まったりとした明代中国街づくりゲーム『水都百景録』。
街を作る合間に「探検」をこなし、ストーリーを追いかけてゆきます。
ほのぼのとしているようで、最初の探検である「牡丹亭」にはショックを受けるユーザーが多数おりました。
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もうあんな悲しい思いはしたくない……そう複雑な思いを抱えつつ、進めることとなる探検。
蘇州の探検はどんな話が基となっているのでしょうか。
“狂”――明代の人々が持つもの
明代の特徴として上は皇帝から、下は庶民まで、“狂”の趣がある人物が多いことがあげられます。
チベット仏教にハマり、「豹房」という快楽のための施設に篭りきりであった正徳帝。
道教にハマりすぎ、あやしげな仙薬を服用し、道教の祭文である「青詞」作りがうまいだけの悪徳政治家・厳嵩(げんすう)の言いなりになった嘉靖帝。
木工にハマって、政務は宦官の魏忠賢に任せきりの天啓帝。
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ハマりすぎると危険なものとして、猫もあげられます。
紫禁城には猫ちゃんルームこと「猫児房」があり、専属お世話係がいました。
その程度ならまだよいとしまして、ゆきすぎた猫への愛は政務を停滞させかねません。明朝皇帝の幾人かはやりすぎでした。
洪熙帝は自分の猫を褒めるものを重用する。
宣徳帝は猫絵を描きまくる。かなりの名作が揃っています。
嘉靖帝は政務そっちのけで猫たちと遊び呆け、愛猫が死ぬと立派な葬儀をする。やりすぎです。
明のあと、清の皇帝は大型犬を愛好し、「猫かわいがりをする軟弱な明朝の轍は踏まぬ」と狩りをしていたなんて話も。
猫に罪はなく、やりすぎが悪いのだとは思いますが。
ともあれ、現在故宮博物院にいる“宮廷御猫”たちも、明代以来の伝統があるとされています。
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政務そっちのけでありのままに生きる。
代替わりしても延々と暗君が続く明代に生きていた人々からすれば、嫌気がさして仕方なかったことでしょう。
しかし、そんな快楽の時代であればこそ許される生き方をしていたのも、文徴明のような文人たちでもあります。
思うがままに絵や書を描きたい。徹夜してまで読みたくなるような小説を書きたい。地の果てまで探検したい。植物採取と研究を続けたい。
そんなマニアックな文化研究に打ち込んでも、それに価値があると認められる。
そんな価値観があったからこそ、明代には文化芸術をとことんマニアックに追求することができるのです。
李時珍は中国本草学を極め、『本草綱目』を著しました。『本草綱目』は江戸期の日本でも研究され、日本近代植物学の大巨人とされる牧野富太郎も大いに影響を受けています。
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農政学を極めた徐光啓は『農政全書』を残しました。
宋応星の『天工開物』は、産業技術書として不朽のものです。
『水都百景録』の特殊住民や書物には、明代の研究成果が反映されています。
ひたすら探検しまくっている徐霞客(徐宏祖、霞客は号)も、明代ならではの人物です。
徐霞客はリアルRPGのような人生でした。どこまでも旅をするとなると、盗難や追い剥ぎの襲撃はないか心配になります。
実際、金銭、同行する親友を失い、自身の命までも失いかける事態に幾たびも陥りました。すると文人たちが救おうと動きます。文人の人脈が広範囲であったために、彼は探検家人生を全うできたのです。
自分のやりたいことを極める――そんな生き方がかっこいい。それが明代の人々に育ちつつある価値観でした。
特に官僚としての出世街道よりも、文人として生きたい。そんな価値観がある蘇州文壇では顕著です。
そんな蘇州文人たちが憧れた粋な人物代表格が、唐伯虎(唐寅、伯虎は字)でした。
ちなみに『水都百景録』では、登場人物名は最も有名なものを採用しています。
『三国志』ゲームのように名で統一されておりません。
文徴明:徴明は元は字だったものの、本人が改名して「名」とした
呉黎:姓のみが判明、「黎」はゲーム上の設定
唐伯虎:「伯虎」は字、名は「寅」。日本では「唐寅」が一般的
蘇州文人の大先輩、伝説の唐伯虎――そんな彼にはクレイジーなラブストーリーがある、そうだ、恋愛に“狂”ってこそ!
