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【『光る君へ』感想あらすじレビュー第48回「物語の先に」】
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なんでもないわけがないのに
賢子が通りかかり、浮かない顔をしているとまひろに語りかけます。
「何でもないわ。あなたもどうなの?」
そう返すまひろ。真実を隠す悪癖の頂点かもしれません。
賢子の実の父が道長であることを、道長には知らせました。
しかし、賢子にはそう言っておらず、これがなかなか恐ろしいアクセントになっております。
ついでに言えば道兼との因縁も語っておりません。
賢子は、祖母の仇の子、つまりは道兼の子・兼隆の妻となるのです。
まひろはそういうことはあまり気にしない変人ということなのでしょう。
そんな母に対し、賢子は「太閤様にも、太皇太后様にもよくしていただいる」と笑顔で答えます。
これも先ほどの倫子の傷心を思い出すと複雑な気持ちになります。
まひろがいなくても、その娘である賢子がいる限り、倫子は胸がチクチクしかねません。
さらにいえば、まひろは倫子にも賢子の父が道長であることは打ち明けておりません。
そうしてしまったら賢子の将来に暗い影を落とすであろうことを見越して、そこだけは伏せたのでしょう。どこまで策士なのやら。
倫子は人を駒にする
道長が碁盤に向かっていると、倫子がその横に座りました。
まひろと何を話していたのか?と道長が尋ねると、どうということのない取りとめもない昔話だと返す倫子。
「ふ〜ん……」
決意を固めたように見える倫子は、裳着を終えた嬉子(よしこ)のことを持ち出し、東宮に奉れるから頼通に話して欲しいと言います。
彰子を入内させることにああも抵抗していた倫子はもういません。
彼女は自分は純粋な親子愛などとは縁を切り、政略結婚の駒を手にする側だと自覚がハッキリと固まったように見えます。
ここでようやく彼女の様子のおかしさに気づいたような道長に対し、倫子は言います。
「次の帝も我が家の孫ですけれど、その次の帝も、そのまた次の帝も、我が家から出しましょう」
碁盤に石を置きながら、微笑む倫子。これぞまさしく「ゲーム・オブ・スローンズ」の可視化といえます。
あれは作品名として定着しましたが「玉座の争い」という意味です。権力をめぐり、人をまるで駒のようにする世界観を現したタイトルでした。
猫を可愛がっていた無邪気な倫子。力ある家に生まれ、夫が成功したために、彼女はこのゲームのプレイヤーになりました。
それが本人の幸せなのか。よりよい世の中のためになるのか。そこは重要な問いかけです。
まひろが帰宅すると、きぬも乙丸も、何かあったのか?と察しています。
琵琶を奏でるまひろ。弦がプツッと切れます。
彼女は権力ゲームのプレイヤーにはなれません。ではこれから先、その知性と感受性をどうすればよいのでしょうか。
道綱にとって政とは何か?
左大臣である藤原顕光はすっかり呆けてしまいました。
陣定の議題すら忘れる左大臣に、公卿も困り切っており、頼通が居眠りした顕光を叱りつけ「いい加減、辞表を出せ!」と突きつけます。
このことを嬉しそうに道長へ報告する藤原道綱。
間もなく顕光も引退するだろうと見通しを語り、ニコニコしながら「大臣になれないかな? 一度やりたかったんだよね」と道長に持ちかけてきます。
このドラマの素晴らしいところは、所作指導が厳密で、各人がちゃんとしているうえに、性格の差まで見えるところです。
道綱は烏帽子が御簾にあたらないように頭を下げてはいます。ちゃんとできている。しかし、能天気な性格も所作に表れているように思えます。
几帳面で優美な人物は所作一つとっても美しいけれども、道綱はそうでもありませんので。
「25年も大納言だった」と道綱がボヤくと、道長は呆れたように「それは大臣なぞ所詮無理だという証だ」と答えます。
道綱もそれはわかっているようで、ちょっとだけ! すぐやめる! 二月か三月と言いながら、甘えるように道長にすがる。
「頼通に頼んでよ~」
「兄上にとって政とは何でありますか?」
考え込む道綱。常に頭にあったら即答できるんですけどね。そして答えはこうだ。
「地位だろ。母上が男は地位で育つのだっておっしゃっていたゆえ」
そんな幼少期の親の刷り込みしかないのか……と言わんばかりに道長も呆れています。
そしてこれは道長が抱きかけない妄想への答えである気もします。
