大河ドラマ『おんな城主 直虎』で、南渓和尚のそばにいつもいた“にゃんけい”。
『光る君へ』では道長の嫡妻・源倫子が可愛がっていた“小麻呂”。
緊迫したストーリーの中でマイペースに振る舞う「猫」たちの様子は、癒やし系として注目を集めるものです。
今回注目したいのは、篤姫が江戸城の大奥で飼育していた「サト姫」。
彼女が輿入れした13代将軍・徳川家定が動物を苦手としていただけに、何かと大変なことになりながらも微笑ましく大奥を癒やしていたとされます。
そんなサト姫の生活を振り返ってみましょう。
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大奥のセレブ猫 その華麗な生活
篤姫はもともと愛玩犬の狆(ちん)が大好きでした。
ところが夫の徳川家定は動物嫌い。

徳川家定/wikipediaより引用
そこで篤姫は狆を手放し、「ミチ姫」という猫を飼ったところ、これがすぐに死んでしまいまして……。
ちょうどこのころ、中臈(ちゅうろう)の飼い猫が赤ん坊を産んだので、篤姫は三毛猫の「サト姫」を迎えます。
※中臈とは大奥に仕える役職の一つで側室候補でもあります
たかが猫、されど猫。
将軍御台所の愛猫ともなれば、最高の生活を送ることになるわけです。
ちょっとそのセレブライフを箇条書きにしてみましょう。
・専用のアワビの貝殻型の食器を所有、篤姫と一緒に御膳で食事をとる
・精進日は生ものが食べられないため、鰹節とドジョウを食べる。食費は年25両
・首輪は紅絹紐に銀の鈴、毎月交換する
・専用の布団もあるが、篤姫の着物の裾に眠ることもある
・竹駕籠にちりめんの布団をしいた猫ベッド持ち
・専属世話係が3名
・世話係はサト姫の食べ残しを食べていたほど、贅沢
・火災が起こった場合は、駕籠に入れて避難させた
なんともまあ、贅沢極まりない生活。
篤姫も、随分とかわいがっていたのでしょう。
まさに御猫様ですね。

大の猫好き・歌川国芳の浮世絵/Wikipediaより引用
男子禁制大奥でも猫は別です
大奥は男子禁制ですから、篤姫の飼い猫も雌だけです。徹底してます。
ただし、サト姫自身は男子禁制なんておかまいなし。
発情期になれば、どこかで恋のお相手を見つけ、大きなお腹になって戻って来ます。
大奥の「姫」で、自由恋愛を楽しんでいたのは猫くらいのものでしょう。

橋本(楊洲)周延画『大奥』/Wikipediaより引用
発情期にサト姫がいなくなると、お世話係が探します。それでも見つからないため、男の役人に頼むわけです。
「おサトさーん、おサトさーん!」
役人たちがそう呼ぶ姿を見て、お世話係は大笑い。そんなことでは、むしろ逃げてしまいますからね。
サト姫が粗相、つまりおもらしをしてしまうと大変です。
家定にバレないうちに、おもらしした場所をこっそり洗ったり、お香を焚いたりしたそうです。
今のようにペット用消臭剤がない時代は大変だったことでしょうね。
時に粗相をするとはいえ、サト姫は賢い猫でした。
女中部屋に入り込んだ時は「お間違い! お間違い!」と女中が叫びます。
すると、すぐに出て行って、篤姫の元に戻ったそうです。
女中が食事を紙に包んでこっそりあげると、自分の御膳まで持ち帰って食べたとか。
ココらへんはさすがお姫様ですね。
未亡人として幕府倒壊を見つめた篤姫
サト姫は、なんと16才まで生きました。
16才といえば、人間では80才に相当し、現在でも、なかなかのご長寿です。
和歌山電鐵貴志川線貴志駅のたま駅長も、16才で亡くなっています。
たま駅長は、三毛猫でセレブ猫でした。
平成のセレブ猫と同じだけ生きたのですから、サト姫は相当すごい猫です。
江戸時代には、今ほど獣医学も浸透しておりません。
猫にとって有害な、塩分を含んだ餌も、与えられていたハズです。
それでも長生きできたのは、大奥でストレスのない、快適な暮らしを送っていたからでしょう。
夫と死別し、未亡人として幕府倒壊を見つめることとなった篤姫。
愛くるしい愛猫サト姫は、きっと彼女の心を慰めたと思われます。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
桐野作人『さつま人国誌 幕末・明治編』(→amazon)