それが蘇州探検の基となるお話です。
唐伯虎の後輩にあたる明末の蘇州文人・馮夢龍は、その様を短編小説集『警世通言』に『唐解元一笑姻緣』(唐解元、一姻緣に一笑すること)としておさめたのです。
そんな物語を見てまいりましょう。
唐伯虎――蘇州の天才、その栄光と挫折
蘇州に、飲食業を扱う商人・唐家がありました。
二男一女がいるこの家の長男は、唐寅、字は伯虎といいます。干支から「寅」と名付けられたのです。
彼は幼い頃から利発でした。
そこで親は期待を込めて、塾で学ばせることにしました。
将来は科挙に合格し、立派な官僚になりますように――そう願いをかけたのでした。
唐伯虎はともかく才気煥発。15になるころにはその才能が蘇州で知れ渡り、10歳年上の祝允明(しゅくいんめい)まで交際を求めてくるほど。
文徴明という同い年生まれの少年とも意気投合し、元気いっぱいの日々を送っていました。
成化21年(1485年) 、16で考試に合格。
科挙の郷試受験資格所持者である「生員」となり、科挙受験生用の学校・府学に通うこととなります。
弘治元年(1488年)、徐氏と結婚。学問に励みながら友人と人生を謳歌する、そんな青年でした。
しかし、弘治7年(1494年)――父と妻が病気で亡くなりました。その翌弘治8年(1496年)、母と妹まで命を落としたのです。
四人の家族を一気に失い、落ち込む東伯虎。
そんな彼を友人の祝允明がこう言います。
「お前はもう府学に通って十年だしな。ここは科挙に登第して、見返すしかないだろう。できる、きっとできるよ」
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そう励まされ、真剣に受験勉強に励んだ唐伯虎。
家族の喪中も終わり、科挙受験禁止も終わった弘治11年(1498年)――応天府の郷試(地方試験)に挑みます。
その答案はあまりに秀逸で、名だたる文人たちも賞賛を惜しみませんでした。
果たして蘇州の星となった唐伯虎は、見事に主席合格を果たしたのでした。
そのため主席合格者を意味する「解元」と称されます。
ところが……最終試験である会試において、不正事件に巻き込まれてしまいます。
事前に試験問題が漏洩していたのではないかと疑われたのです。ちなみにこの事件には徐霞客の高祖父にあたる徐経も関与したとされます。
そう錦衣衛(秘密警察・厳しい取り締まりで有名)に尋問されるという恐怖を味わいます。
「貴様は不正をし、主席合格しようとしたな!」
「違います、そんなわけありません!」
そう否定するものの……。
「貴様が酒楼で主席合格すると自信満々で大口を叩いていたと、見聞きした者もいるんだぞ!」
疑惑は深まるばかりです。
唐伯虎は奔放です。
「なんなら主席合格してやらぁ、よゆー、マジ余裕!」
酒楼でもそう大っぴらに語っていて、自信満々でした。そのことも災いしたのです。
しかしこれは唐伯虎は冤罪です。
文人仲間たちの必死の働きかけもあり、なんとか釈放されたのでした。
この事件のせいで、唐伯虎は科挙受験資格を永久剥奪されてしまい、お情けで下級役人のポストをあてがわれただけでした。
30にして一気に転落し、栄誉への道を、理不尽な形で閉ざされた唐伯虎。下級役人のポストをキッパリと断ります。
仲間の励まし、芸術や名勝との触れ合いで傷心を癒した唐伯虎は、自分の才能を切り売りして生きていくこととしました。
彼は書画の注文を表紙に「利市(大福帳)」と書いた帳面につけます。
文人としての気取りよりも、自分の才能で金を儲けると宣言したのです。
俺はそもそもが商人の息子。この才能を銭にしてやらぁ!
