大河ドラマ『光る君へ』の最終回になって、突然、登場した菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)。
劇中では「ちぐさ」という名前でまひろの家を訪れ『源氏物語』の素晴らしさを凄まじい熱量で語っていました。
あの姿を見て、皆さんはどう思われたでしょう?
『更級日記』の作者として知られる菅原孝標女は、日本の元祖“オタク”ともされます。
何のオタクか?というと他ならぬ『源氏物語』であり、尋常ならざる執念でどうにか物語を入手すると、その後は宮仕えしながら現実との差に直面し「生々しい本音」を現代にまで残してくれました。
それは一体どんなものだったのか?
当時の筆頭ファンである菅原孝標女の生涯を『更級日記』を元に振り返ってみましょう。
なお、菅原孝標女は本名が不明であり、ドラマに準拠して「ちぐさ」と表記しますことをご理解ください。
作中最後の女性文人
『源氏物語』の作者を主人公にした『光る君へ』には、多くの女性文人が登場しました。
『源氏物語』にも影響を与えたとされる『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母(寧子)や、藤原伊周や藤原隆家の母である高階貴子など、主人公より上の世代がいれば、まひろの娘である賢子(大弐三位)や和泉式部の娘である小式部内侍などの下の世代もいる。
しかし女性文人による物語文化華やかなりし時代は、やはり清少納言や紫式部の目にした一条天皇の御代でした。

『紫式部日記絵巻』/wikipediaより引用
寛弘五年(1008年)生まれとされるちぐさは彼女たちの後の時代であり、女房としてもそこまで目立ってはおりません。
ちぐさの死後、藤原定家がおよそ170年ぶりに日記を偶然発見し、写し伝えた『更級日記』が思わぬ人気を博し、死後に名声が高まったのです。
『浜松中納言物語』や『夜半の寝覚』も、ちぐさが書いたのではないかとされていますが、文人としての評価は、先輩たちには及ばないかもしれません。
しかし、共感を呼ぶ点ではずば抜けていて、時代を超えて等身大の姿を見せてきます。
彼女の残した『更級日記』はそれほど支持された作品でした。
文人一族、中級貴族の娘として生まれ、田舎で育つ
ちぐさの一族は、学者を多く輩出する文人家系。
先祖にはあの菅原道真がいます。
学問の神様とされるほど優秀であった道真は、ある意味、平安時代のターニングポイントとも言える。
律令国家として唐を参考にした日本は、科挙のある唐のように、当初は実力による出世ができました。
その最大にして最後の出世頭が菅原道真だったのです。

菅原道真像(菊池容斎)/wikipediaより引用
しかし、道真は低い身分で出世を遂げたせいもあって悲運の一生を終えることになり、以降、貴族の出世は血縁が重視され、身分が固定化されてゆきました。
ちぐさの父はこの菅原道真の玄孫にあたる藤原孝標です。
母は藤原倫寧の娘であり、異母姉に藤原道綱母がいました。
ちぐさが生まれたのは『源氏物語』が執筆開始された頃と重なります。
紫式部や清少納言は40歳以上も歳上であり、『光る君へ』に登場する女性文人では最も若い。ゆえにドラマでも最後の最後になって、インパクトのある登場となりました。
彼女は、父が上総介として赴任した上総国で幼少期を過ごしています。
これがステータスとしてはどういうことか、彼女の愛読書である『源氏物語』を読めば理解できます。
光源氏に愛され、後に中宮となる姫の母となった女君が明石の君。
容姿端麗で才気に溢れた女君でありながら、生まれ育った場所が都でなかったことが彼女の劣等感として残り続けました。
この点でちぐさも、生涯消えぬ劣等感があっても無理からぬところです。その語り口は謙虚で、控えめな性格に思えます。
『源氏物語』がどうしても読みたい!
そんな内向的で控えめな少女にも、没入する情熱はあります。
ある日ちぐさは、気になる会話を耳にしました。
実母は父と上総へ赴くことを拒んだものの、別の妻である上総大輔と共に向かいました。この才気あふれる継母と姉が盛り上がっています。
「源氏の君みたいな男君と、かりそめでいいから情けを交わしたいなぁ〜」
「うん、でもね、紫の上がかわいそう。最後はせめて御出家を許すべきでしょ」
「そうね〜。いくらイケメンで素晴らしい方といってもそこはどうかって思うよね」
こんなところでしょうか。
それに聞き耳を立てた彼女が何の話か?と尋ねると、『源氏物語』というとても面白い物語の話だと知り、もっともっと聞かせて欲しいと迫ります。
「いや、でも、前に読んだきりだし」
「暗記しているわけじゃないんだよね……」
「ええーっ! そんなぁ、気になるよぉ〜!」
既に心を掴まれたちぐさは、どうすれば物語を読めるか、頭の中はそれ一色となります。