道綱のような才女を母に持つものでも、どうしようもない奴はそう。たとえ自分とまひろの間に息子が生まれたとしても、ボンクラになる可能性はあるのです。
道綱は変なことを言ったと詫び、無邪気に道長の頬を挟みこみます。
「俺を嫌いにならないで!」
「嫌いにはなりませぬ」
そう言い交わす兄弟。とても能天気なようで、何か引っ掛かります。
好きな相手でも倫理的に問題があるから諫言するとか。逆に発言者の性格は嫌いだけども、意見としては尊重できるとか。そういうことはあるはず。それが成熟した世界です。
道長が道綱を大臣にすすめようがそうでなかろうが、好き嫌いでなく能力を考慮しているものとみなせます。
それが当然です。
でも、幼稚な人間としてはそういう人事ですら好き嫌いだ、敵味方と分けてしまう。そういう政治の貧困のようなものに対し、本作は冷たい目線を向けているように思えます。
このドラマの世界観は、かな文字で物語を書いてきた女性に対し、むしろ冷たく突き放しているという批判もあります。
そこはむしろ男女関係なく、政治的な理想がない相手には、男女どちらにも冷たいのではないでしょうか。
このドラマは、教養のないものに冷たいとは思えません。
たねや双寿丸のように、学ぶことが困難な環境にいる者に対して、まひろたちはあたたかい心を見せていました。
一方で、学ぶことができるはずの環境にいながら、そうしなかったであろう顕光や道綱のような人間にはどこまでも冷たい。
道綱を演じる上地雄輔さんが素晴らしいし、愛すべき人物ではあります。
しかし、無能は無能だと言い切るような描き方が目立っています。
ちなみに、顕光は結局辞表を出さず、道綱は大臣になれませんでした。
高松殿の宴と虚しき栄光
万寿2年(1025年)、東宮妃となった嬉子は皇子を産みました。
しかしその二日後、嬉子は僅か19歳で命を終えてしまいます。大いに嘆く道長と倫子。
後一条天皇の時代となると、道長時代の公卿は実資、斉信、行成だけとなりました。あとは道長の子たちが政治の中枢を占めています。
高松殿には、源俊賢と明子という兄と妹、明子を母とする道長の息子たちが集まっていました。
明子はしみじみと、道長は冷たかったけれど、頼通が優しいおかげで我が家は救われたと語ります。
若い頃は道長の愛を求めたこともありました。しかし歳をとり、我が子の栄達を追い求めるようになった。藤原道綱の母である寧子から、そんな女性の一生が描かれてきたものです。
俊賢は道長を恨まぬよう妹に釘を刺すものの、明子は舌を出します。
明子は苦しい生涯を振り返り、我が子を産んだことだけはよかったと言います。
しみじみとしているようで、これは道長を我が子を産ませる「胤」扱いをしているようにも思えます。まぁ、そうされても仕方ないでしょうが。
俊賢も自分の出世は明子のおかげだと語ります。そうでも思わなければ、妹を愛のない結婚に閉じ込めた己を正当化できませんもんね。
ここで優美な仕草で頭を下げる兄。
「礼を言う」
「何を今更」
冷たい妹。
他の者たちは笑い飛ばすものの、どこか冷え冷えとした空気が漂っています。
賢子は御乳母となり、恋多き女となる
彰子は、妹である嬉子の産んだ親仁を引き取り、二人目の女院となりました。
その御乳母を務めるのは、多くの高貴な姫をさしおいて、賢子です。
親仁を大胆な動きであやしていると、道長が怪我をするではないかとたしなめます。
しかし、もう二年も御乳母を務めていると返す賢子。
彰子も「藤式部の娘なのでハッキリしている」と言い、すっかり気に入っている様子です。
そんな賢子のもと、藤原頼宗が忍んでやってきます。
皇子の昼寝中に逢瀬を重ねる二人。このドラマの設定では、異母兄妹となります。
まひろが説明を飛ばすからそうなってしまうわけで、隠蔽主義とはどこまで罪作りなのか。
「光るおんな君」である賢子は恋多き女性で、定頼や朝任とも歌を交わしているとか。
そう問い詰められても、それが嫌ならもうお会いにならないと答える様子からして、母親より圧倒的にコミュニケーション力が高いことが伝わってきます。
公任から「地味な女」発言をされ、何年も経過してから蒸し返していたまひろとは大違いですね。
「俺のような上流の者に愛でられていることを、ありがたく思え」
「さぁどうかしら。上流だって優れた殿御はめったにおられませんわ」
そう妖艶に微笑み、上流貴公子の上に覆い被さる賢子。
直秀や周明のような者でも対等に見るまひろとはまるで違います。はたして彼女の胸の中に、まだ双寿丸はいるのでしょうか。
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