そう開き直ったのです。
そんな等伯虎は宴会に招くには最高! ノリのいいパリピ気質でした。
日本人が中国の知恵ものをパリピにするならば諸葛亮、字は孔明を選びます。漫画およびアニメが人気ですね。
しかし中国で自国の人物を選ぶのであれば、唐伯虎かもしれませんね。
なにせ唐伯虎ときたら、性格は粋で、遊び好きでユーモアセンスもある。
そして酒を飲みながら素晴らしい詩を詠みあげてしまう。酒も女もどんと来い! そりゃモテる!
唐伯虎は文人仲間の間で絶大な人気がありました。
◆錦衣衛
何かと横暴な明朝の役人でも、錦衣衛は最悪の存在です。
現代ではインターネットの検索ワードに「ゲシュタポ」や「KGB」が並ぶほど。彼らが向かっていると噂が流れるだけで逃げ出す人々もいたほどでした。
つまり、逮捕時点で唐伯虎は死を覚悟したということです。
錦衣衛が登場するドラマや映画も最近は増えています。
見ると気分が暗くなるかもしれません。
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唐伯虎の心を、笑顔で釣り上げた侍女
そんな失意と復活を経て、とびきり素敵な恋の物語は始まります。
ある夏の日、彼は蘇州に六つある門のうちも閶門(しょうもん)付近で船の上にいました。
彼がサラサラと書画を書き上げると、文人仲間がもてはやし、たちまち売れてゆく。酒を入れた盃を片手に、ご機嫌な夏の日です。
にぎわう閶門には、たくさんの船が行き来しています。
唐伯虎がふとある華麗な船に目をやると、そこにいた一人の青い服を着た侍女と目が合います。彼女は口元を抑え、ニッコリと微笑んだのです。
なんと魅力的な……彼女は何者だ?
こうしちゃいられねえ!
船頭に唐伯虎は尋ねます。
「おいっ、あの船はどこの誰だ?」
「へえ、ありゃ無錫の華学士(退職した元官僚)ですかね」
そこで唐伯虎は無錫行きの船を探し出すと、言葉巧みに同乗に成功しました。
◆侍女の秋香(もとの名は林奴児)
この話の重要な点は、唐伯虎が侍女とわかる服装をしている女性に惚れたことにあります。
身分は低くはない。それに美貌となれば、“主人のお手つき”でもおかしくはありません。
東洋では「関係を持って美味しい相手ランキング」があります。
一盗二婢三妾四妓五妻
一盗:不倫寝取り
二婢:使用人の女性
三妾:側室
四妓:プロの女性
五妻:配偶者
どうせ侍女なんて、美人ならば主人のお手つきでしょ。そう思われてもおかしくはありません。
日本の女中にせよ、イギリスのメイドにせよ、それはお約束でした。
そんなことを気にせずに行動するからこそ、唐伯虎は“狂”なのです。
◆笑顔で心を釣る彼女
『水都百景録』での林奴児は、「天賦」(特殊能力)として「三笑の縁」があります。
釣具店で仕事をすると収入が増える能力です。それは笑顔で唐伯虎の心を釣ったことが由来でしょう。
書記、家庭教師、そして番頭までできる“華安”
かくして、無錫に到着。そして持ち前の口のうまさと機転で「華学士」の屋敷を突き止めます。
目的を達成すると、なんだかんだと言い訳して友人と別れたのです。
そしてボロボロの服に着替えると、貧乏書生に変身。人づてを頼り、書記にでも雇ってくれと強引に頼み込んだのでした。
華学士が就職希望者の筆跡を見てみると、なんとまあ立派なこと!