画像はイメージです(源氏物語絵巻/wikipediaより引用)
神様仏様、どうか私に『源氏物語』を読ませてください――等身大の仏像を彫らせ、それに向かって毎日拝むほど。
しかし悲しいかな、彼女のいる場所は上総(現在の千葉県)であり、都の書物などまず入手できません。
現代人にも理解できる、彼女が物語を欲しがる心境。
ただしどうしても現代とは異なる点があります。
『光る君へ』では、『源氏物語』執筆の背後には藤原道長がいたという説に沿ってプロットが進んでゆきます。
紫式部程度の資産では、長編物語を執筆するほどの紙が入手できたとは考えにくいことが論拠にあります。
当時は紙が高く、かつ印刷がないため、筆写することが基本。
清少納言が紙を手にしたことを執筆動機としてあげている背景にも、こうした事情がありました。
大量の紙を入手し書くことの重要性が、背景にあるのです。
嗚呼、そうはいっても、ちぐさの情熱は止まりません。等身大の仏像の前で拝み、どうかどうか、物語が読めるようにと、祈る日々。
ああ、読みたい、どうしても読みたい!
そう悩み悶えるばかりで、毎日毎日、全巻読破できるように祈る。
夢の中で物語に夢中になっていないで仏道に励むように言われても、どうにもやめられなかったことが日記には書かれているのです。
あこがれの都へ戻る
そんなちぐさが13才のとき、父の任期が終わりました。
これで都に向かうことができる。彼女はそう喜びました。
例の仏像は置き去りにしなければならないものの、願いが叶ったのです。
上総から都へのあまりに厳しい旅路は、『更級日記』では見どころの一つ。
おそるべき悪路。嵐の中を移動する困難。船に乗れば沈みかねないかハラハラするわ。
まだ幼さの残る13才がこんな道を旅するとはおそろしいこと。
道中で病気に罹り、危ういことすらありました。ちぐさの実母が夫の赴任先についてこなかった理由も、十分に理解できます。
『光る君』では、父と共に越後へ向かった藤原惟規が道中で病に倒れ、そのまま命を落としました。
成人男性でも当時の旅先ではそうなっても不思議はないと痛感できます。
そんな旅でも、感受性豊かなちぐさは風情ある景色を見逃せません。
こんな綺麗な景色で月を見ないなんてありえないと思ったとか。各地で伝説を聞き止めたとか。美声で歌う遊女を見かけたなどなど。好奇心たっぷりに吸収してゆきます。
彼女の筆のおかげで、当時の人々の暮らしが伝えられているのです。
かくして三ヶ月の旅路を終えて、ちぐさは四年ぶりに家へと辿り着いたのでした。
なお、ちぐさの銅像(菅原孝標女像)が、現在も千葉県市原市に立っています。

千葉県市原市に立つ菅原孝標の像/wikipediaより引用
上総国を離れ、都を目指す旅姿、壺装束を身につけた少女の姿をしているのでした。
姉妹と、大納言の姫と、猫の縁
菅原邸のある場所はかつて一条天皇と定子の間に生まれた脩子内親王が暮らしていた、三条宮のそばにあります。
清少納言からすれば懐かしいと思えるであろう場所。
喜びも束の間のこと、着いた歳の春、都では疫病が流行りました。
旅の途中に再会し別れた乳母も亡くなったと聞かされ、彼女は暗い気持ちになります。
そんな娘に、父は書道の手本を渡してきました。
あの伝説の書家である藤原行成の娘が書いたものです。

