幕末の大奥

橋本(楊洲)周延画大奥/Wikipediaより引用

幕末・維新

幕末の大奥は女の火花バッチバチだった? 篤姫が嫁いだ時の女性21名+猫

大奥と言えば、江戸時代のトップ女性たちがバチバチやりあった場所――。

特に幕末の大奥ともなれば、幕府の体制も揺らぎ始め、そこに薩摩から篤姫が嫁ぐなど、尋常ではなかった雰囲気だったのでは?という印象をお持ちかもしれません。

実際、当時は武士たちにも決して劣らぬ個性豊かな面々が集まっているところでした。

綺羅びやかなだけではなく、政治権力闘争も渦巻く場所。

では、そこには一体どんな人々がいたのか?

篤姫が輿入れした当時の個性豊かな面々をマトメてみました。

 


第13代将軍・家定関係者

篤姫が輿入れした当時の大奥は、何と言っても将軍継嗣問題が渦中。

一橋派とアンチ一橋派が入り乱れて静かにバチバチしておりました。

その時点での派閥を色分けしながら見て参りましょう。

赤字:一橋派
青字:アンチ一橋派
黒字:その他

 


◆生母:本寿院

徳川家定の生母で大河ドラマ『せごどん』では泉ピン子さんが演じた。

兄弟20人以上が死んだ徳川家慶の子供の中で、唯一、成人したのが本寿院の息子・家定。

水戸の徳川斉昭を嫌っている関係で、実子・一橋慶喜も大嫌い。アンチ一橋派へ。

※各人物の詳細は以下の関連記事をご覧ください(以下同)

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◆御台所:篤姫

言わずもがな島津家から嫁いだ一橋派の特攻隊長。

しかし、子供を望むことができるならムリに一橋慶喜を将軍にする必要もなく、もしも自分に子供ができれば、本寿院にとっては可愛い孫になるわけで、この時点で利害は一致する。

当然ながら、そのときは彼女自身の立場(実家との関係)も微妙になる可能性アリ。

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◆篤姫付女中:幾島

島津斉彬の意を汲んで篤姫を操作するポジション。

仕える身分だけに立場的にはかなりの苦しみも伴う。

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◆篤姫付女中:村岡局

「勤王女傑」と呼ばれた篤姫付きの女中。

幾島との二枚看板みたいな存在だった。

大獄で死罪となった梅田雲浜から「近衛家の清少納言」と称えられる才女でもある。

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◆御簾中(正室):鷹司任子(あつこ、有君、天親院)

文政6年(1823年)~嘉永元年(1848年)

家定最初の御台所。

関白・鷹司政熙の娘、のちに兄・政通の養女に。

家定が5才の時に婚約して、天保2年(1831年)江戸へ下向、その10年後に結婚する。

嘉永元年(1848年)、疱瘡で死去。

享年17。夫婦仲は良好だった。

 


◆御簾中(継室):一条秀子(寿明姫、澄心院)

文政8年(1825年)~嘉永3年(1850年)

左大臣一条忠良の娘にして、徳川家定の後妻。嘉永2年(1849年)に結婚した。

が、一年にも満たない結婚生活で命を落とす。享年27。

極端に小柄で、体つきのバランスが悪く、生まつき病弱。

全体的に小さいのに目ばかりが大きい、と記録されている。

 

◆側室:お志賀の方(豊倹院)

生没年不詳

鑓奉行・堀美濃守の娘。嫉妬深い女性であったと伝わる。

 


◆御年寄:本立院

本寿院の姉で、浜尾という名前で大奥入りしていた。

家慶の弟で福井藩主・松平斉善に仕える。

斉善は松平春嶽の養父であり、本立院に大奥の内情を探らせ、将軍継嗣問題を有利に運ぼうとした。

※若かりし頃の本寿院は、この姉のもとを訪れた際に、徳川家慶の目にとまっている。

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◆上臈御年寄:歌橋

家定の養育にも関わったとされる大奥の実力者。

本寿院とともに、一橋慶喜の将軍就任に対して、激しく反対した。

 

◆篤姫付女中:村山ませ子

瀧山の姪にあたる。文久3年(1863年)、21才の時に暇を出されたあとも、江戸城にとどまり、無給で篤姫に仕えた。

担当は愛猫「サト姫」の世話。

維新後、三田村鳶魚から取材を受けて、貴重な話を語り残している。

 

◆篤姫愛猫:サト

当初は犬好きだった篤姫だが、犬嫌いの夫・家定に気を遣って描い始めた猫。

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