気になった華学士が面接試験をすると、才気煥発で只者ではありません。
「よし、採用! うちの息子の家庭教師でもしてくれ」
「ありがたいことです。私は衣食住さえあれば給与はいりません」
「きみ、才能ある上に謙虚だねえ。気に入った! これからは私の姓をとって華安と名乗りなさい」
かくして唐伯虎の作戦は成功します。
◆ボロボロの唐伯虎
『水都百景録』の唐伯虎はラフでほつれた服装をしています。
それも彼の特徴であり、物語や逸話を元にしているのでしょう。
◆家庭教師
唐伯虎はマルチな才能を発揮し、華学士のもとでさまざまな業務をこなします。
ここで息子の家庭教師まで引き受けることが重要です。
明代、家庭教師にせよ、書院の教師にせよ、文人としては最下等の職業とされていました。
科挙に落第し続けるからこそ、教師になるしかない。生徒にもその保護者にも軽蔑されることもあり、ああはなりたくないと思われていたのです。
それを気にせず、恋のために引き受ける唐伯虎はスゴイのです。
◆姓名をもらう
ここで「華」と姓をいただくわけですが、これはこうした家庭教師となる者がどれだけ身分が低いかということでもあります。
自分の先祖の姓ではなく、与えられた姓を名乗る。それだけ軽んじられていることの裏返しともとれます。従僕の身分にまで身を落としたのです。
『水都百景録』では秋香が本来の名である「林奴児」として登場します。
侍女は主人から花鳥風月をモチーフとした名前をつけられます。ゲームでの彼女は秋が名前につくため、衣装に紅葉が描かれています。
あの笑った彼女と結婚する
そんな唐伯虎は何をさせても絶好調!
ちょうど番頭が亡くなったため、対処を任せるとピッタリ金勘定もこなします。
これはもう正式に番頭として採用したいと考え始める華学士。となると、年齢的にも独身ではちと体裁が悪い。ひとつ、嫁でも面倒見てやるか。そう考えます。。
おっしゃー!
ここで唐伯虎は媒婆(メイポ、結婚仲介人の女性)に心づけを渡し、こう告げます。
「実は俺、この家の侍女から妻を選びたいんだなぁ。そう伝えてくれ、頼むよ」
「あなたの頼みは断れませんねえ。華夫人に伝えておきましょう」
こうして華夫人は夫に希望を伝えると、華学士も納得します。
こうして好きな侍女を選ばせるとなると、唐伯虎はあの船で見かけた秋香の元へ向かい、かくして結ばれたのでした。
そして結ばれたあと、夫婦の寝室で唐伯虎は打ち明けます。
自分は、本当は華安でなくて唐伯虎。船で見かけて一目惚れして、従僕にまでなって、こうして手間暇かけて彼女を迎えにきたと。
「ああ、あの時の!」
秋香も彼を覚えていました。
かくして唐伯虎は仕事を全て終え、いただいたものは妻以外きっちりと返却の手続きをし、夜になると妻ともども姿を消したのです。
華学士は一体何が起きたのか驚き捜索するものの、消えた“華安”と秋香は行方が知れません。それから一年ほど経過し蘇州に向かったところ、お供が華安をみかけたと告げてくるではありませんか!
調べてみると、華安の正体はあの唐解元とわかります。驚きながらその家を訪ねる華学士。そこには見覚えのある顔と指が六本ある左手の、華安と特徴が一致する人物がいました。
「まさか、あなたがあの唐解元だったとは!」
そう驚きの結末。これ以降、華学士と唐伯虎夫妻は親しく付き合うようになったのでした。
―完―
◆金勘定にも優秀な唐伯虎
彼は商人の子であり、才能を売ると宣言した人物でもあります。
だからこそ、金勘定もお手のものなのです。
◆左手に指が六本ある
これは唐伯虎ではなく、彼の親友であり「江南四大才子」の一人、祝允明の特徴です。
彼はそのことから「枝山」という号を名乗っております。
どうやらこの物語では、この二人の特徴が混同されたようです。
“祝枝山”の『水都百景録』での実装が楽しみですね。
世の道理に叛逆する恋のドラマ
この話を読んでも現代人はピンとこないかもしれません。
しかし、明代の人々は熱狂しました。
当時定番であった「才子佳人」(美男美女)ものとは一味違う、パロディのような仕掛けが随所にあります。
