そんな質問をしたら3人に1人、あるいは半数が名前を挙げるかもしれない白居易(はくきょい)。
その代表作『長恨歌』は長いこと日本でも愛され、同作のヒロインである楊貴妃の姿に人びとは魅了されてきました。
そんな白居易が、日本でも人気のゲーム『水都百景録』において杭州の探検シナリオで主役を務めています。
白居易とその悲恋の相手である小蛮とはどんな人物なのか。
はたまた『長恨歌』のヒロインである楊貴妃がどれだけ日本で人気を博してきたか?
史実の面から、その足跡を辿ってみましょう。
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小蛮は柳腰の美女ダンサー
まずは小蛮に注目。
一体何者なのか?というと、彼女の出自は、白居易の家妓とされます。
家妓とは家にいる妓女、つまりは主人や来客をもてなす女性のこと。
樊素(はんそ)と小蛮は並び称される家妓であり、それぞれ歌と舞を得意としました。
桜桃樊素口 楊柳小蛮腰
ユスラウメのような樊素の口は美しく歌う
楊柳のような小蛮の腰はよく舞う
かように喩えられるほどの家妓であり、心優しき白居易は、女性の魅力を平易に華麗に詩に描く才能を有していました。
口をユスラウメ、楊柳を美女の腰に喩えるセンスが素晴らしい――柳腰という言葉もあるほどですね。
ゲーム『水都百景録~癒しの物語と町づくり』には、唐代の詩人が複数実装されています。
中国のみならず日本で最も知名度が高い詩仙こと李白、そして詩聖こと杜甫は早々に登場。
この二人はなぜかブロマンス担当で、仲良く街中を散歩しております。
一方で白居易は、探検シナリオで小蛮と切ないラブロマンスを繰り広げます。
ロマンチックで甘い女性描写が得意、かつ『長恨歌』が代表作であることを踏まえての演出でしょう。
白居易は名門出身の楊氏という妻を娶りました。
聡明で温和で、まさしく理想の妻で仲睦まじく、夫婦は一男二女がいました。
ただし、成人できたのは二女のみであり、兄の子を養子とし、家を継がせました。
不幸はあれど、家庭生活は円満――そんな白居易でも悲恋を味わう設定にしてしまうのが、『水都百景観録』の苦くて甘い世界観なのでしょう。
白居易は心優しき詩人であり、硬骨の官僚
白居易は中唐の詩人とされます。
李白と杜甫は盛唐(唐最盛期)の人物ですから、その後の世代。
大暦7年(772年)、父・白季庚と母・陳氏の子として、鄭州新鄭県に生まれました。
唐代はまだ貴族制度の影響が強い時代です。彼はいわゆる「寒門」――名門ではなく没落した家系の出身で、豊かな生家とは言えません。
漢人ではないとする説もあります。
唐は多民族が存在する帝国であり、漢人としてのアイデンティティは血統よりも知識や教養で証明されるものでした。
彼の生まれた中唐は【安史の乱】によって既存の価値観が崩壊した時代でもあります。
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寒門の出であっても、官僚登用試験である科挙を突破すれば道が開ける。
聡明な白居易はこのルートに乗りました。
ざっと経歴を見て参りますと……。
貞元16年(800年)、29歳で礼部主催の進士科を突破。
貞元19年(803年)に史部主催の書判抜萃科に首席合格すると、宮中の書籍を管理する秘書省校書郎となりました。
生涯の親友である元稹(げんしん・779ー831)も同時に科挙を突破しています。
白居易と元稹は、元和元年(806年)に校書郎を辞し、元稹とともに特別任用試験「制科」に挑みました。
結果は、元稹が主席、白居易が次席という素晴らしい成績での合格。この年、代表作となる『長恨歌』を発表しています。
それからの白居易は順調に出世を重ねます。
元和2年(807年)翰林学士
元和3年(808年)左拾遺
元和6年(811年)に母・陳氏が亡くなると服喪のため官を辞していますが、元和9年(814年)には長安へ戻り、復職します。
しかし、白居易はただ漫然と官僚を務めるだけでもありません。
お得意の詩で政治批判をしました。
老人が徴兵を逃れるために腕をわざと折る様を詠んだ『新豐折臂翁』といった新楽府(政治批判を行う漢詩の一形式)で、悪徳官僚たちを訴えたのです。
しかし元和10年(815年)には、彼の上書が不敬とみなされ左遷となり、江州(江西省)の地方役人・司馬とされてしまいました。
長慶元年(821年)には再び長安へ戻るも、その後、地方赴任を希望して、長慶2年(822年)には杭州・蘇州の刺史となります。
『水都百景録』の杭州探検は、この時期の設定でしょう。
ここで白居易は土木工事もこなしますが、病のため一時休職。
その後も官職を歴任し、会昌2年(842年)を最後に71歳で引退しました。
そして『白氏文集』75巻を記し、会昌6年(846年)に死去。
75歳で天寿をまっとうしたのでした。
とてつもなく人生が充実していた流行詩人
白居易はとても温厚で、理想的な人生を送っています。
彼の詩や文章に描かれる世界は、穏やかであたたかい。友人と語らい、季節を楽しみ、ゆっくりと眠り、ひだまりの中にいる。
さらに彼の誌は、美女の描写も素晴らしい。妻の楊氏と相思相愛であったことも反映されているのかもしれません。
『長恨歌』の楊貴妃があんなにも素晴らしいのは「妻への愛が反映されているのでは?」という説もあるほどです。
親友の元稹ともわかりあい、篤い友情を結び、家庭円満、キャリアも順調。しかも長寿。
まさに充実した人生でした。
こうした文人は、中国史においても、世界史においても珍しい部類に入ります。
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