光る君へ感想あらすじレビュー

光る君へ感想あらすじ 光る君へ

『光る君へ』感想あらすじレビュー第48回「物語の先に」大河史上最も腹黒い主人公だった

寛仁4年(1020年)、まひろと道長が向き合った瞬間――まひろが北の方である倫子に呼び出されます。

ここは土御門邸宅。

いくらこの二人が、たった二人だけの世界に入り込もうとしても、結局は倫子の持つ家の中でしかないのです。

 


倫子の提案

倫子はまひろに問いただします。

「それで、あなたと殿はいつからなの? 私が気づいていないとでも思っていた?」

倫子によると、まひろが邸に来てから、殿の様子が何となく変わってしまい、何やら勘付いたようです。

まひろを見る目も、誰が見てもわかるくらい揺らいでしまう。まひろが旅に出たら出家してしまう。

そう呆れたように、諦めたように穏やかに語りかけます。

「まひろさん。殿の妾(しょう)になっていただけない? そしたら殿も、少しは力がおつきになると思うのよ。どうかしら?」

ここには一本、線が引かれてるように思います。

源氏物語』の紫の上もそうですし、日本史の女性の役目として、夫の妾を管理することも入ります。

夫が他の女との間に子を産ませるようなことがあると正妻は怒る。『鎌倉殿の13人』でも描かれた北条政子が典型例です。

しかし、あれも怒るポイントが現代人とは違い、関係を持ったことそのものではなく、自分の管理範囲外であることがまずい。

出産は多大な負担がかかりますから、自分の管理下にある他の女性が子を産む。

あるいは倫子のように、夫にとってプラスとなるならば交渉を認める。それが賢い妻としてのふるまいでした。

そうは言っても、嫌なものは嫌だ。そう見抜いていたのが他ならぬ紫式部で、光源氏が自分以外の女と関係を持つことで、紫の上が消耗していく姿を描いています。

そして、ここから先は、良妻賢母の鑑であった倫子が、その枠をじわじわとはみ出すことになります。

「いつごろから、そういうことになったの?」

覚悟を決めたまひろは全てを話します。

もう少し空気を読める気の利いた嘘つきであれば、いくらでも誤魔化しようはあったのでしょう。

しかし、まひろにそんな気遣いを求めても無駄です。

 


まひろの告白

二人の出会いは9つの時という。

倫子は自分が到底及ばない時の長さに揺らいでいます。「三郎」と名乗っていたころの道長をまひろが知っているなんて……。

彼女は深掘りせずにはいられません。

「身分も違うのにどうやって?」

聞けば、まひろは飼っていた鳥を追いかけ、鴨川のほとりまで行ったとのこと。

9つのときの倫子は、土御門邸の中で猫でも抱き、外のことは何も知らずに生きていたのでしょう。

しかし、まひろは違う。外に出た。倫子には考えられもしないことで、どうやってなのかと言います。

まひろはあっけらかんと、身分が低いことを理由にします。しかし、単にそれだけではなく、彼女の先天的な性格あってのことでもあるのでしょう。

泣いていた自分に三郎がお菓子をくれた。優しくておおらかで背が高い三郎。また会おうと言ってくれた。

しかし、約束の日に母が殺されたことをまひろは語りました。

「殺された?」

完全に理解の範囲外に話がすっ飛んでいってしまったようで、倫子は困惑するしかありません。

しかも母を殺した男が「道兼」だったことまで明かし、心惹かれた男が母の敵だと知った時は、心が乱れたとも付け加えます。

「それなのにあなたたちは結ばれたのね……そうでしょ」

確かめるように聞き重ねる倫子。自分ならば、まずそんなことはないと思ったのかもしれません。確かにまひろは変わり者です。

ここまでの説明だけでもかなり情報過多なのに、まひろはさらに散楽の者が殺された「直秀の悲劇」まで語り出します。

その悲しみを分かち合えるのはお互いしかいなかった――そんなことを言われても、倫子も困惑するしかないでしょう。

すると倫子も、あの「漢詩の文」がまひろのものだったのかと気づきました。

白居易ならまだしも、陶淵明の詩を送ってくるような変人才女は他にいないでしょうから、倫子も薄々勘づいていたようには思いますが……。

「はい」

認めるまひろです。

 


倫子の困惑

倫子はもう自制が効きません。

「彰子は知っているの? あなたは……どういう気持ちであの子のそばにいたの? 何も知らずにあの子はあなたに心を開いていたのね。あなたは本心を隠したままあの子の心に分け入り、私からあの子を奪っていったのね」

倫子の怒りが滲んできます。

道長のことは横に置いたとしても、よりにもよってあの頑なな娘の心を開くとは何事か。

良妻としても負ける。賢母としても負ける。

「私たち……あなたの手のひらの上で転がされていたのかしら」

まひろとしては、結果的にそうなってしまったのであって、わざとではないのですが。

「そのような……」

否定するまひろ。それしか返しようがありません。普通の人は、そのことに気づけるから、全部ぶちまけたりしないのですよ。

「それが全て? 隠し事はもうないかしら?」

「はい」

倫子が苦しみを噛み潰したような顔なのに、ちょっとさっぱりして「はい」と返すまひろの澄み切った目が怖い。

「このことは死ぬまで胸にしまったまま生きてください」

「はい」

かくしてまひろと倫子の対決は終わりました。

結果的には倫子が精神的に深い傷を負い、まひろは全てを告白し、重荷を下ろしたような爽快感すらあります。

 

「思っていることは、口に出したほうがいい」のだろうか?

ここで考えたいことがあります。

洗いざらい全て語ってしまうことはありなのか?

まひろからすれば、さっぱりできるし、隠し事を明かすことで心は軽くなるでしょう。

一方で倫子は、モヤモヤした気持ちは解決するかもしれないようで、さらに別のモヤモヤが溜まりかねません。

まひろは真相を言うべきなのか?

それとも隠すべきなのか?

朝ドラ『虎に翼』では答えを出しています。思っていることは口に出した方がいい。『光る君へ』も同じ結論といえます。

しかし、それは本当なのでしょうか。

倫子はモヤモヤ感を隠し通した。不満が顔に出やすかった明子。宣孝に灰をぶちまけたまひろより人間としてできているように思えます。

ただし、そんな社会的な評価と引き換えにして倫子は傷ついています。

それってよいことなのでしょうか? そういう問いかけがあるように思えます。

『虎に翼』と重なる描写といえば、良妻賢母の世界崩壊もあるでしょう。

あの作品には完璧な良妻賢母として生きてきた、梅子という女性がいます。

しかし夫からも、息子たちからも、軽んじられていると梅子は悟る。

そして彼女は家庭を捨て去り、自ら生き抜くことを選びます。

NHKの看板ドラマが立て続けに「良妻賢母が最高の人生? それはどうかな?」と突きつけてくることは大きな意義があると思えます。

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