唐伯虎

世界史

唐伯虎(唐寅)が狂った恋をする「三笑」とは?水都百景録

まったりとした明代中国街づくりゲーム『水都百景録』。

街を作る合間に「探検」をこなし、ストーリーを追いかけてゆきます。

ほのぼのとしているようで、最初の探検である「牡丹亭」にはショックを受けるユーザーが多数おりました。

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もうあんな悲しい思いはしたくない……そう複雑な思いを抱えつつ、進めることとなる探検。

蘇州の探検はどんな話が基となっているのでしょうか。

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“狂”――明代の人々が持つもの

明代の特徴として上は皇帝から、下は庶民まで、“狂”の趣がある人物が多いことがあげられます。

チベット仏教にハマり、「豹房」という快楽のための施設に篭りきりであった正徳帝。

道教にハマりすぎ、あやしげな仙薬を服用し、道教の祭文である「青詞」作りがうまいだけの悪徳政治家・厳嵩(げんすう)の言いなりになった嘉靖帝。

木工にハマって、政務は宦官魏忠賢に任せきりの天啓帝。

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ハマりすぎると危険なものとして、猫もあげられます。

紫禁城には猫ちゃんルームこと「猫児房」があり、専属お世話係がいました。

その程度ならまだよいとしまして、ゆきすぎた猫への愛は政務を停滞させかねません。明朝皇帝の幾人かはやりすぎでした。

洪熙帝は自分の猫を褒めるものを重用する。

宣徳帝は猫絵を描きまくる。かなりの名作が揃っています。

嘉靖帝は政務そっちのけで猫たちと遊び呆け、愛猫が死ぬと立派な葬儀をする。やりすぎです。

明のあと、清の皇帝は大型犬を愛好し、「猫かわいがりをする軟弱な明朝の轍は踏まぬ」と狩りをしていたなんて話も。

猫に罪はなく、やりすぎが悪いのだとは思いますが。

ともあれ、現在故宮博物院にいる“宮廷御猫”たちも、明代以来の伝統があるとされています。

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政務そっちのけでありのままに生きる。

代替わりしても延々と暗君が続く明代に生きていた人々からすれば、嫌気がさして仕方なかったことでしょう。

しかし、そんな快楽の時代であればこそ許される生き方をしていたのも、文徴明のような文人たちでもあります。

思うがままに絵や書を描きたい。徹夜してまで読みたくなるような小説を書きたい。地の果てまで探検したい。植物採取と研究を続けたい。

そんなマニアックな文化研究に打ち込んでも、それに価値があると認められる。

そんな価値観があったからこそ、明代には文化芸術をとことんマニアックに追求することができるのです。

李時珍は中国本草学を極め、『本草綱目』を著しました。『本草綱目』は江戸期の日本でも研究され、日本近代植物学の大巨人とされる牧野富太郎も大いに影響を受けています。

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農政学を極めた徐光啓は『農政全書』を残しました。

宋応星の『天工開物』は、産業技術書として不朽のものです。

『水都百景録』の特殊住民や書物には、明代の研究成果が反映されています。

ひたすら探検しまくっている徐霞客(徐宏祖、霞客は号)も、明代ならではの人物です。

徐霞客はリアルRPGのような人生でした。どこまでも旅をするとなると、盗難や追い剥ぎの襲撃はないか心配になります。

実際、金銭、同行する親友を失い、自身の命までも失いかける事態に幾たびも陥りました。すると文人たちが救おうと動きます。文人の人脈が広範囲であったために、彼は探検家人生を全うできたのです。

自分のやりたいことを極める――そんな生き方がかっこいい。それが明代の人々に育ちつつある価値観でした。

特に官僚としての出世街道よりも、文人として生きたい。そんな価値観がある蘇州文壇では顕著です。

そんな蘇州文人たちが憧れた粋な人物代表格が、唐伯虎(唐寅、伯虎は字)でした。

ちなみに『水都百景録』では、登場人物名は最も有名なものを採用しています。

三国志』ゲームのように名で統一されておりません。

文徴明:徴明は元は字だったものの、本人が改名して「名」とした

呉黎:姓のみが判明、「黎」はゲーム上の設定

唐伯虎:「伯虎」は字、名は「寅」。日本では「唐寅」が一般的

蘇州文人の大先輩、伝説の唐伯虎――そんな彼にはクレイジーなラブストーリーがある、そうだ、恋愛に“狂”ってこそ!

それが蘇州探検の基となるお話です。

唐伯虎の後輩にあたる明末の蘇州文人・馮夢龍は、その様を短編小説集『警世通言』に『唐解元一笑姻緣』(唐解元、一姻緣に一笑すること)としておさめたのです。

そんな物語を見てまいりましょう。

 