藤原行成『白氏詩巻』/wikipediaより引用
それはもうたいそうな価値があるものでしたが……。
『拾遺集』から、詠み人知らずの歌が書かれています。
鳥辺山 煙の燃え立たば はかなく消えし 我と知らなむ
火葬の地である鳥辺山で煙が燃え立ったのならば、私が儚く亡くなったのだと思って欲しい。
鳥辺山といえば『光る君へ』では直秀たちが殺され、定子が埋葬されたあの場所です。
見事な筆跡ではあるけれども、この歌はあまりに悲しい。しかもこの姫は亡くなったとか……見ているうちに悲しくなってしまうちぐさです。
いくら能書家の筆跡であろうと、それを渡さなくてもよいのではないか。そう思ってしまいます。
しかし、この筆跡のせいでしょうか。この姫とは、不思議な縁が生まれることになります。
ちぐさは姉ととても仲が良いものでした。
姉妹の話がなんとも微笑ましいもので、日本史上におけるペット史や生まれ変わりについて考える上でも重要です。
桜の花の散るころ、ちぐさはぼんやりと亡くなった乳母、そして大納言の姫君こと、行成の娘を思い出していました。
すると、どこからともなく愛くるしい猫が入ってきます。
この猫は姉妹にとてもよくなつき、身分の低い者たちの場所にはあまり向かわず、汚い餌は食べようとしません。
「なんだか高貴な猫ちゃんだね、ますますかわいい〜」
そうかわいがっていたところ、姉が病で寝付いてしまいます。姉が猫をあまり構うことができないと、猫はさみしいのか、ひどく鳴いています。
すると姉が病床から起き上がり、こう言い出したのです。
「あの猫は普通じゃないの!」
なんとあの猫は、大納言の姫なのだと夢で訴えたというのです。
大納言の姫君である私だもの、身分の低いものとは気が合わないから、どうか大事にして……そう訴えたのだとか。
ちぐさは驚き、猫に「大納言の姫なの?」と話しかけると、ニャアと愛くるしく鳴いています。
「うん、確かにあなたは姫だ!」
そう納得する姉妹。
このことを大納言その人にも話そうかと思っていたところ、この猫は火災の際に逃げ遅れ焼死してしまったのでした。
時代がくだり、江戸時代後半ともなりますと、歌川国芳が『賢女烈婦伝』シリーズにおいて「大納言行成女」を描いております。
座る行成の娘の前には、蝶をつかまえた猫がおります。猫好きの国芳だからこそ、この気の毒な姫のことが印象に残っていて、描いたのかもしれませんね。
この姉はのちに幼い二人の女児を残し、出産後、若くして亡くなってしまいます。
それでもこの姉妹の様々な思い出は、妹の日記を通し読み継がれてゆくのでした。
『源氏物語』を全巻入手した!
都に戻って以来、「物語をちょうだい! ともかく物語が読みたい!」とアピールに余念がなかったちぐさ。
実際、入手となると大変です。そんなものか……と思いながら、どうしても諦めきれません。
するとあるとき、伯母が様々な物語と共に全巻を贈ってきました。
嗚呼、なんて幸せなの――几帳の中に引きこもり、一巻一巻、夢中になって読み始めます。

源氏物語絵巻/wikipediaより引用
寝ても覚めても読み続け、暗記するまで読み耽り、ついにはトランス状態なのか、スピリチュアルな夢まで見てしまいます。
そしてちぐさは、しみじみと思います。これを読む幸せと比べたら、后の位だって大したことがない!
この推しへの没入感が、今に至るまで「わかりみ!」と思われるオタク気質なのでしょう。
ただし、現代人とは異なる感覚もあります。
ちぐさが『源氏物語』で推し、感情移入する女君は、夕顔や浮舟といったあまり身分の高くない人物です。
夕顔は頓死しますし、浮舟はじめ「宇治十帖」の女君は誰もが悲運をたどります。現代人ならば「ああはなりたくない……」と思っても不思議はありません。
しかし、ちぐさの身分を踏まえればわかります。
中流貴族の娘である彼女にとって、身の丈にあったシンデレラストーリーは夕顔や浮舟程度が身の丈にあっています。
光源氏や薫のようなイケメン貴公子と、かりそめでもいいからロマンチックな時間を過ごせたらいいな……それがちぐさのリアルでした。
ちぐさは自分が『源氏物語』ヒロイン級の美女であるとは思っておりません。ほどほどの姫だという自覚はあります。
ただ、こう妄想してのたうちまわっていたようです。
妄想vs現実は千年前から埋まらない
「でも、私だって、年頃になったらきっと綺麗になる! そしてイケメン男君とロマンチックな時を過ごすの〜〜〜ッ!」
青春あるあるですね。
50を過ぎてから書いた『更級日記』では、恥ずかしい思い込みだったと自ら突っ込みを入れております。
では、ちぐさの現実はどうであったか?
彼女には忘れられない思い出がありました。
18才のころ、偶然出会った美男子とロマンチックな歌を詠み交わす程度の経験はあったのです。
言い換えればその程度のプラトニックな思い出しかない。それが青春の1ページ。素晴らしい姉に、最高の読書体験があるのだから、それはそれでよいのではないでしょうか。
ちぐさの境遇は『源氏物語』の女君たちよりも、むしろ作者である紫式部自身に似ています。