・ヒロインの身分が低い
林奴児は侍女であり、“秋香”という名を主人にあてがわれています。
身分が低い女であり、お嬢様ではありません。
・唐伯虎はこんな面倒なことをしなくてよいはず
ラストで身分を明かすと、華学士は驚きます。
そんな面倒なことをしないで、頼んでくれればいいじゃないか。そうなってもおかしくはありません。
唐伯虎はそんなことをせず、人としての機転で恋を掴みに行くのです。
・文人がやらないようなことをする
唐伯虎は家庭教師や番頭を務め、プライドの高い文人ならばやらないようなことを次から次へとやらかします。
・恋愛結婚
当時の倫理では、結婚はあくまで家庭を維持し、先祖の血を伝えるためのもの。恋愛要素は二の次です。
そんなことは全て無視して、唐伯虎は恋を追いかけてゆきます。
これぞ“狂”った恋だ!――当時の人々はそうこの恋物語に喝采を送ったのです。
社会制度への叛逆を見せる、近代的で革新的なラブストーリーといえます。
話としてもシンプルかつ面白く、軽妙に盛り上げられるため、定着しておなじみとなってゆきます。
唐伯虎が、秋香に惚れる。色々あって二人は結ばれる。
このストーリーラインを守れば自由にアレンジできるため、ラブコメディとして映像化に向いています。
粵劇(えつげき・広東オペラ・広東地方の伝統劇)の演目となり、映画やドラマでもさまざまな作品が作られているのです。
好き放題やらかされる唐伯虎と「江南四大才子」
この話はコメディ向きのせいか、色々やらかされます。
唐伯虎は主役のため当然として、「江南四大才子」仲間である他の三人も含めて、お笑いユニット扱いをされます。
「江南四大才子」は、コスプレ衣装の定番です。
日本ならば量販店にあるペラペラしたバカ殿衣装系ですね。
日本語版もあり、知名度が高いのが1993年の香港映画『詩人の大冒険』でしょう。
この映画は蘇州文人になじみのない日本人向けに、「詩人」とタイトルに入れられています。
そんな唐伯虎への理解が『水都百景録』で深まるのであれば、素晴らしいことといえます。
日本でも『少林サッカー』や『カンフーハッスル』で知られている周星馳(チャウ・シンチー)。
最近では『ムーラン』にも出演した中国の大女優コン・リー(鞏俐)がヒロイン・秋香を演じています。
そこはもう、喜劇王のチャウ・シンチーだけに無茶苦茶。
彼の趣味で武侠要素をぶち込んだ結果、謎の武術を駆使して戦うアクション要素もあります。
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唐伯虎の設定にせよ、家族の死や不正試験に巻き込まれた過程をすっ飛ばし、たただたゲスでしょうもない男だったという導入です。
妻妾が8人いたという設定は、唐伯虎がのちに沈九娘という女性を妻にしたから生じたもの。
沈九娘は“沈家の九番目の娘”という意味。誤解されて生じた無責任な伝説ですので。そこは真面目な文人生活を期待してもいけません。
文徴明は女遊びはしなかったはずなのですが、こうした作品では大抵しょうもないナンパ騒動に巻き込まれております。
ちなみに、中国語圏では『詩人の大冒険』の吹き替え版に注目が集まったとか。唐伯虎の吹き替えが平田広明さんです。
「へー、『ONE PIECE』のサンジの声なんだ。ハマり役だな!」
こうなったと。サンジとイメージが重なる文人、それが唐伯虎なのでしょう。
『水都百景録』での等伯虎は、「天賦」(特殊能力)として「迫真」があります。女性と作業すると、お小遣いがもらえるというもの。プレイボーイ中国代表ですね。
この作品以外でも唐伯虎は何度も映像化もされていますが、コメディ向きのためか、見る人を選ぶものが多い。
なんでこんなにふざけているのか。どうして文人が空を飛び、謎の技で戦うのか?
※雑に武侠要素を混ぜただけでしょう、気にしたら負けです
これはいくらなんでもあんまりじゃないか!
その疑念を吹っ切れば楽しい時間が待っています。あまりのアホらしさを乗り切れるかどうかがポイントです。
その恋は実在したのか?
