大河ドラマ『光る君へ』で重厚な存在感のある人物といえば?
真っ先に浮かんでくるのがロバート秋山さん演じる藤原実資ではないでしょうか。
なんせ恰幅の良い腹回りと黒黒とした肌……というのはさておき、彼は要所要所で大権力者の道長を相手に忌憚なき意見を述べたり、文句を言ったりしている。
そうした姿の根拠となるのが『小右記』です。
劇中でも散々「日記、日記、日記!」と騒ぎ立てられてきましたので、すでにご存知の方も多いでしょう。
『小右記』とは藤原実資がつけていた日記のことであり、これが非常に重要なのです。
なぜなら実資は、当時としては異例の長寿である90歳まで生き長らえたばかりか、「賢人右府」(賢者のごとき右大臣)として称賛された人物だったので、内容の信頼度は高い。
しかも日記の中には、彼の愚痴なども記されていて、とても生々しく、『光る君へ』のストーリー展開にも多大な影響を与えていることが見てとれます。
ではいったい『小右記』には何が書かれているのか?
どんな風にして成立したのか?
その背景を振り返ってみましょう。

藤原実資/wikipediaより引用
【TOP画像】本サイト連載・アニィたかはし『大河ブギウギ 光る君へ編』より引用(→link)
『小右記』あっての『光る君へ』
大河ドラマをはじめとする歴史作品は“史料”をもとにプロットが練られます。
例えば『光る君へ』で映像化されるシーンは、『紫式部日記』に記載があれば脚本の中に落とし込みやすい。
※以下は「紫式部日記」の関連記事となります
-

『紫式部日記』彰子の出産や公任の若紫エピソードの他にどんな話がある?
続きを見る
しかし本作は紫式部が関係しない政治劇も描かれているため、男性貴族が記した日記などとも突き合わせねばならず、そこで参考になるのが藤原道長の『御堂関白記』であったり、藤原行成の『権記』であったり、『小右記』だったりします。
印刷術もない時代です。
当時の貴重な記録は、筆写されて伝えられ、時には欠損しながらも現在まで残されてきました。
前述の通り「賢人右府」(賢い右大臣)と称されるほど聡明であったとされる実資です。
なぜ聡明とされたのか?
というとインプット量が多かったからとなります。
中国から伝えられた漢籍。
実資の先祖から代々つけてきた日記。
それを読みこなすことができればこそ、実資は賢いとされた。
『光る君へ』の中で、実資が「こんなことは今までない!」という言葉で憤る場面もしばしば見られます。
あれは前例が頭の中に入っているからこそ咄嗟に言葉が出てくるものであり、何も知らない者だと「そういうものだっけ」と流されるしかありません。
ロバート秋山さんが見せる素晴らしいリアクションは、当時は、記録がいかに貴重であったか?を理解できる機会でもあるんですね。

画像はイメージです(『源氏物語絵巻』より/wikipediaより引用)
実資が日記の中で「一文不通」と罵倒した藤原道綱との比較も興味深いものがあります。
道綱は周囲から命じられると、戸惑うか笑顔で流すかして、受け入れてしまいます。
彼は反発する意思だけでなく、インプットされた知識もない。どんな場面でも、ただただ流される様が見てとれます。
藤原道長像を形成した『小右記』
『光る君へ』が大河ドラマとして発表された時、記者会見は静まり返ったと、脚本を担当する大石静さんが振り返っています。
紫式部に藤原道長と言われたところで、ほとんど知らない人物だという意見もありました。
しかし果たしてそうでしょうか?
二人とも日本史の教科書において欠かせない人物です。
紫式部は言うまでもなく、国語の時間にも習う『源氏物語』の作者として。
そして藤原道長といえば、満足げな笑みを浮かべ、月の下にいる像が思い浮かぶのではないでしょうか。
この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば
【意訳】この世はまるで私のために作られたように思える。満月のように欠けたところがないのだから
誰もが知るこの和歌を記録したのが、藤原実資です。

『紫式部日記絵巻』の藤原道長/wikipediaより引用
この歌に返すよう促されて実資は断り、唱和させたと伝えられる。
実資の日記があればこそ、道長の像も確定したと言えるでしょう。
あるいは藤原道隆の息子である藤原隆家が遭遇する【刀伊の入寇】も、実資の記録があって初めて理解できます。
-

藤原隆家の生涯|天下のさがな者と呼ばれた貴族が政争に敗れて異国の賊を撃退
続きを見る
-

「刀伊の入寇」で対馬や壱岐の住人虐殺!いったい誰が何のため襲撃した?
続きを見る
前述の通り、愚痴も記された『小右記』からは、実資の性格も浮かび上がってきます。
プライドが高い皮肉屋であり、毒舌、しかし和歌が苦手らしい……などなど。ロバート秋山さんが演じるあの人物像も『小右記』の記述あってこそと言えます。
それ以外に衣食住も記録があり、例えば“蜂蜜”についての記述なんかも興味深いもので。
人類の食の歴史は、甘味を求めてきた歴史でもあったりします。
砂糖が登場するのはまだ当分先のことであり、せいぜいドライフルーツの甘味を楽しむ時代にあって、蜂蜜は最高の食物でした。
こうした食だけでなく、彼の妻や娘に関する記述も興味深いものがあります。
愛娘の名前
堅物とされる実資だけに、からかわれることもあったのか。
色仕掛けをやらかされたようなゴシップも『古事談』に残っています。
「あの人が下劣なことを!」と、クスクスッと笑いたい目線も感じる。
愛情深い夫ではあったようで、当初、中島亜梨沙さんが演じていた桐子を含め、少なくとも四人の妻がいたとされます。