紫式部(画:土佐光起)/wikipediaより引用
ちぐさの父も藤原為時のように、運が良ければ地方の国司になるか、無官であるかを繰り返していました。
学問ができることを誇りとしつつも、堅物すぎて空気を読めず、周りから失笑されるようなこともあったそうです。これも為時に似ていますね。
ちぐさが25才、父が60才の時、父は常陸国へ任命されました。このとき、ちぐさは同行しません。
そして4年後、任期が切れると父はもう宮仕えはしないと引退宣言をします。
清少納言の父・清原元輔は生涯現役、かなりの年齢になっても国司を務めたもの。しかしそんなことができるのはよほどタフでないと厳しいのでしょう。
母もこのとき在宅出家してしまいました。要するに、同じ家にいても一切俗事に関せずということになります。
亡き姉が残した子とともに、半ば世捨て人となった両親と生きるちぐさは気づけば32才、独身。
資産もさしてない。
収入もない。
夫もない。
夫と結婚できるあてもない。
ここで『光る君へ』を見ていた人ならば、こう言いたくなることでしょう。
「暮らしはこれからどうするの?」
それは当時も同じです。ここで宮仕えというルートを辿ることになります。
主君は後朱雀天皇第三皇女・佑子内親王
出仕したちぐさの主君はまだわずか2才の佑子内親王でした。
後朱雀天皇の第三皇女です。
彼女の父である後朱雀天皇は、一条天皇と藤原彰子の二男であり、『光る君へ』では敦良親王として出てきました。
彼女の母である藤原嫄子(げんし/もとこ)は、藤原頼通の養女。
頼通の父である道長と妻の倫子は多くの子女に恵まれました。道長の躍進は子が多いことも大きな要因としてあります。

『紫式部日記絵巻』の藤原道長/wikipediaより引用
しかしその幸運が延々と続く保証はありません。
頼通の時代ともなると、養女をとることで外戚政治を続けていく道もありました。
そんな政治により生まれた第三皇女が佑子内親王です。父母ともに先祖をたどれば藤原道長に辿り着くというわけです。
あの陽キャでパリピ気質の清少納言ですら、初出仕ではガチガチでした。
陰キャの紫式部は、出仕直後、家に引きこもってしまいます。
ちぐさも当然のことながら、気後れしてしまいます。
物語に熱中していた世間知らずのマイペースな彼女。精神的な頼りといえば、神仏のお告げくらいのものです。サロンの空気に圧倒されカチコチになってしまうのでした。
かといって、里に戻ればすっかり年老いた両親がいる。姉の忘れ形見のためにも給与は必要です。
かくして、キラキラしているどころか憂鬱なオフィスライフをちぐさは送ることになります。
確かに、ちぐさと似たような階級から、皇子の乳母にまで大出世を果たした紫式部の娘・藤原賢子もおりますが、現実はそうはなりませんでした。
妥協の結婚
出仕の翌年、長久元年(1040年)頃のこと。ちぐさもやっと結婚しました。
しかしどういうわけか、日記には夫・橘俊通についての記載があまりない。
夢に見た光源氏や薫と比べて、現実に失望したのかもしれませんが、なんとも悲しい話ではあります。
父と同じ受領階級。6才上で既に他の妻妾もおり、恋愛感情はない。物語について語れたらよいだろうけれども、それもできないのです。
それでも二人の間には一男二女が生まれました。
彼は『源氏物語』だったらせいぜい引き立て役でしょう。といっても、ちぐさだってそうなのですが。
あとは家庭の雑事に追われる平凡な主婦の生活になった――そう淡々と回想される日々となります。
姉妹と語らい、推し活にかまけ、妄想の日々を送った少女時代。
それからフラフラできなくなっての出仕。
妥協で結婚したけれど、なんだか冴えない毎日……平安後期なのに、なんと既視感のある人生でしょうか。
二度目の出仕でリアル光源氏と束の間
そんな彼女にも、姉の忘形見である姪がまたも出仕の機会をもたらします。姪の後見を務めるために出仕することとなったのです。
幼かった佑子内親王も、今はあの藤壺の主。
そうです、『源氏物語』読者ならば憧れてやまない聖地そのものです。
光源氏の心を魅了してやまない藤壺の宮の居場所にして、紫式部の職場でした。
そんな物語の聖地としてだけでなく、秀逸な歌人が出入りする華やかなサロンでもあり、百人一首に選ばれた祐子内親王家紀伊もここに仕えています。
となると風流な貴公子も立ち寄る。
もはや色めいた逢瀬がなくとも、語り合うことができる。それが平安貴族です。
そんな忘れられないプラトニックラブが、ちぐさに訪れます。
ある時雨の夜のこと――女房同士おしゃべりをしていていると、廊下を歩く誰かの足音。涼やかな貴公子の声音が聞こえてくる。
彼は月の下では顔がはっきり見えてしまうからと、御簾越しに語り合います。

