーな政治規範ともなり得る『韓非子』を読んでいました。

この『韓非子』において、右衛門佐と綱吉が用いるテキストが異なることから、右衛門佐の嘘が発覚する展開も。

なかなかひねりのある『韓非子』から判明することで、複雑怪奇な騙し合いの印象が強まっています。

『韓非子』を通して見えてくるのは、どこかねじれていて、素直になりきれない、高度な騙し合いの世界でした。

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