唐伯虎――蘇州の天才、その栄光と挫折

蘇州に、飲食業を扱う商人・唐家がありました。

二男一女がいるこの家の長男は、唐寅、字は伯虎といいます。干支から「寅」と名付けられたのです。

彼は幼い頃から利発でした。

そこで親は期待を込めて、塾で学ばせることにしました。

将来は科挙に合格し、立派な官僚になりますように――そう願いをかけたのでした。

唐伯虎はともかく才気煥発。15になるころにはその才能が蘇州で知れ渡り、10歳年上の祝允明(しゅくいんめい)まで交際を求めてくるほど。

文徴明という同い年生まれの少年とも意気投合し、元気いっぱいの日々を送っていました。

成化21年(1485年) 、16で考試に合格。

科挙の郷試受験資格所持者である「生員」となり、科挙受験生用の学校・府学に通うこととなります。

弘治元年(1488年)、徐氏と結婚。学問に励みながら友人と人生を謳歌する、そんな青年でした。

しかし、弘治7年(1494年)――父と妻が病気で亡くなりました。その翌弘治8年(1496年)、母と妹まで命を落としたのです。

四人の家族を一気に失い、落ち込む東伯虎。

そんな彼を友人の祝允明がこう言います。

「お前はもう府学に通って十年だしな。ここは科挙に登第して、見返すしかないだろう。できる、きっとできるよ」

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そう励まされ、真剣に受験勉強に励んだ唐伯虎。

家族の喪中も終わり、科挙受験禁止も終わった弘治11年(1498年)――応天府の郷試(地方試験)に挑みます。

その答案はあまりに秀逸で、名だたる文人たちも賞賛を惜しみませんでした。

果たして蘇州の星となった唐伯虎は、見事に主席合格を果たしたのでした。

そのため主席合格者を意味する「解元」と称されます。

ところが……最終試験である会試において、不正事件に巻き込まれてしまいます。

事前に試験問題が漏洩していたのではないかと疑われたのです。ちなみにこの事件には徐霞客の高祖父にあたる徐経も関与したとされます。

そう錦衣衛(秘密警察・厳しい取り締まりで有名)に尋問されるという恐怖を味わいます。

「貴様は不正をし、主席合格しようとしたな!」

「違います、そんなわけありません!」

そう否定するものの……。

「貴様が酒楼で主席合格すると自信満々で大口を叩いていたと、見聞きした者もいるんだぞ!」

疑惑は深まるばかりです。

唐伯虎は奔放です。

「なんなら主席合格してやらぁ、よゆー、マジ余裕!」

酒楼でもそう大っぴらに語っていて、自信満々でした。そのことも災いしたのです。

しかしこれは唐伯虎は冤罪です。

文人仲間たちの必死の働きかけもあり、なんとか釈放されたのでした。

この事件のせいで、唐伯虎は科挙受験資格を永久剥奪されてしまい、お情けで下級役人のポストをあてがわれただけでした。

30にして一気に転落し、栄誉への道を、理不尽な形で閉ざされた唐伯虎。下級役人のポストをキッパリと断ります。

仲間の励まし、芸術や名勝との触れ合いで傷心を癒した唐伯虎は、自分の才能を切り売りして生きていくこととしました。

彼は書画の注文を表紙に「利市(大福帳)」と書いた帳面につけます。

文人としての気取りよりも、自分の才能で金を儲けると宣言したのです。

俺はそもそもが商人の息子。この才能を銭にしてやらぁ!

そう開き直ったのです。

そんな等伯虎は宴会に招くには最高! ノリのいいパリピ気質でした。

日本人が中国の知恵ものをパリピにするならば諸葛亮、字は孔明を選びます。漫画およびアニメが人気ですね。

しかし中国で自国の人物を選ぶのであれば、唐伯虎かもしれませんね。

なにせ唐伯虎ときたら、性格は粋で、遊び好きでユーモアセンスもある。

そして酒を飲みながら素晴らしい詩を詠みあげてしまう。酒も女もどんと来い! そりゃモテる!

唐伯虎は文人仲間の間で絶大な人気がありました。

◆錦衣衛

何かと横暴な明朝の役人でも、錦衣衛は最悪の存在です。

現代ではインターネットの検索ワードに「ゲシュタポ」や「KGB」が並ぶほど。彼らが向かっていると噂が流れるだけで逃げ出す人々もいたほどでした。

つまり、逮捕時点で唐伯虎は死を覚悟したということです。

錦衣衛が登場するドラマや映画も最近は増えています。

見ると気分が暗くなるかもしれません。

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唐伯虎の心を、笑顔で釣り上げた侍女

そんな失意と復活を経て、とびきり素敵な恋の物語は始まります。

ある夏の日、彼は蘇州に六つある門のうちも閶門(しょうもん)付近で船の上にいました。

彼がサラサラと書画を書き上げると、文人仲間がもてはやし、たちまち売れてゆく。酒を入れた盃を片手に、ご機嫌な夏の日です。

にぎわう閶門には、たくさんの船が行き来しています。

唐伯虎がふとある華麗な船に目をやると、そこにいた一人の青い服を着た侍女と目が合います。彼女は口元を抑え、ニッコリと微笑んだのです。

なんと魅力的な……彼女は何者だ?

こうしちゃいられねえ!

船頭に唐伯虎は尋ねます。

「おいっ、あの船はどこの誰だ?」

「へえ、ありゃ無錫の華学士(退職した元官僚)ですかね」

そこで唐伯虎は無錫行きの船を探し出すと、言葉巧みに同乗に成功しました。

◆侍女の秋香(もとの名は林奴児)

この話の重要な点は、唐伯虎が侍女とわかる服装をしている女性に惚れたことにあります。

身分は低くはない。それに美貌となれば、“主人のお手つき”でもおかしくはありません。

東洋では「関係を持って美味しい相手ランキング」があります。

一盗二婢三妾四妓五妻

一盗:不倫寝取り

二婢:使用人の女性

三妾:側室

四妓:プロの女性

五妻:配偶者

どうせ侍女なんて、美人ならば主人のお手つきでしょ。そう思われてもおかしくはありません。

日本の女中にせよ、イギリスのメイドにせよ、それはお約束でした。

そんなことを気にせずに行動するからこそ、唐伯虎は“狂”なのです。

◆笑顔で心を釣る彼女

『水都百景録』での林奴児は、「天賦」(特殊能力)として「三笑の縁」があります。

釣具店で仕事をすると収入が増える能力です。それは笑顔で唐伯虎の心を釣ったことが由来でしょう。

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