画像はイメージです(『紫式部日記絵巻』/wikipediaより引用)
話題は、春と秋、どちらが優れているか。『源氏物語』でもおなじみの「春秋優越論」です。
貴公子はここでちぐさが詠みあげた和歌を賞賛し、春の夜を迎えるたびにこのことを思い出すと語ります。
嗚呼、一度きりとはいえ、リアル光源氏と言葉を交わしてしまった――そう感激するちぐさ。
そしてその一年後、管弦の会の帰り道、貴公子は足を止め、時雨のたびにあなたを思い出していたと語りかけるのでした。
それきりで、再会することもなく、終わってしまいます。
貴公子の正体は源資通(すけみち)でした。
管弦に秀で、歌を愛した源資通の麗しい姿は、ちぐさの胸に永遠にとどまり、『更級日記』を通して今も私たちの前に甦ります。
繰り返しますが、『更級日記』に夫のことはあまり出てきません。
連れ添った夫よりも、推しの具現化の方が印象に残ってしまう。そんなオタク心理のリアルがそこにはあるのです。
平凡な、されど輝きもあった人生を振り返って
二度目の出仕のあと、ちぐさの興味関心は移ってゆきます。
今も昔も熟年女子の興味関心といえば旅。
現在も、日本各地に、女人が仏事に励んだと伝えられる寺社が残されています。
昔の女性は信心深かったのか?
そうでもあり、それだけでもありません。日々の家事から解放されて、女友達とおしゃべりに励む旅はいつの時代も楽しいもの。
赤裸々にそんな本音を言えない時代は「仏事です」と名目をつけたのです。
少女時代の初々しい旅路とは異なるようで、女友達と枕を並べ、月を見て語る旅は楽しいものでした。
オタクらしく、宇治に旅したときは、『源氏物語』の舞台だと胸を躍らせるちぐさです。
そのあと夫は任地である信濃に向かい、息子の仲俊がついていきました。
しかし晴れやかに見送ったのに、康平元年(1058年)、夫は任地で亡くなってしまいます。喪服で付き添う我が子をみて世の儚さを知るちぐさ。
彼女が50を過ぎてから記した『更級日記』――そこで冷静に人生を振り返っています。
物語、物語、物語……そんなことにうつつを抜かして夢ばかりを見ていたけれど、現実を見るべきだった。平凡でしょうもない人生だった。
そう月をみながらしみじみと、人生を振り返るところで終わります。
彼女の人生は素敵だった
現実を見るべきだった――そう嘆いたちぐさですが、果たしてそうでしょうか?
大好きな物語を全巻コンプリートする。
物語の舞台である聖地に出仕する。
物語から抜け出てきたような貴公子と、歌を詠み合う。
十分充実していたのではありませんか?
本人だってこう記していたはずです。
「大好きな物語を読めるなんて、后になるよりも幸せ!」
何かに夢中になったときの輝きを、彼女は理解していたのです。それで十分幸せではないでしょうか。

画像はイメージです(『源氏物語絵巻』より/wikipediaより引用)
170年後、藤原定家が書き写した『更級日記』は、男性貴族の残した日記よりも普及し読み継がれることになります。
辛辣さのない素直な記述は愛されました。それだけ流行していたからこそ、前述したように、日記に登場する藤原行成の娘の浮世絵が描かれたのでしょう。
そして『光る君へ』に出る理由も『更級日記』を読めばわかります。
こんな熱心な『源氏物語』ファンはそうそういない。
どう読み、受け止めたか、ちぐさの反応を抜きにしては終われない。
今まで連綿と続いていく、物語を愛することの熱さ。そして書くことの素晴らしさを伝えてくれるのがちぐさなのです。
書いたからこそ、彼女の人生が残りました。これもひとつの奇跡なのです。
女性が書くことの素晴らしさを伝えてきた『光る君へ』。その最後のバトンを引き継いで、ちぐさはこのドラマに幕を引くのでした。
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【参考文献】
『更級日記』
他