画像はイメージです(源氏物語絵巻/wikipediaより引用)
驚異的な長寿であるため、妻には全員先立たれた。
当時は妊娠出産の危険性も高く、女性の方が平均寿命が短いとされるほどです。
それだけでなく彼は、乳幼児死亡率の高い時代ゆえか、我が子を看取る苦しみも味わっています。
我が子の死を嘆く記録は胸に迫るものがあります。
漢文で書かれたお堅い政治をたどる日記のようで、実資は実に珍しい記録も残してくれました。
愛娘の名前です。
50歳を過ぎて生まれたとされるこの娘は、まさしく掌中の珠。
実資は「かぐや姫」と呼び、溺愛しています。
母の身分もそれなりにあり、夭折することもないため、手元で育てあげたのです。
この娘が「千古」(ちふる/ちこ)とされます。
当時の女性名は「子」がつくと考えられますが、必ずしもそうではないとされる根拠として、「千古」の例が挙げられます。
『光る君へ』のヒロイン名が「まひろ」である理由のひとつといえるでしょう。
道長と親戚関係に
実資はこの娘に期待をかけていました。
入内を前提として大切に育てたのです。
そのため娘が病となれば、はるばる太宰府まで唐人医の薬を求めた記録もある。
ドラマを見ていてもお分かりの通り、当時は貴人ですら加持祈祷で治療する時代です。それなのに実資はわざわざ薬を取り寄せているのですから、大変な愛着です。
この‘かぐや姫”こと千古は、第42回放送に出演していましたね。
実資が抱っこしながら可愛がっていた娘ですが、将来的には道長と頼通父子によって入内を阻まれます。
不思議なのが、だからといって道長と実資の仲がこじれたわけでもなく、千古は道長の子である藤原長家との縁談が持ち上がったことでしょう。
結果は長家が断るわけですが、愛娘の縁談が壊れた実資は、ドラマの中でどんな反応を見せるのか。
最終的に、千古は、道長の孫・藤原兼頼(頼宗の子)の妻となります。

画像はイメージです(源氏物語絵巻/wikipediaより引用)
と、これが大失敗。
長暦2年(1038年)、千古は父に先んじて亡くなりました。
娘を溺愛していた実資は、家の資産大半を彼女に相続させていたため、小野宮流の資産が御堂流に継がれてしまうのです。
この痛恨の過ちもあって、小野宮流は後に没落。
院政期には消えてしまうのでした。
家は残さず 記録は残す
家は残さず、記録は残す――そんな苦い結末が『小右記』の先にはあるといえます。
没落した家の日記であるため、散逸も見られるのが悔やまれるところ。
『小右記』は『源氏物語』を読む上でも役立ちます。
光源氏の妻は葵の上でした。
どこかよそよそしく、心を開かない葵の上。光源氏はその寂しさを紛らわせるように、別の女君とも関係を持ちます。
あの葵の上はなぜ、ああもプライドが高いのか。
彼女個人の性格というより生育環境も影響していると『小右記』から理解が深まります。
入内を前提に親の溺愛を受けて育ってきたら、プライドは高くなり、入内以外の道があるともなかなか気づけなかったのでしょう。
★
政治史を知る上で貴重とされてきた『小右記』。
ジェンダー史を知る上でも役立つ一冊であり、女性が主人公である大河ドラマの副読本としてバッチリ参考になる。
あの藤原実資が映像化される意義もわかってきます。
歴史劇とは、武士が戦うだけではない。
お堅い平安貴族が皮肉っぽく不満を訴える様だって十分おもしろい。
藤原実資は、よくぞ『小右記』を残してくれたものです。
あわせて読みたい関連記事
-

道長にも物言える貴族・藤原実資『小右記』著者は史実でも異色の存在?
続きを見る
-

藤原道長は出世の見込み薄い五男|なのになぜ最強の権力者になれたのか
続きを見る
-

『紫式部日記』彰子の出産や公任の若紫エピソードの他にどんな話がある?
続きを見る
-

藤原道綱(道長の異父兄)は史実でもノーテンキだった?父・兼家との関係に注目
続きを見る
-

藤原隆家の生涯|天下のさがな者と呼ばれた貴族が政争に敗れて異国の賊を撃退
続きを見る
【参考文献】
倉本一宏『平安貴族とは何か』(→amazon)
倉本一宏『ビギナーズクラシック 小右記』(→amazon)
繁田信一『かぐや姫の結婚』(→amazon)
他