この唐伯虎の恋は、あくまで物語でのこと。
項元汴(こうげんべん)の『蕉窗雜錄』(しょうそうざつろく)に、短いエピソードが収録されたことが原型とされています。
変遷を経て、馮夢龍の短編小説『警世通言』の一編『唐解元、一姻緣に一笑すること』として収録されたのです。
この話は幾人もの手を経て、演劇や映画にもなっています。そのため作者を特定せず、「三笑」と呼ばれているのです。
さて、物語はさておき。唐伯虎は史実ではどんな人生を送ったのでしょうか。
彼はいくつも武勇伝を残しました。祝允明ら仲間と乞食に化けて稼いだ金で豪遊する。ニセ道士のふりをしてお布施を集めてパーティを開く。
そんな奇人変人ぶりが大人気で、蘇州の人は「あのマジパネェ唐伯虎パイセン!」と誇張しながら話題にしていました。
とはいえ、家庭生活は複雑。唐伯虎は何氏という女性と再婚するもうまくいかず離縁してしまいます。
その後、名妓であった沈九娘を三番目の妻に迎えました。彼女は夫の創作活動をよく支える素晴らしい女性でした。一人娘も授かります。
そんな沈九娘ですが、正徳7年(1512年)に亡くなってしまうのです。唐伯虎はこのあと再婚はしませんでした。
このころには落ち着き、仏教を信じる清貧の生活を送っていたとされます。
ちなみに京都国立博物館には、この歳に唐伯虎が残した「贈彦九郎詩」が所蔵されています(→link)。
そんな妻の死から2年後の正德9年(1514年)――またしても唐伯虎は事件に巻き込まれます。
彼は寧王・朱宸濠(しゅしんごう、明朝の宗室)の招きを受けたのです。
しかしこの野心家は【寧王の乱】を起こし敗北、処刑されました。彼を討伐した人物が、陽明学の祖である王守仁(字・陽明)です。
寧王に誘われて幕下に加わった唐伯虎は、反乱の兆しを察知すると、正真正銘狂ったフリをしました。
大酒を飲み、あたり構わずいやらしいことをし、全裸になる。そこまでやらかして、やっと蘇州へ戻ることができたのです。
『水都百景録』での唐伯虎は、この寧王の元から逃げ出し、落ちぶれた設定で登場しています。
それから十年後の嘉靖2年(1524年)末、唐伯虎は没しました。
享年54。弟の子が唐家を継ぎました。
【臨終詩】
生在陽間有散場
生きて陽間に在りても 散場有り
死歸地府也何妨
死んであの世に行っても、そういうこと
陽間地府倶相似
この世もあの世も、似たようなもんよ
只當漂流在異鄕
旅していて見知らぬ場所に行っちゃうようなものだな
愛される蘇州の桃花仙として永遠に生きる
唐伯虎と同年齢で、親友であった文徴明。彼は対照的な人生を送りました。
商人家庭の唐伯虎と、官僚の息子である文徴明では、出身階層からして異なります。
性格も正反対であるとされました。
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唐伯虎は気さくな人柄といえばよいものの、脇が甘いのか。寧王に招かれてトラブルに巻き込まれたのも、その性格が災いしたように思えます。
文徴明は慎重でした。
宦官、宗主皇族、外国人からは関わりを持たぬよう、作品の依頼を断っていたのです。寧王からの招聘も、唐伯虎よりも前に断っていました。
こうした性格は科挙の結果にも反映されています。
唐伯虎が科挙で解元になると、文徴明は悩みました。
自分の方が遊び歩きもしないで地道に勉強しているのに、どうして合格できないのだろうと。
唐伯虎は器用であけっぴろげ。文徴明は不器用で慎重なのです。
家庭生活にもそんな気質は反映されています。
文徴明は文人家庭である呉家から妻を娶り、仲睦まじく過ごしました。73歳の時に同年齢の妻に先立たれたとはいえ、この年齢ならば天寿を全うしたといえます。
そして本人は驚異的な長寿でした。満90歳まで生き、亡くなる直前まで立派な字を書き続けていました。子と多くの弟子に囲まれ、蘇州文人の頂点に立つ、充実した人生でした。
彼の後の文一族は才知溢れる人物を多く輩出しました。
長男・文彭は近代文人篆刻の祖とされ、二男の文嘉も書画に才能を発揮しています。
孫・文震孟は硬骨の名官僚。
玄孫の画家である文俶は『水都百景録』でも実装されています。
夫婦円満。立派な子孫を残し、後進を指導する。生真面目な努力家。文徴明は科挙に落ち続けたことが欠点となるだけの、理想的な人物に思えます。
伝統的な倫理観からすれば、文徴明こそがロールモデルであり、唐伯虎は反面教師かもしれません。
遊び好きで、大口を叩くせいで反発もかう。慎重さにも欠けている。人生の落伍者かもしれない。
しかし、人々はそんな唐伯虎を愛しました。
科挙に失敗したことも。無茶苦茶な遊びぶりも。才能を金に換えて恥じないところも。こんなかっこいい先輩いるか?
あの唐伯虎ならきっと、恋に“狂”っていてもおかしくない――そんな思いが「三笑」を生み出し、世に伝えられてきました。
彼の詩に出てくる地名、蘇州・桃花塢(とうかう)。
年画(旧正月に飾られる縁起のよい絵)の産地として有名です。
『水都百景録』の蘇州の地名は、この桃花塢を元につけられています。
春をもたらす桃花と縁が深い唐伯虎。彼は蘇州の桃花仙になったようです。
「桃花庵歌」
桃花塢里桃花庵 桃花庵下桃花仙
桃花塢には桃花庵がある 桃花庵には桃花仙がいる
桃花仙人種桃樹 又摘桃花換酒錢
桃花仙人は桃の木の種を蒔き、桃の花を摘んで酒代に換える
酒醒只在花前坐 酒醉還來花下眠
酒から醒めるとただ桃の花の前に座って 酒に醉えばまた桃の花の下で眠る
半醉半醒日復日 花落花開年復年
半分酔って半分醒めてまた一日を過ごす 花が落ちて花が開いてまた歳がめぐる
但願老死花酒間 不願鞠躬車馬前
ただ願うことは花と酒の間で老いて死ぬことだけ 権力者の馬前で媚びるなんてごめんだ
車塵馬足顯者事 酒盞花枝隱士緣
車馬を勢いよく走らせてどうする? 酒盃と花のもとで隠者同士縁を大切にする方がいい
若將顯者比隱士 一在平地一在天
成功者と隠者の差なんてどうでもいいね 天にいるか地にいるかだけの違いだろ
若將花酒比車馬 彼何碌碌我何閒
花と酒、車と馬を比べてどっちがいいかなんて、そんなの聞いてどうするんだ
別人笑我太瘋癲 我笑他人看不穿
誰かに笑い物にされようがバカにされようが構わないよ 俺を理解できない奴らの方を笑ってやる
不見五陵豪傑墓 無花無酒鋤作田
五陵の豪傑の墓なんて見ないね 花もなければ酒もなく田んぼになって耕されてるんだから
実際にあったことかどうかはどうでもいい。
彼の痛快な生き方、“狂”った恋愛こそ、見習いたいじゃないか!
そう人々が思い続け、笑って楽しみ、彼の名前は残ったのです。
そんな彼の恋をスマホアプリで楽しむ。『水都百景録』は、2020年代ならではの形で、桃花のような恋を私たちに届けてくれるのです。
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井波律子『中国のグロテスク・リアリズム』(→amazon)
井波律子『中国の隠者』(→amazon)
井波律子『奇人と異才の中国史』(→amazon)
大木康『明末のはぐれ知識人』(→amazon)
岡本隆司『明代とは何か』(→amazon)
檀上寛『陸海の交錯 明朝の興亡』(→amazon)
上田信『中国の歴史9 海と帝国 明清時代(講談社学術文庫)』(→amazon)
他













